99
読了日 1979年4月30日
肌色あつめ Roman Bookus 川上宗薫
2015.4.8
98 新潮 21年3月号
読了日 1979年4月28日
文字とことばと文学と 高橋健二
2015.4.8
97 37年11月号
読了日 1979年4月26日
女体 近藤啓太郎
2015.4.8
96 新潮 21年3月号
読了日 1979年4月26日
失われた青春 竹山道雄
2015.4.8
95 新潮 21年3月号
読了日 1979年4月25日
雪の上の足跡 堀 辰夫
2015.4.8
94 新潮 21年3月号
読了日 1979年4月23日
文章の作法 桑原武夫
2015.4.23
93 新潮 21年3月号
読了日 1979年4月24日
わが胸の底のここには 高見順
2015.4.8
92 新潮 21年3月号
読了日 1979年4月24日
師弟の問題 河盛好蔵
真に正しい師弟の道は、両者相互間の絶えざる精神的練磨にあるであろう。かくして弟子に与えられた、もしくは弟子の獲得した倫理的背骨の強さ如何が、真に良き師であり、また良き弟子であったかどうかを示すものであろう。
明治35年10月4日(1902)大阪府堺市に生まれる。親友に吉川幸二郎がいる。
2015.4.8
91 新潮 21年3月号
読了日 1979年4月23日
若き日の日記 ジイド
2015.4.8
90 新潮 21年2月号
読了日 1979年4月20日
灰鹿 内田百聞 明治21年5月29日~昭和46年4月20日
2015.4.8
89 新潮 21年2月号
読了日 1979年4月20日
世界文化情報 アメリカの科学
2015.4.8
88 新潮 21年2月号
読了日 1979年4月18日
藝術百一話 アラン(1868~1951)
藝術論集の草稿も戦場で書かれた。
2015.4.8
87 潮 5月号
読了日 1979年4月16日
心に残る人びと 池田大作
品性や分別を伴った知識はまさに力である。
2015.4.8
85 新潮 21年2月号
読了日 1979年4月14日
雨 林芙美子
2015.4.8
84 新潮 21年2月号
読了日 1979年4月11日
挿話 川端康成
2015.4.8
新潮 21年2月号
読了日 1979年4月11日
英文学の再出発 本多顕彰
2015.4.8
83 新潮 21年2月号
読了日 1979年4月11日
荷風を読む 北原 武夫
2015.4.8
82 新潮 昭和21年2月号
読了日1979年4月11日
文学修業 桑原武夫
2015.4.8
81 新潮 昭和21年2月号
読了日 1979年4月11日
佐藤とフランス文学 渡辺一夫
2015.4.8
80 新潮 昭和21年2月号
読了日 1979年4月11日
アメリカ文学を占う 西川正身
2015.4.8
78 新潮 昭和21年2月号
読了日 1979年4月10日
英文学の再出発 本多 顕彰
2015.4.8
76 新潮 昭和21年2月号
読了日 1979年4月10日
支那小説の地位 吉川幸二郎 42歳
2015.4.8
75 新潮 昭和21年2月号
読了日 1979年4月10日
嘘 太宰 治 (津島修治) 明治42年6月19日 生まれ
2015.3.26
74 新潮 昭和21年2月号
読了日 1979年4月10日
健康な文学 武者小路 実篤 明治18年5月12日生まれ 61歳の時の作品
「娯楽だけの文学は,我らを怠け者にし、時間を浪費させ、後味を悪くさせる。さらにそういう文学を我らは尊敬するわけにはゆかない。
我らが尊敬出来、信頼できる文学は、我らの心を、より新鮮に、より美しく、より生々と、より賢く生かす事を得させてくれる文学である。この喜びを與へてくれる文學は、我らの心の糧になる文学である。」
2015.3.26
73 新潮 昭和54年4月号
読了日 1979年4月9日
錨をあげて 高橋三千綱
2015.3.26
72 新潮 昭和54年4月号
読了日 1979年4月8日
櫛の縁 芝木 好子
2015.3.26
71 新潮 昭和48年10月号
読了日 1979年3月31日
流れゆく日々(32) 石川達三
70 新潮 昭和48年10月号
読了日 1979年4月6日
光は東方より 山田智彦
2015.3.24
69 昭和54年 潮4月号
読了日 1979年3月28日
アフリカの御馳走 川田順三(文化人類学者)
2015.3.24
68 昭和54年 潮4月号
読了日 1979年3月27日
春の薩摩の一人旅 古山高麗雄
2015.3.24
67 昭和54年 潮4月号
読了日 1979年3月27日
モヘランジェロ紀行Ⅲ
井上 靖
2015.3.24
66 方丈記精釈 加藤中道館
読了日 1979年3月27日
尾崎 暢殃
2015.3.24
65 中国・古典選 朝日新聞社
大学・中庸 島田虔次
2015.3.24
64 新潮 昭和45年11月号
読了日 1979年3月30日
立ち盡す明日 柴田 翔
2015.3.24
63 新潮 昭和54年3月号
読了日 1979年3月24日
加賀乙彦・近くて遠い友人として なだいなだ
2015.3.24
62 新潮 昭和54年3月号
読了日 1979年3月24日
常識人ー阿川弘之「米内光政」 三浦朱門
2015.3.20
61 新潮 昭和54年3月号
読了日 1979年3月24日
ルクスの唄 300枚 高城修三
2015.3.20
60 新潮 昭和53年8月号
読了日 1979年3月23日
満願 高城修三
2015.3.20
59 新潮 昭和37年3月号
読了日 1979年3月23日
西洋祈りの女 100枚 宇野鴻一郎
2015.3.20
57 率直なところ 三浦哲郎
58 構成の問題 大江健三郎
56 第九回 新潮新人賞発表
読了日 1979年5月22日
榧の木祭り昭和52年・8 高城修三
2015.3.22
55 新潮 昭和47年8月号
読了日 1980年8月号
おのが身の闇[蕪村] 安岡章太郎
2015.3.18
54 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月18日
秋成[悪霊]たち[雨月物語] 後藤明生
2015.3.18
53 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月18日
醒めきった情熱者[西鶴] 開高 健
2015.3.18
52 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月18日
狂う所を花に当てて[風姿花伝] 大江健三郎
2015.3.18
51 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月18日
批評家の墓[徒然草] 阿部 昭
2015.3.18
50 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月15日
語りものの文芸の息吹き[戦記物] 辻 邦生
2015.3.17
49 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月15日
政治と詩の淵から[源実朝] 田久保英夫
2015.3.15
48 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月15日
観察者の力[方丈記] 高井有一
2015.3.15
47 新潮 昭和47年7月号
読了日 1979年3月15日
物語の裏にある生臭ささ[今昔物語] 立原正秋
2015.3.16
46 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月14日
偽紫式部日記[源氏物語] 瀬戸内晴美
2015.3.16
45 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月13日
月やあらぬ[伊勢物語] 吉田知子
2015.3.16
44 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月13日
詩にかえるよすが[古今集] 倉橋由美子
2015.3.16
43 新潮 昭和47年8月号
読了日 1979年3月13日
万葉びとの声[万葉集] 檀 一雄
2015.3.15
42 新潮 昭和54年3月号
読了日 1979年3月8日
小説はどうなるか 田宮虎彦
2015.3.14
41 新潮 昭和37年3月号
読了日 1979年3月12日
純文学と昭和文学 高見 順
2015.3.14
40 新潮 昭和47年1月号
読了日 1979年3月12日
ナポレオンの眼 大岡昇平
2015.3.14
39 新潮 昭和30年5月号
読了日 1979年3月5日
小説 坂口安吾 檀 一雄
2015.3.14
38 新潮 昭和30年5月号
読了日 1979年3月19日
日本文学雑談 川端康成 サイデンステッカー 船橋聖一
2015.3.14
37 新潮 昭和38年5月号
読了日 1979年3月20日
作者と作品 庄野潤三
2015.3.14
36 新潮 昭和38年5月号
読了日 1979年3月20日
藠軍人と平家物語 杉森久英
2015.3.14
35 新潮 昭和38年5月号
読了日 1979年3月20日
心苦しい善意 遠藤周作
2015.3.14
34 新潮 昭和38年5月号
読了日 1979年3月19日
新思潮のころ 梶山 季之
2015.3.13
33 新潮 昭和38年5月号
読了日 1979年3月20日
受賞以後 川村 晃
2015.3.13
32 新潮 昭和38年5月号
読了日 1979年3月20日 孝明30歳
200枚 性的人間 大江健三郎 昭和10年月31日愛媛県喜多郡大瀬村に生まれた
2015.3.13
31 新潮 昭和54年3月号
読了日 1979年2月20日
昭和廿年八月の記念に 三島由紀夫 大正14年1月14日昭和45年11月25日
2015.3.13
30 新潮 昭和54年1月号
読了日 1979年2月6日
洗面器の唄 開高 健
2015.3.13
29 新潮 昭和54年1月号
読了日 1979年2月15日
黒い煎餅 阿川 弘之
2015.3.13
28 新潮 昭和54年1月号
読了日 1979年2月6日
二重の誤解 大岡 昇平
2015.3.13
27 新潮 昭和54年1月号
読了日 1979年1月14日
焔 髪 吉村 昭
2015.3.13
26 新潮 昭和54年1月号
読了日 1979年1月4日
思いやりの哲学 吉川幸次郎
2015.3.13
25 新潮 昭和54年1月号
読了日 1979年1月3日
鳩よ 水上 勉
2015年3.12
24 新潮 昭和54年1月号
読了日 1979年1月2日
人間の中の病気 倉橋由美子
2015.1.2
23 新潮 昭和54年1月号
読了日 1979年1月1日
花咲爺 円地 文子
2015.3.12
22 新潮 昭和53年12月号
読了日 1979年2月26日
三千世界に梅の花 富岡多恵子
2015.3.12
21 新潮 昭和53年11月号
読了日 1978年11月2日
彼女の試み 高橋三千綱
2015.3.12
20 新潮 昭和53年11月号
読了日 1979年3月6日
250枚 平和の海と戦いの海 平川祏弘
2015.3.12
19 新潮 昭和53年8月号
読了日 1978年9月12日
幻の光 宮本 輝
2015.3.12
18 新潮 昭和53年7月号
読了日 1978年 昭和53年7月10日
日本人の死生観 八木義徳
2015.3.12
17 新潮 昭和53年7月号
読了日 1978年 昭和53年8月30日 孝明28歳
遠い日の戦争(400枚) 吉村 昭
私の記念すべき作品です。この遠い日の戦争を読んで新潮のバックナンバーを集める気になった。
現在も代は変わったが経営(葛飾・堀切)している古本屋さん『青木書店』の店主が奔走して
500冊ほど調達していただいた、その後、神田の古本屋街で補填した。
2015.3.11
16 新潮 53年6月号
読了日 1978年6月
方言と私 岩橋邦枝
2015.3.12
15 新潮 昭和53年6月号
読了日 1978年6月
オブニ異聞 蓮実重彦
2015.3.12
14 新潮 昭和53年6月号
読了日1978年 昭和53年6月
文学伝習所に集う人々 井上光晴
2015.3.12
13 新潮 昭和53年6月号
読了日 1978年 昭和53年
追悼・平野 謙
植谷雄高・佐々木基一・本多秋五・開高 健・大岡昇平。大江健三・藤枝静男
12 新潮 昭和53年6月号
読了日 1978年 昭和53年6月
ゲーテの『親和力』など 中村真一郎
2015.3.11
11 新潮 昭和53年6月号
読了日 1979年 昭和53年6月
常緑樹 三浦朱門
10 新潮 昭和53年6月号
読了日 1978年 昭和53年6月
山水図 立原正秋
9 新潮 昭和53年6月号
読了日 1978年 昭和53年6月
愚者の時間 後藤明生
8 新潮 昭和53年6月号
読了日 1979年 昭和53年6月
他人の貌 三田誠広
7 新潮 昭和53年6月号
読了日 1978年 昭和53年6月
人ちがい 津島佑子
6 新潮 昭和53年6月号
読了日 1979年 昭和53年6月
猟銃 野呂邦暢
5 新潮 昭和53年6月号
読了日 1978年 昭和53年6月
病身 高橋たか子
4 新潮 昭和53年6月号
読了日 1978年 昭和53年6月
冬の雁 三浦哲郎
3 新潮 昭和53年6月号
読了日 1979年 昭和53年6月
兵隊 山口 瞳
2 新潮 昭和53年6月号
読了日 1978年 昭和54年6月
雨戸の所為 丹羽文雄
1 新潮 昭和30年5月号 46歳 松本清張
読了日 1979年 昭和54年3月13日
特技
「1543年に日本に鉄砲が伝来してより三十年を経て、射撃の名手が現れた。
丹後田辺の人といふが、出生の年月は詳らかでない。稲富伊賀直家というのがその男の名であった」
2015.3.10
425P
私たち創価学会、またSGIの運動は永遠に民衆の「希望」であり続けたい。いな、あり続けなければならない。そのためにも最も必要な精神こそが、「師弟」の精神であると、私は思っています。
2020/09/07 17:40
423P
私は師である戸田第二代会長から「歴史を学ぶことは史観を学ぶことだ」と徹底的に教えられました。そして「〃つねに民衆という大地から歴史を見る〃という史観を持て」と教わりました。「戦争で最も苦しむのは民衆である」ーこの単純ながらも明快なる真実のゆえに、私は戦争に、断固として反対するのです。歴史とは、英雄譚や立志伝を紡ぎ合わせたものではありません。
2020/09/07 17:36
406P
私はグアムの会議で、自身の深い決意を込めて、こう語りました。「自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と。
2020/09/07 17:21
388P
私も、人生を十年ごとに区切って、それぞれの目標を立ててきました。
私の挑戦の一つに執筆活動があります。体調を崩した時も、原稿を一枚、また一枚と書きつづってきました。何月何日、原稿用紙を何枚書いたというのを、「正」という字でノートに記録しながら、何ヶ月もかけて一冊の本を書き上げた時もあります。
2020/09/07 17:16
385P
人生の「同志」「戦友」として苦楽をともにした夫婦の絆ほど、美しく強いものはありません。私も、妻を「同志」であり、「戦友」であると思ってきました。世界に友情と平和の橋を懸けたいと、妻とともに各国を駆け巡ってきました。妻の陰の労苦には、感謝しても感謝しきれません。「道ひらく 君と歩みて 不二の杖」という句を贈ったこともあります。
2020/09/07 17:05
365p ボールディング
私の人生で最も親しい人といえば、やっはり夫のケネスです。彼は、私の最高の友人でもありました。
2020.9.6
348p
創価大学は春を迎えると、キャンパス一面が美しい桜花に包まれます。「木を植えるのは、十年の計。人を育てるのは百年の計」といいますが「年々歳々、樹々が育つように、若き学徒が大樹に育ってほしい」との祈りを込めて、キャンパスには多くの木を植えるようにしてきました。
2020.9.6
335p
ともすれば、数万、数十万の犠牲者を出した戦争での行為が、「やむを得なかった悲劇」「戦争を早く終わらせるのに役立った」などとされ、それを信じる人も少なくない。ここに重大な問題があります。
2020.9.6
333p
私も、生涯「青春」です。平和のために、世界から悲惨の二字をなくすために、もっともっと学び、語り、動きたいと思っています。
2020.9.6
327p
日本でも、第二次世界大戦後の高度経済成長期には、政治は福祉をあまり重視していませんでした。私が公明党を結成した理由のひとつもそこにありました。
2020.9.6
309p
私もよく妻から、歩け歩けと言われます。
2020.9.6
304P
私は、世界の多くの識者と対話を続けてきましたが、その原点はトインビー博士との、二年越しの、のべ四十時間にわたる語らいでした。
2020.9.5
295P
ホールディング 先日は、池田会長のすてきな写真集をいただき、ありいがとうございました。
先生 私は写真を愛好する一人として、ありのままの自然の美しさと対話しながら、撮影してきたつもりです。
執務の合間や、移動の際の車窓などから、シャッターをきること多いのですが、撮るのはほとんどが自然や町の風景です。
276P
あるとき釈尊の弟子である阿難が「師よ、われらが『善き友』を持つことは、聖なる道の「半ば」に当たると思いますが、いかがでしょうか。と尋ねた。
この問いに釈尊は、こう答えます。「阿難よ、そういう言い方は正しくない」「善き友を持つことは、この道の『すべて』である」「私自身、諸君の友であり、善き仲間である。」と。
仏法とは、「善き友」をつくり、自分もまた「善き友」となっていく道であると説いているのです。
2020.9.5
Eボールディング 1990年にノーベル平和賞候補にあげられた。ダートマス大学名誉教授 2010.6逝去
256P ヘンダーソン
私こそ、この対談がどんなに楽しかったか、どんなに光栄であったかー。尊敬する池田会長と、このような有意義な語らいを持てましたことを、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
2020.9.5
252P
インターネットは、双方向のやりとりができ、国家を超えて民衆同士が直に結びつくことができる、より自由で民主的なメディアです。市民社会長とメディアの革新は、切り離せない関係にあるといえます。
2020.9.5
244p
牧口先生は、世界における生存競争を①軍事的競争②政治的競争③経済的競争④人道的競争の四つに形式的に分類したうえで、人類は、もはや軍事的競争でも政治的競争でも経済的競争でもなく、人道的競争の時代を指向すべきであると訴えたのです。
2020.9.4
229P
アメリカ創価大学、4つの指針
1、「文化主義」の地域の指導者育成
1、「人間主義」の社会の指導者委育成。
1、「平和主義」の世界の指導者育成。
1.自然と人間の共生の指導者育成。
2020.9.4
224p
私は、この二人の先師の構想の実現のために、教育を自身の最後の事業と決めて取り組んでまいりました。創価大学を開学したのは〃大学紛争〃が世界中で燃え上がっていた最中の1971年のことです。
1.人間教育の最高学府たれ
1.新しき大文化建設の揺籃たれ。
1.人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ
また開学にあわせて、一対のブロンズ像の台座に、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」「労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれる」との言葉を刻み、贈りました。
2020.9.3
134p
人間はこれまで、宇宙にまで開発の手を広げる一方、人間自身の「内なる開発」を、あまりにもおろそかにいしすぎました。
2020.9.3
120p
人間、逆境に置かれたときに、どう生きるかで、その人の真価が現れるものです。戸田先生が〃生命とは何か〃を悟達し、みずからの使命を覚地したのも、獄中でした。
2020.8.31
112p
私も青年時代、師である戸田先生から、「人類の平和と進歩のためには、具体的な提案をしていくことが大切である」と、繰り返し教ええられました。
私は毎年の1月26日に「SGIの日」を記念して平和提言を発表してきましたが、常にこの師の教えを念頭に置いて、思索し提案してきたつもりです。また、具体化のために行動知ってきました。
2020.8.31
94p
もちろん、インターネットにも、善悪両面がありますが、この「開放性」と「双方性」は、民主主義を支えるっ基盤になると思います。
2020.8.31
92p ヘンダーソン
私は、責任ある「グローバル・バカナンス」(地球社会の運営)を目指しておられる。池田会長の労作業と平和提言に大きな関心を抱いております。
2020.8.31
68p ヘンダーソン
じつのところ、私が考えている「全体人間」像は、会長が具えられている人格そのものなのです。
2020.8.。31
54p じつは、歴史家のトインビー博士と二年がかりで、のべ四十時間に及ぶ対談を行いましたが、対談をすべて終えた時、博士が私に、ぜひともあったほうがよいという人物のリストをメモにいして渡してくれました。その中の一人がウォード博士だったのです。
2020.8.30
私の運命を決定づけたのも、一人の人物との出会いでした。我が師・戸田城聖先生です。今日私があるのも、
すべて若き日に受けた、師の薫陶があればこそです。
2020.8.30
私が創立した東京・八王子の創価大学の本部棟には、ダ・ブィンチの立像が置かれています。44P
2020.8.30
地球対談 輝く女性の世紀へ H・ヘンダーソン 池田大作全集 114巻
41p 草創期の創価学会は、世間から「貧乏人と病人の集まり」と揶揄されたものでした。しかし、戸田先生は、そう呼ばれることを、みずからの誉とされて得いたのです。
2020。8.30
師に届く嬉し涙の体験談
イク子姫世界一の笑顔かな
平成26年8月28日