池田先生と共に新時代を築く 2020.3.3 創価の女性は「希望の太陽」
新型コロナウイルスの感染拡大の防止に、日本も世界も挑む今、私たちはいやまして強盛に獅子吼の題目を唱え、一日も早い終息と安穏を異体同心で祈りたい。 2020/03/05 9:43
池田名誉会長 世界中の知性と「後世のために」2001.3.20
世界中の知性と、教育、哲学、文学、また文明論、未来学、人権、環境、宇宙論、未来学、人権、環境、宇宙論等々、縦横に語り合う予定です。私は真剣です。これからさらに「世界の知性との対話」を残していく決心です。「後世に何を残すか」ーこれが、私の勝負であり、仕事なのです。
2014.11.11
「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ今生人界の思いでなるべき」と説かれている通りである。真実をありのままに、毅然と言い切っていく強さが折伏精神である。学会精神である。この誇り高き強さがあったから、今日の学会があるのだ。
そして、戸田先生は次のように教えられた。-仏法の難解な法理をいきなり説いても、理解されるものではない。時には、文学に話題を広げ、また、音楽を論じ、絵画についても語り合いながら、心広々と、心豊かに、この大法を弘めていくのである。
一体一の対話を積み重ね友情を拡大しゆく人生が最も尊い。
2014.11.5 男子部10万結集 昭和36年11月5日
2014.10.15 健康・病気 2009.4.19 全国代表者会議
同志の皆様の深き祈りのおかげで、私は、ますます健康である。この創価の運動の大隆盛を、当たり前と思ってはならない。広宣流布は難事中の難事である。簡単な戦いなど一つもない。
2014.10.15 随筆 新・人間革命 2003.3.13
真に偉大な事業は五十代、六十代からが勝負だ。学会が創立された時、牧口先生は五十九歳、戸田先生が第二代会長に就任されたとたのは五十一歳。私が名誉会長になったのも五十一歳である。
壮年部が燃え立つならば、婦人部も、男女の青年部も、安心する。いな、全軍が炎となって猛然と奮い立つことは間違いない。
広宣流布も行動で決まる。自らが動いた分だけ。、語った分だけ、我が地域の゛平和の地図゛は拡大する。祈りに祈り、心を砕いた分だけ、゛幸福の地図゛は光を放っていくのだ。
2014.10.14 対談 2009.9.30 全国代表幹部会
これまで会った世界の指導者、識者は7000人を超える。一対一の対話を重ねてきて、新しき人間主義の潮流をつくりあげてきたのである。
10月6日
婦人部合同研修会 昭和61年11月23日 創価文化会館
藤山寛美氏は、本年六月に「聖教新聞」の日曜てい談にも登場している。私も拝見したが、平凡のように見える言葉の中に、やはり芸の道で、何十年にもわたって苦悩し、修行してきた結晶のような輝きを感じとった。偉大な役者であると思うし、戸田先生も、舞台観賞を通して「若くして、たいしたものだ」と言われていたことが耳朶から離れない。
10月4日
生命
誰人も死はしりぞけられません。人間だれしも、いつかは死んでいく。しかし、その生命を妙法のために捧げていけば、その魂は、御本仏日蓮大聖人の生命と一致します。大宇宙の仏界の大生命と一体化していくのです。妙法を弘めるために働き、妙法のために苦労して戦い、妙法のために人生を生き切る人は最極の生命と生命の次元に融合する。
どんな大学者も大富豪も絶対に適わない。最極の境涯を開いていけるのです。すべてを歓喜の中の大歓喜に変えてゆく妙法です。妙法に生き抜けば「生も歓喜」「死も歓喜」という絶対的な幸福境涯を勝ち取れるのです。そのための今世の修行であり今の労苦です。
御書と師弟 第七回 不惜身命と現代
10月2日
御書・教学
いつか将来、仏になるのではない。広布へ戦う、そのままの自分に仏の大生命が躍動するのである。
2009.3.10
9月30日
師弟
たとえ、遠くにいたとしても、たとえ、会わなかったとしても、広布に戦う師と弟子の心は、常に一体だ。それが師弟不二だ。
2019.1.13 本幹スピーチ
9月27日
婦人部
偉大なる尊き母の交響楽 子供がいなくても母は母だ。2009.1.10
9月27日
師弟
仏の入滅を転機として、゛救われる弟子゛から゛救う弟子゛へと転換したのです。これこそ法華経の精神です。だから「如是我聞」の心とは、弟子が決然と立ち上がることです。「さあ、師と同じ心で、民衆を救っていくぞ」と、困難を求めて突き進む、その゛大闘争宣言゛とはいえないだろうか。
法華経の知恵 1巻 99ページ
9月26日
壮年部
勝って、勝って、勝ちまくれ、そして、歴史に残る人物たれ。
全国代表者会議 2009.1.31
9月25日
未来部
そうか、だけど、自分の腹を痛めた子供だけが、子供ではないぞ。いつか、これが我が子と思える子に恵まれる。そういう境涯になれる日が、きっと来る。 池田先生と板橋区。 2009.6.19
9月21日
文化
私が、多くの反対のあるなか、あえて民音を創立したのも、ただ世界平和を願う一心からであった。 2009.2.24
9月20日
祈り
リーダーは、皆の苦しみをわが苦しみとし、皆の喜びをわが喜びとして、親身になって尽くして行くことです。一緒に勤行し、一緒に題目を唱えていくことが大切です。 御書と師弟 09.
9月19日 仕事
一番安い下駄を買いに来るお客さんを大事にすることです。
2009.8.4
9月18日
折伏
戸田先生も、繰り返し叫ばれた。「折伏精神以外に信心はないと覚悟することだ」5.3記念代表者会議
2009.5.8
9月12日
葛飾 まぶしい顔した青年たちの中心に、自分と同じ昭和三年生まれの人物がいた。「うーん、一瞬で若者の心をつかむなんて、たいした方だ」その瞳は、じっと池田大作名誉会長をとらえていた。
池田名誉会長である。まっすぐポスターに向かう、役員からペンを借り、「かつしか」の右下にさらさらと2文字書き加えた「ない」
名誉会長は振り向いた。
「葛飾は、私が初代総ブロック長として戦ったところです。葛飾は「勝つしかない」んだ。
青年部の池田室長が第一歩を記したのは昭和三十年の二月二十七日の日曜日である。香峯子夫人の誕生日であった。東四つ木の運送屋で開かれた、連合地区座談会。230人が集った。
二階の会場に入りきれない。一階の駐車スペースまで、人が溢れた。
総ブロック結成大会。昭和32年9月25日に亀有で行われた。「私は人に言われて葛飾に来たのではない」。室長の気迫が堂内を圧する。「自分で決めて来たのです。全国に先駆けて、葛飾に模範のブロックをつくりに来たのです」「葛飾の戦い」が始まった。
室長の会合は楽しかった。よそがブロックの日に一休みしているあいだ、葛飾はリードを広げてい、下町葛飾は東京では田舎に見られていた。「これから私は、学会全体を見ないといけない、しかし、私がいつも葛飾で指揮ととっていると思って戦いなさい」
二万の心意気
署名簿に二つの揮毫
「葛飾の友の幸せ祈る日々この身捧む門下守りて」「此の世の共戦此の世の人生」葛飾こそ池田門下の筆頭だ。師とともに今世の共戦の歴史を飾るのだ。平成十四年五月五日、葛飾平和講堂。振り向くと名誉会長夫妻が立っていた。「東京一、日本一の折伏で頑張った葛飾に敬意を表して来たよ」
勝利の太陽は東から昇る。 09.4.17
9月10日
一家のことを、一国のことを、さらに動乱の世界を考えた時、私はこの世界から、一切の不幸と悲惨をなくしたい。これを広宣流布という。どうだいっしょにやるか。
09.3.20 第10回法華経の兵法
9月7日
自分自身の健康、長寿も、絶え間なき病気との戦いにによって勝ち取っていくものです。戸田先生は微笑されながら言われました。「われわれの姿は、貧乏菩薩や病気菩薩に見えるが、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地湧の菩薩なんだ人生の劇ならば思い切って楽しく演じ、妙法の偉大さを証明していこうではないか」 09.3.19
9月5日
私は、牧口・戸田両先生の弟子として、全世界の指導者、識者と対話を重ねてきた。その数は七千人を超えるようだ。
人間世紀の光 対話こそわが人生 09.6.28
9月1日
戸田先生は「さきほどの体験にあるような功徳は、まだ功徳のうちに入りません。私の受けた功徳をこの講堂一杯とすれば、ほんの指一本ぐらいにしか当たりません」如我等無異と報恩09.3.7
9月2日
大阪の約半年間、室長は訪問指導だけで八千人とあった。その足跡を取材班が赤ペンでマークすると、大阪の地図は、ほぼ真っ赤に塗りつぶされた。09.2.
8月29日
幹部は第一線を足まめに歩け。新たな突破口を自らが勇敢に開きゆけ。
人間世紀の光 09.1.6
8月28日
もし、日本正学館の経営が順調で、師弟が幸福な編集者生活を送ったとしたら、結果論であるが、今日の創価学会の発展があったかどうか疑問である。
池田大作ーその行動と軌跡 09.1.7
8月25日
大難の嵐の中、私が会長を辞任した時には「ご苦労様でした」「これで、世界中の同志の皆さんのところへ行けますね」と笑顔で語る妻であった。
全国代表幹部協議会 09.2.2
8月23日
闘争力とは,勇んで第一戦に立つ生命力だ。
広布の賢者壮年部08・12.18
8月24日
壮年部よ今こそ、青年の気概に立て。風雪に揺るがぬ威風堂々の「黄金柱」たれ。
09.3.6 わが友に贈る
8月23日
創立80周年という大きな佳節にあって、大事な戦いはを決しゆく出発が、本日の本部幹部会であります。ゆえに、私はきょうは、あえて出席いたしません。厳然と一切を見守っておりますから、原田会長を中心に、皆で明るく元気いっぱいに行いなさい。
2010年6月4日 名誉会長メッセージ