第一巻
小説『人間革命』収録にあたって 「池田大作全集」刊行委員会 2012年7月3日
「宗門が、広宣流布を推進してきた仏意仏勅の団体である創価学会の崩壊を企て、〃波紋〃し、仏法破壊の元凶と成り果てた今、『人間革命』をそのまま、全集に収録してよいのか」ーという問題提起が、当然のことながら、刊行委員会で為されたのである。
全集は名誉会長の思想、哲学を後世に誤りなく伝え残すことを、大きな使命としている。それは、翻訳され、」世界の人々の目にも触れることになる。もし、これまでの『人間革命』がそのまま収められていれば、宗門事件の真実を知らない人々は、宗門が正法正義を守り、大聖人の御精神を受け継いでいるかのように思い込んでしまうおそれがなきにしもあらずである。そうなれば、宗門が邪宗門と成り果てた現実が広く知られていたとしても、混乱をもたらし、人々の信仰自体を誤らせてしまいかねないと危惧したのである。
『人間革命』の全集の収録にあたって名誉会長が、あえて推敲にお労作業をお引きうけくださったのも、日蓮大聖人の御精神は、その信心の正義の血脈は、広宣流布に生き抜く創価学会にこそ脈打っているいることを、未来永遠に伝え残そうとされたからにほかなるまい。 2017/12/02 10:55
戸田城聖著 小説人間革命(上)文庫本に寄せて 昭和47年4月20日 池田大作
その恩師を念う、先生の確たる振る舞いの中に、仏法に結ぶ、尊厳ともいうべき、崇高な師弟の道が、烈しく燃焼していた。私は更めて生死は不二、師弟は不二なることを色読する思いであった。
先生は聖教新聞が発刊される直前、この連載小説の最初の原稿を私に見せて下さった。「小説を書いたよ。いよいよ新聞を出すからには、小説だって載せなければならないだろう」と言われながらー。この時、私は密かに決意した。先生の偉大な理念と真実を伝えるため、やがて続「人間革命」ともいうべきものを書かなければならないな、と。
2017/11/19 9:49
人間革命 第1巻 一人立つ 236p
われわれの生命は、間違いなく永遠であり、無始無終であります。われわれは、末法に七文字の法華経を流布すべき大任を帯びて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、所詮、われわれこそ、まさしく本化地湧の菩薩であります。
一人立つ 237p
広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。
2014.12.13 衆議院選挙前日
人間革命 第1巻 占領 180p
広宣流布は、信教の完全な自由のもとでなければ、達成は困難である。--戸田は、かねてから、そう考えていた。
今、その自由の日が訪れた。日蓮大聖人が御在世当時以来七百年、このような自由の時代は、ただの一度もなかった。
・・・・・・・・・・・
彼は、心につぶやき続けた。わが身の自由は、そのまま広宣流布への宗教活動の自由に通じる。自身ののこされた生涯が、そのためにあることを、彼は深く自覚していた。握り締めた手は、いつしか、じっとりと汗ばんでいた。
2014.11.26
人間革命 第1巻 終戦前後 136p
大聖人も、一人の真の弟子をおつくりになるという、その困難なことから始められたのだ。
2014.11.22
人間革命 第1巻 終戦前後 128p
大聖人滅後後六百六十数年ーその間、誰一人、現実には、その予言の真実を覚知しなかった。あるいは理論として、概念的には説く人があったかもしれない。
しかし、その生命哲理の偉大さを、如実に知り、悟らざるを得なかったのは、いったい誰か・・・・。
戸田は、深い思いにふけりながら、感動に身を震わせていた。
まさしく、時は到来した。この時を外して、未来永劫に広宣流布の時はない。絶対に、この時を外してはならない。妙法流布の条件は、ことごとくそろった・・・・・。
2014.11.21
人間革命 第1巻 再建 85p
今、出獄後の戸田は、極度に健康を害し、死の一歩手前とさえ思えた。さらに、全事業は壊滅そのものである。
2014.11.20
人間革命 第1巻 黎明 54p
彼は、御本尊に顔をすりつけるようにして、一字一字、たどっていった。
゛確かに、この通りだ。間違いない。全く、あの時の通りだ・・・・・゛
彼が獄中で体得した、不可思議な虚空会の儀式は、御本尊に、そのままの姿で厳然としてしたためられていた。
彼の心は歓喜にあふれ、涙は滂沱として頬を伝わっていった。彼の手は、震えていた。心に、彼は、はっきりと叫んだのである。
御本尊様! 大聖人様! 戸田が、必ず広宣流布いたします。
゛慌てるな、焦るな。じっくりやるんだ。どうしてもやるんだ・・・・・゛
2014.11.11
令名第1巻 47p
彼は、仏壇の前に座って御本尊に向かい、ひれ伏して動かなかった。
2022.7.7
人間革命 第1巻 黎明 41p
よき種は、よき苗となり、よき花が咲こう。よき少年は、よき青年となる。よき青年は、よき社会の指導者と育とうーこれが、彼の信条であった。
人間革命 第1巻 黎明 27p
戸田城聖は、そんな空気には、いささかも頓着しない。彼は、電車の中でも、街のなかでも、いつも庶民と共に生きていく指導者であった。
2014.11.5 昭和36年11月5日 国立競技場 男子部10万結集
人間革命 第12巻 宣言の章 166p
山本伸一が、葛飾総ブロック長として活動を開始し始めて間もないある日、戸田城聖は伸一に言った。「伸一、また、君の朝の授業を始めよう。将来のために、私は、もっと多くのことを教えておかなければならないと思っている。君を、世界一流の大指導者に育て上げるのが、私の責任だからな」
・・・・・・・・・・
今も、戸田の忙しさは、決して変わっていなかった。しかも、彼の肉体は、間違いなく衰弱しつつあった。その戸田が、また再び、朝の講義を行おうというのである。
「しかし、それでは先生のお体が・・・・・・」
伸一が言うと、戸田は答えた。
「そんなことは、君の心配することではない」
驚くほど厳しい口調であった。
それから戸田は静かに、胸の思いを吐露するように言うのだった。
「伸一、私は人間をつくらなければならないのでよ。広宣流布を成し遂げる本当の後継者を、命をかけても、私は、それをしなければならぬ。伸一、学べ、すべてを学んでいくんだよ」
烈々たる気迫のこもる言葉であった。
伸一は、「はい!」というと、深く頭を垂れた。
戸田の限りなく大きな慈愛に胸が締めつけられる思いがし、目頭が熱くなった。
真剣勝負の朝の授業が再び始まった。戸田は、死力を振り絞るようにして、講義を続けていった。彼の授業は、歴史の話から政治、経済、文学へと広がり、哲学にいたり、さらに、仏法の眼から、それらの事象をいかにとらえるかに及んだ。縦横無尽な広がりをもち、それでいて深淵な講義であった。
日ごと、戸田は伸一の顔を見ると、「昨日はなんの本を読んだか」と、厳しく尋ねた。
窓から差し込む朝の光のなかで、師は一人の愛弟子に、自らの知識と、智慧と、思想と、魂とを注いでいった。
伸一は、師の白熱の慈愛を浴びる思いで、感動に打ち震えながら、一心不乱に学びに学んだ。戸田は、彼の後継の、分身ともいうべき山本伸一の大成の総仕上げのために、命を削るようにして、最後の薫陶を開始したのである。
池田先生は戸田先生のご逝去の時、参謀室長と共に葛飾で総ブロック長として指揮をとられていた。葛飾の広宣流布の使命はあまりにも深い。
☆師弟共戦☆
2014.10.15 18:00
人間革命 第12巻 宣言の章 165P
青年部の室長としての激務のうえに加わった葛飾での戦いは、彼の疲労をいたく募らせ、微熱にさいなまされた。
しかし、伸一は、ますます闘志を燃やし、祈りには一段と力がこもった。
活動から拠点に戻ると、彼は真っ先に仏壇の前に座り、唱題に励んだ。同志のトラックに乗せてもらい。会場から会場に移動する間さえも題目を唱え続けたのである。一分一秒の時間を惜しんでの唱題であった。
葛飾の総ブロック長としての伸一の戦いは、戸田城聖が逝去し、伸一が会長に就任する前年の59年(昭和34年)7月まで続けられた。
2014.10.15
人間革命 第12巻 宣言の章 164P
「皆さん方一人ひとりを、直接、指導してさしあげたいというのが、戸田先生のお気持ちです。しかし、時間的にも、それは不可能なので、先生のパイプ役として、私が葛飾に来ているんです」・・・・・・・
幹部は、どこまでも、先生と会員をつなぐパイプなんです。・・・・・・・・・
学会の強さは、戸田城聖と一人ひとりの同志との精神の結合にこそあった。広宣流布の大願に生きる、戸田との共戦の気概が脈打っていない組織であれば、それは、もはや、烏合の衆に等しいといえよう。
葛飾の同志は、次第に戸田を、そして、本部を身近に感じ始めるようになった。彼らは自らの心のなかに、戸田城聖の息づかいを感じ、戸田の指導を、自分に対する指導であると、思えるようになっていった。そして、一人、またひとりと、己心の戸田に誓い、その誓いを果たすべく、自発的に戦いを開始したのである。
2014.10.15
人間革命 第12巻 宣言の章 162P
ブロック長の皆さんであれば、月々のブロックの活動を、お手紙で報告してもよいでしょうし、自分自身のことや、家庭のことを報告することもかまいません。だれにも遠慮などする必要はないんです。皆さんは、戸田先生の弟子ではありませんか。
また、私も、なるべく本部に行っているようにしますから、私を訪ねて、どんどん本部に来てください。幹部のための本部ではなく、会員のための、皆さんのための本部なんですから」
2014.10.15
人間革命 第12巻 宣言の章 162P
組織を図に表わす時には、便宜上、ピラミッド型にしますが、それは精神の在り方を示すものではありません。学会の組織の本義からいえば、戸田先生を中心にした円形組織といえます。皆さんと戸田先生のあいだには、なんの隔たりもありません。皆さん方一人ひとりが、その精神においては、本来、先生と直結しているんです。
2014.10.15
人間革命 第12巻 宣言の章 161P
学会の広宣流布への原動力は、1951年(昭和26年)5月3日、戸田城聖が第二代会長に就任した日の、あの75万世帯への大獅子吼にほかならない「75万世帯の折伏は、私の手でいたします」と、一人立った戸田の決意と確信に触れ、全同志がそれに相呼応することによって、広宣流布の未曾有の伸展があったのである。つまり、戸田城聖の広宣流布への一年こそが、学会の戦いの電源であり、それにつながることによって、戦いの歯車は、勢いよく回転してきたといってよい。
2014.10.15 妻とゆみ 誕生日
人間革命 第12巻 宣言の章 160P
伸一は、懸命に動いた。自分が動いた分だけ、広宣流布の前進につながるというのが、これまでの戦いを通して、彼がつかんだ確信であった。会合終了後、家庭指導をして、自宅に帰ると、深夜になることも少なくなかった。葛飾区内といっても、場所によっては、大田区の自宅まで、二時間近くを要したのである。
しかし、彼は、丈夫ではない自らの体をかばおうとも、労を惜しもうともしなかった。広宣流布の新時代の幕を開くために、この葛飾に、ブロックの模範を築き上げることが、自分に課せられた使命であると、強く、深く、決意していたからである。
山本伸一が、葛飾の同志と語り合う中で実感したことは、戸田城聖や本部を身近に感じている人が、極めてすくないということであった。何かあれば本部へ、という雰囲気が乏しいのである。
葛飾は二十三区のなでは、学会本部から遠いことは確かである。しかし、問題は決してそれだけではなかった。同志の多くは、自分たちの上には、支部長や地区部長など、幾重にも幹部がいるのだから、直接、本部を訪ねたりするのは、恐れ多いことであり、控えるべきであるとの思いをいだいてきた。
つまり、会員と本部とを隔てる、心の壁ができているのである。支部中心のタテ線の活動が定着していくにつれて、いつの間にか、一人ひとりが本部に直結していくという意識が、薄らいでいってしまったのであろうか。
もし幹部が幹部が会員の上に君臨して組織を私物化し、会員が、師を求めて、本部に行くことを憚るような組織であれば、戸田の精神とは、全くかけ離れた、硬直化した官僚組織であり、広宣流布を阻害するものとなってしまう。
2014.10.14 今野部長から電話あり
人間革命 第12巻 宣言の章 159P
彼の行くところ、どこでも明るい対話の花が咲いた。その対話のなかから、新たな創意工夫がうまれていった。
2014.10.14
人間革命 第12巻 宣言の章 158P
「もし、会合の参加者にのみ焦点をあわせ、組織が運営されていくならば、本来、指導の手を差し伸べれるべき多くの人を、見落としてしまうことになる。
ひとたび、組織の責任者の任命を受けたということは、戸田先生の大事な弟子を、先生からお預かりしたということです。その人たちを悲しましたり、退転させてしまうようなことがあっては、絶対になりません」
伸一の意識は、むしろ、会合に参加できなかった人に向けられていたといってよい。彼は、会合終了後の家庭指導こそが、勝負であると心に決めていた。そして、同志が元気になり、希望と勇気を持てるためには、どんなことでもした。共に記念のカメラに納まることも、色紙に励ましの言葉を揮毫して贈ることもあった。さらに寸暇を惜しんで、激励の手紙を書いた。
2014.10.10
人間革命 第12巻 宣言の章 156P
葛飾総ブロック結成大会は、喜びのなかにその幕を閉じた。会場を後にする人びとの足取りは軽く、胸には、希望のかがり火が赤々と燃えていた。葛飾にブロックの模範をーーこれが、その日以来、葛飾の同志の合言葉となったのである。
伸一は青年部の室長として、全国各地を東奔西走しながら月数回のブロックの日には、勇んで葛飾にやってきた。当時、ブロックの日は、毎週水曜日になっていた。伸一は、そのつど、指導会、座談会、御書講義と、全力で奔走した。時には、自転車を借りて、駆け巡ることもあった。
また、伸一は、会合のあとには、必ずといってよいほど、家庭指導に回った。
家庭指導のない組織には、真の団結も生まれることはない。
平成26年10月 葛飾平和講堂にこの時の自転車のレプリカか設置された。
2014.10.6
人間革命 第12巻 宣言の章 154p
創価学会といっても、それは皆さんを離れてはありません。皆さんの大ブロックが、ブロックが、そのまま創価学会です。そこが歓喜にあふれているか、功徳に満ちているか、温かい人間の交流があるかーそれ以外に広宣流布の実像はありません。
どうか、『私が創価学会の代表です』と言える一人ひとりになってください。また最高のブロック、大ブロックをつくってください。自分の担った分野で、最高のものをつくり あげていくーーそれが、戸田先生との共戦の姿であり、弟子としての戦いです。やろうじゃありませんか!」
「最後に、私たちが戦いを起こすうえで、最も大切なものは何かを述べておきたいとおもいます。それは勇気です。朝起きるにも、勤行をするにも勇気が必要です。また、悪いことを悪いと言い切るにも、勇気がいります。人生も、広宣流布もすべては勇気の二字できまってしまう。」
2014.10.3
人間革命 第12巻 宣言の章 152p
また、勤行の姿勢が、その人の生き方に表れます。弱々しい勤行の人は、生命力も乏しく、どうしても弱々しい生き方になっていくし、義務的な勤行であれば、信心の歓喜はなかなか得られません。お互いに、白馬が天空を駆けるような、リズム感あふれる、すがすがしい勤行をしていきましょう。
そして、真剣な祈りを込め、大宇宙を動かし行くような、力強い、最高の勤行を、日々めざしいこうではありませんか。
その意味から、私は、わが葛飾総ブロックは『朝晩の勤行をやりきる』ということをスローガンに掲げて、前進したいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」
学会の飛躍的な発展の源泉は、一人ひとりの会員に、勤行の実践を徹底して教えてきたことにあった。また、そこに偉大なる宗教革命もあったのである。
2014.10.2
人間革命 第12巻 宣言 151p
では、模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。まず、全会員が、しっかり勤行できるようにすることです。柔道にも、剣道にも、基本がありますが、幸せになるための信心の基本は、勤行にあります。日々、真剣に勤行し、唱題を重ねた人と、いい加減な人とでは、表面は同じように見えても、三年、五年、七年とたっていった時には、厳然たる開きが出てきます。
宿業の転換といっても、人間革命といっても、その一切の源泉は、勤行・唱題にほかなりません。
2014.9.30
人間革命 第12巻 宣言 150p
ブロックの模範を作るということは、幸せの模範を作るということです。この葛飾を、皆で力を合わせ、東京一、いな、日本一の、幸せあふれる地域にしていこうではありませんか!
2014.9.28
人間革命 第12巻 宣言 148p
九月二十五日夕刻、東京・葛飾区亀有の、葛飾総ブロック結成大会の会場には、三々五々と学会員が集ってきた。刈り入れを待つ稲穂が風にそよぐ、日暮れの田ぼ道を行く同志の表情は、喜々としていた。
山本伸一が到着した時には、会場は千数百人の人であふれていた。午後七時、結成大会は開会となった。
伸一が総ブロック長として葛飾に来たということは、この葛飾から広宣流布の新しいうねりが起こるであると、だれもが確信していた。
私が葛飾に来たのは、ただ任命を受けたからではありません。私はこの葛飾に、全国に先駆けて、模範的なブロックをつくるために来ました。戸田先生は、常に葛飾の皆さんのことを考えられ、そして、私にこの、『今度は葛飾だ』と言われて、派遣されたんです。」
それは、ブロックの模範を、皆さんと共に、この葛飾につくりなさいという意味にほかなりません。戸田先生は、葛飾の皆さんなら、必ずそれができると信じて、私を派遣されたんです。私も、模範のブロックをつくる方々は、皆さんしかいないと確信しております」
2014.9.27
人間革命 第12巻 宣言 141p
伸一は、二十五日夕刻、本部に戻り、戸田に総登山の輸送計画について報告すると、直ちに葛飾に向かった。この日の夜、伸一が総ブロック長に就任した葛飾総ブロックの結成大会行われたのである。
葛飾は、東京二十三区の北東部に位置し、江戸川と荒川に挟まれて大小の河川が流れる「東京の水郷」ともいうべき地域である。区内には、家内工業を中心とした小さな企業が多く、人々には、気取りのない下町気質あった。
伸一は、人情味に富み、庶民の温もりが漂い、のどかな田園風景が広がる、この葛飾が好きだった。
彼は、車窓から景色を眺めながら、葛飾の未来に思いをめぐらしていた。
時代の流れは、やがて、これらの水田を一大住宅地に変えてしまうであろうが、それだけに限りない未来性を秘めた地域といえる。二十年後、三十年後には、東京の広宣流布を決する心臓部となるだろう。
伸一は、東京の、また、日本の広宣流布の未来のために、この葛飾に、全国に先駆けて模範のブロックをつくろうと、固く決意していた。
2014.9.26
人間革命 第12巻 涼風 23p
「伸一君、私は、『人間革命』を書いていて思ったんだが、信仰という人間の内面世界を語るためには、どうしても、小説という手法をとらざるを得ない面があるな。私の獄中の体験も、以前『創価学会の歴史と確信』に書きはしたが、小説でないと、細かい内面の描写はできないものだ。
これは想像だが、もそ、日蓮大聖人が今日、生きておられたら、小説の手法を用いられた御書も、残されていたのではないだろうか」
2014.9.26
人間革命 第12巻 昭和32年8月28日 豊島公会堂 本部幹部会
93p 本部幹部会では、ブロック制の改革も発表され、まず東京都内の各区に、総ブロック長制が敷かれた。新しいブロック組織は、総ブロック長、大ブロック長、ブロック長、小ブロック長という体制で出発することになったのである。
山本伸一も、この日、葛飾区の総ブロック長の任命を受けた。
2014.9.21