293 往生異聞 昴54年8月号 金石範 54年7月27日 2017/07/24 13:41
292 備忘録 文藝54年8月号 金達寿 54年7月27日 2017/07/24 13:38
291 悠久の大地に立って 私のインド紀行 池田大作 54年7月26日 2017/07/24 12:49
290 話すことはない 海54年8月号 富岡多恵子 54年7月26日 2017/07/24 12:47
289 長編小説の問題 文学界54年8月号 加賀乙彦 三木卓 田久保英夫 54年7月26日 2017/07/24 12:44
私のインド紀行 P41 池田大作
私が図書を贈呈するのは書物が人類の魂の財産であると思っているからだ。そして、このp財産は、分かち合うことによって、減るどころか二倍にも数倍にもなる不思議な財宝である。 54年7月23日 2017/07/24 12:40
浅居善一 54年7月18日 AM11時45分
288 虚の世界の住人 文藝54年7月号 三浦朱門 54年7月17日 2017/07/24 12:30
287 禽獣虫魚 昴 54年7月号 小沼 燦 54年7月21日 29歳 2017/07/24 12:28
286 イム叩き 文藝54年7月号 上西晴治 54年7月23日 2017/07/24 12:24
285 空蝉 文藝 54年7月号 芝木好子 54年7月17日 2017/07/24 12:21
284 根曳き 文学界 54年7月号 中里恒子 54年7月号 54年7月17日 2017/07/24 12:18
283 文芸時評 生きることの辛さ 難しさ 昴 54年8月号 上田三四二 2017/07/24 12:15
282 荒正人の片鱗 昴 54年8月号 山室 静 54年7月16日 2017/07/24 11:45
281 ある合理主義者の死 昴 54年8月号 磯田光一 54年7月16日 2017/07/24 11:41
280 奇妙な、しかし、かけがえのない友 昴 54年8月号 佐々木基一 54年7月16日 2017/07/24 11:34
279 荒正人の糖尿病 昴 植谷雄高 54年8月号 54年7月16日 2017/07/24 11:32
278 怒れる夢の人 回想・荒正人 日野啓三 新潮54年8月号 54年7月16日 2017.7.13
277 正常人荒正人 文藝54年8月号 日野啓三 54年7月16日 2017.7.13
276 近代文学と近代化 荒正人の回想 文藝54年8月号 植谷雄高 54年7月16日 2017.7.13
275 荒さんのこと 海54年8月号 藤枝静男 54年7月16日 2017。7.13
274 荒宇宙人の生誕 海54年8月号 海 植谷雄高 54年7月16日 2017.7.13
273 二人で作ったルール 54年8月号PHP 笑福亭仁鶴 2017.7.15
270 正直すぎる人 群像54年8月号 佐々木基一 54年7月16日 2017.7.13
271 荒正人 群像54年8月号 徹底した個性 小田切秀雄 2017.7.13
272 優しくしてはならない領域 54年8月号PHP 高城修三 2017.713
269 鹿を逐う人 群像 54年8月号 本多 秋五 54年7月16日 2017.7.13
268 荒正人追悼 「終末の日」群像 54年8月号 植松雄高 54年7月16日 2017 5 21
266 よろめき葬送記 新潮 54年8月号 大岡昇平 54年7月16日 2017 5 21
265 追悼 中島健三 昴 54年8月号 小田切 秀雄 54年7月16日 2017.5.21
264 中島健三氏と音楽 海 54年8月号 柴田 南雄 54年7月16日 2017.5.21
263 中島健三氏を偲ぶ 海 54年8月号 今 日出海 54年7月16日 2017.5.21
262 「作品」から「知性」へ 群像 54年8月号 54年7月16日 2017.5.21
261 思い出の一部 群像 54年8月号 寺田 透 54年7月16日 2017.5.21
260 自己を確認しながら 群像 54年8月号 大岡昇平 54年7月16日 2017.5.20
文学者というものは最後まで、仕事をし続けて死ぬ。
259 中島健蔵氏のこと 群像54.年8月号 井上 靖 54年7月16日 2017.5.21
258 闘病記 新潮 79年8月号 宮本輝
こりゃ凄い、急速に影が消え始めた。これからはあとは早いよ。この分だと予定より相当早く退院できるかも知れないねえ。「は、先生のおかげです。ありがとうございました」
257 草の響き 文藝 79年7月号 佐藤 泰志
256 寒露 新潮 21年5月号 石川 淳
人生問答 精神的な健康法としては、すぐれた芸術、文学などなどにふれることも、健全な生命を養うとともに、明日への偉大な糧となると思われます。。
255 見えすぎる眼 文学界 54年7月号 重兼芳子
254 特別対談 メタフォアの陥穽 海 54年7月号スーザンソナタ 蓮見重彦
253 対談時評 彷徨と定住 愚者の夜 青野 聡 夜のしるべ 鈴木志 文学界 54年7月号 大庭みな子 黒井千次
252 初夏 海 54年7月号 吉村昭
251 四季の雁書 182P 私は昇竜のように。また太陽のように勢のいい、つねに生命のバネを失わない人生の生き方でありたいと思っています。 井上靖 生涯青春、生涯青春ーたいへん素晴らしい言葉を頂戴した思いであります。
250 新潮 54年7月号 1979年6月28日 牛男 吉井 由吉
249 海 54年7月号 1979年6月28日 乱菊 中里恒子
ファウスト(悲劇)58p
兵士たち 娘も城も落とさにゃおかぬ骨が折れるがすてきな報い
248 海 54年7月号 1979年6月28日 迷子 円地 文子
247 新潮 21年5月号
1979年7月4日
小説女人百様 北畠 八穂 明治36年10月5日生まれ
伊勢物語 新潮日本古典集成
名にしおはばいっざこと問わむ都鳥わが思う人は在りやなしやと
四季の雁書 潮出版 井上 靖 池田大作
114P 私はかねがね人生の本当の勝負というものは老境に至って決まるものである。最後の姿がその人の人生のすべてといえると考えてきました。
2016.4.30
246 文藝 54年7月号 横光利一の初期の遺作「音楽者」、この小説が書かれた
1979年6月27日 大正六年は横光利一の二十歳の年である。
ユーモラスな哀しみ 八木義徳
2015.8.28
245 新潮 21年5月号
1979年6月27日
芸術百一話 七 アラン
2015.8.28
244 昴 54年6月号 自分というものを捨てきった人であったからこそ、
1979年6月26日 初めてああいうほとんど自然の一部となりきった
闇の誘惑 中野孝次 ような生が可能だったに違いない。28P
2015.8.28
243 新潮 54年7月号
1979年6月26日
長谷川修を悼む
2015.8.20
242 新潮 54年7月号
1979年6月26日
野球見物 三木 卓
2015.8.20
241 新潮 54年7月号
1979年6月26日
摂理について 辻 邦生
2015.8.20
240 新潮 54年7月号
1979年6月26日
残念の計 本多 秋五
2015.8.20
239 新潮 21年5月号
1979年6月26日
新方丈記 内田 百閒
2015.8.20
238 群像 54年7月号
1979年6月25日
千倉の海女 高橋三千綱
2015.8.20
237 新潮 21年5月号
1979年6月25日
詩 山の学校 丸山 薫
2015.8.20
236 新潮 21年3月号
1979年6月24日
アンドレ・ジイドの道 川口 篤
2015.8.20
232 群像 54年7月号 1979.6.23 随筆 ある歳月 猪野謙二
233 群像 54年7月号 1979.6.23 随筆 もしもあの時 田中澄江
234 群像 54年7月号 1979.6.23 随筆 戦争犯罪人 古山高麗雄
235 群像 54年7月号 1979.6.23 随筆 プロの顔 中野孝次
230 創作合評 「風の歌を聴け」村上春樹
「火遊び」立松和平 群像 54.7月号
上田三四二 三木卓 菅野昭正
1979年6月22日
231 群像 54年7月号
1979年6月23日
漕げや海尊 阪田寛夫
2015.8.3
229 ゲーテ 1749~1832 ヨハン・ヴォルフ ガング・ホン
ドイツの詩人 8月28日 誕生
「父からはまじめな生活の仕方、母からは快活な性質と物語の才能を受けた。」とゲーテ自身が
言っている。ファウストは前後60年の歳月をかけた生涯の大作で、ドイツはもちろん世界文学
の宝である。
2015.8.3
228 新潮 54年7月号
1979年6月21日
連笑 色川式大
2015.8.1
227 文学界 54年7月号
1979年6月20日
「仮装人物」の女主人公 野口富士男
徳田秋声の文学 明治4(1871)年12月~昭和18(1943)年11月18日
226 文藝 54年6月号
1979年6月20日
墨田三郎の詩と散文 北村太郎
2015.8.1
225 文藝 54年6月号
1979年6月20日
気味の悪い笑い 八木義徳
2015.8.1
224 新潮 21年5月号
1979年6月19日
文学的反省 文章・思想・人情 生島遼一
2015.8.1
223 新潮 21年5月号
1979年6月19日
現代人 阿部知二 文学はそれぞれの時代の人間像を描き出すことだといわれる。
2015.7.31
222 新潮 21年5月号
1979年6月19日
世界文化情報
2015.7.31
221 新潮 21年5月号
1979年6月19日
子供と共に 瀧井孝作
2015.7.31
220 新潮 21年5月号
1979年6月19日
散る花のなにおかいそぐ (武田麟太郎を惜しむ) 林房雄
「そもそも文学者という奴は、これを三種に分類することができる。第一種は金と名が欲しくて小説を書く奴、第二は金は親父が残しておいてくれたので、名誉だけ欲しくて小説を書く奴、第三は金も名もいるにが、ただ書かねばをれぬので小説を書く奴」
2015.7.31
219 新潮 21年5月号
1979年6月19日
文学と美術と音楽との照應
2015.7.26
218 新潮 21年5月号
1979年6月18日
漱石山脈 本多顕彰
2015.7.26
217 新潮 54年7月号
1979年6月18日
ジャイプール 佐江衆一
2015.7.26
216 新潮 21年6月号
1979年6月17日
我が胸の底のここには(三)
2015.7.26
215 新潮 21年6月号
1979年6月17日
高見順氏は語る
2015.7.26
214 新潮 21年4月号
1979年6月16日
水いらず アルラン
2015.7.26
213 文学界 54年6月号 明治44年(1911)7月4日
「仮装人物」の副女主人公 野口富士男 東京麹町生まれ 日本ペンクラ
ブ三十年史を書く
212 群像 54年6月号
1979年6月16日
随筆 五十円、百円の本 保昌正夫
五十円、百円の本を漁ってごらんなさい。やめられなくなるから。
2015.7.18
211 新潮 21年5月号 明治31年3・17昭和22年12月30日
1979年6月15日
横光利一氏は語る
仕事は大いにやるつもりだが、評論はどうも難しい。
実に8枚の評論を書くのに一か月もかかった。
210 新潮 21年4月号 明治30(1897)年5・4生まれ
1979年6月15日 日本ペンクラブ会長(昭和40~49年)
去来 芹沢光治良
2015.7.17
209 新潮 21年1月号 明治36年・2・21生まれ 大正14年東大仏文科
1979年6月14日 入学。今日出海、三好達治、小林秀雄らと同期。
人物評論 正宗白鳥の横顔 中島健蔵 顕微鏡写真技術を持つ。
2015.7.17 日本ペンクラブ常任理事 1903~79
208 新潮 21年4月号
1979年6月14日
芸術百一話(六) アラン
2015.7。17
207 新潮 21年4月号
1979年6月14日
なつかしい日本(三) 三好達治
2015.7.16
206 新潮 21年4月号
1979年6月14日
文士観劇のすすめ 岩田 豊雄
2015・7.16
205 新潮 21年4月号
1979年6月14日
荷風・桃源・一休 神西 清
2015.7.16
204 群像 54年6月号
1979年6月16日
意識の暗室 富岡幸一郎
2015.7.16 運転免許更新
203 群像 54年6月号
1979年6月15日
文学の終末について 宇野邦一
2015.7.12
202 昴 54年7月号
1979年6月15日
今日の海外短編 偽りの王国 スクニンワフレフ 工藤幸雄訳
2015.7.12
201 文藝 54年6月号
1979年6月15日
いろはにほ屁と 小沢信男 新嫁の屁に三人が自殺したという。
明治10年8月4日の新聞記事(片瀬)
新婦 おとら 新夫 伊之助 媒酌人の妻
2015.7.12
425P
私たち創価学会、またSGIの運動は永遠に民衆の「希望」であり続けたい。いな、あり続けなければならない。そのためにも最も必要な精神こそが、「師弟」の精神であると、私は思っています。
2020/09/07 17:40
423P
私は師である戸田第二代会長から「歴史を学ぶことは史観を学ぶことだ」と徹底的に教えられました。そして「〃つねに民衆という大地から歴史を見る〃という史観を持て」と教わりました。「戦争で最も苦しむのは民衆である」ーこの単純ながらも明快なる真実のゆえに、私は戦争に、断固として反対するのです。歴史とは、英雄譚や立志伝を紡ぎ合わせたものではありません。
2020/09/07 17:36
406P
私はグアムの会議で、自身の深い決意を込めて、こう語りました。「自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と。
2020/09/07 17:21
388P
私も、人生を十年ごとに区切って、それぞれの目標を立ててきました。
私の挑戦の一つに執筆活動があります。体調を崩した時も、原稿を一枚、また一枚と書きつづってきました。何月何日、原稿用紙を何枚書いたというのを、「正」という字でノートに記録しながら、何ヶ月もかけて一冊の本を書き上げた時もあります。
2020/09/07 17:16
385P
人生の「同志」「戦友」として苦楽をともにした夫婦の絆ほど、美しく強いものはありません。私も、妻を「同志」であり、「戦友」であると思ってきました。世界に友情と平和の橋を懸けたいと、妻とともに各国を駆け巡ってきました。妻の陰の労苦には、感謝しても感謝しきれません。「道ひらく 君と歩みて 不二の杖」という句を贈ったこともあります。
2020/09/07 17:05
365p ボールディング
私の人生で最も親しい人といえば、やっはり夫のケネスです。彼は、私の最高の友人でもありました。
2020.9.6
348p
創価大学は春を迎えると、キャンパス一面が美しい桜花に包まれます。「木を植えるのは、十年の計。人を育てるのは百年の計」といいますが「年々歳々、樹々が育つように、若き学徒が大樹に育ってほしい」との祈りを込めて、キャンパスには多くの木を植えるようにしてきました。
2020.9.6
335p
ともすれば、数万、数十万の犠牲者を出した戦争での行為が、「やむを得なかった悲劇」「戦争を早く終わらせるのに役立った」などとされ、それを信じる人も少なくない。ここに重大な問題があります。
2020.9.6
333p
私も、生涯「青春」です。平和のために、世界から悲惨の二字をなくすために、もっともっと学び、語り、動きたいと思っています。
2020.9.6
327p
日本でも、第二次世界大戦後の高度経済成長期には、政治は福祉をあまり重視していませんでした。私が公明党を結成した理由のひとつもそこにありました。
2020.9.6
309p
私もよく妻から、歩け歩けと言われます。
2020.9.6
304P
私は、世界の多くの識者と対話を続けてきましたが、その原点はトインビー博士との、二年越しの、のべ四十時間にわたる語らいでした。
2020.9.5
295P
ホールディング 先日は、池田会長のすてきな写真集をいただき、ありいがとうございました。
先生 私は写真を愛好する一人として、ありのままの自然の美しさと対話しながら、撮影してきたつもりです。
執務の合間や、移動の際の車窓などから、シャッターをきること多いのですが、撮るのはほとんどが自然や町の風景です。
276P
あるとき釈尊の弟子である阿難が「師よ、われらが『善き友』を持つことは、聖なる道の「半ば」に当たると思いますが、いかがでしょうか。と尋ねた。
この問いに釈尊は、こう答えます。「阿難よ、そういう言い方は正しくない」「善き友を持つことは、この道の『すべて』である」「私自身、諸君の友であり、善き仲間である。」と。
仏法とは、「善き友」をつくり、自分もまた「善き友」となっていく道であると説いているのです。
2020.9.5
Eボールディング 1990年にノーベル平和賞候補にあげられた。ダートマス大学名誉教授 2010.6逝去
256P ヘンダーソン
私こそ、この対談がどんなに楽しかったか、どんなに光栄であったかー。尊敬する池田会長と、このような有意義な語らいを持てましたことを、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
2020.9.5
252P
インターネットは、双方向のやりとりができ、国家を超えて民衆同士が直に結びつくことができる、より自由で民主的なメディアです。市民社会長とメディアの革新は、切り離せない関係にあるといえます。
2020.9.5
244p
牧口先生は、世界における生存競争を①軍事的競争②政治的競争③経済的競争④人道的競争の四つに形式的に分類したうえで、人類は、もはや軍事的競争でも政治的競争でも経済的競争でもなく、人道的競争の時代を指向すべきであると訴えたのです。
2020.9.4
229P
アメリカ創価大学、4つの指針
1、「文化主義」の地域の指導者育成
1、「人間主義」の社会の指導者委育成。
1、「平和主義」の世界の指導者育成。
1.自然と人間の共生の指導者育成。
2020.9.4
224p
私は、この二人の先師の構想の実現のために、教育を自身の最後の事業と決めて取り組んでまいりました。創価大学を開学したのは〃大学紛争〃が世界中で燃え上がっていた最中の1971年のことです。
1.人間教育の最高学府たれ
1.新しき大文化建設の揺籃たれ。
1.人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ
また開学にあわせて、一対のブロンズ像の台座に、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」「労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれる」との言葉を刻み、贈りました。
2020.9.3
134p
人間はこれまで、宇宙にまで開発の手を広げる一方、人間自身の「内なる開発」を、あまりにもおろそかにいしすぎました。
2020.9.3
120p
人間、逆境に置かれたときに、どう生きるかで、その人の真価が現れるものです。戸田先生が〃生命とは何か〃を悟達し、みずからの使命を覚地したのも、獄中でした。
2020.8.31
112p
私も青年時代、師である戸田先生から、「人類の平和と進歩のためには、具体的な提案をしていくことが大切である」と、繰り返し教ええられました。
私は毎年の1月26日に「SGIの日」を記念して平和提言を発表してきましたが、常にこの師の教えを念頭に置いて、思索し提案してきたつもりです。また、具体化のために行動知ってきました。
2020.8.31
94p
もちろん、インターネットにも、善悪両面がありますが、この「開放性」と「双方性」は、民主主義を支えるっ基盤になると思います。
2020.8.31
92p ヘンダーソン
私は、責任ある「グローバル・バカナンス」(地球社会の運営)を目指しておられる。池田会長の労作業と平和提言に大きな関心を抱いております。
2020.8.31
68p ヘンダーソン
じつのところ、私が考えている「全体人間」像は、会長が具えられている人格そのものなのです。
2020.8.。31
54p じつは、歴史家のトインビー博士と二年がかりで、のべ四十時間に及ぶ対談を行いましたが、対談をすべて終えた時、博士が私に、ぜひともあったほうがよいという人物のリストをメモにいして渡してくれました。その中の一人がウォード博士だったのです。
2020.8.30
私の運命を決定づけたのも、一人の人物との出会いでした。我が師・戸田城聖先生です。今日私があるのも、
すべて若き日に受けた、師の薫陶があればこそです。
2020.8.30
私が創立した東京・八王子の創価大学の本部棟には、ダ・ブィンチの立像が置かれています。44P
2020.8.30
地球対談 輝く女性の世紀へ H・ヘンダーソン 池田大作全集 114巻
41p 草創期の創価学会は、世間から「貧乏人と病人の集まり」と揶揄されたものでした。しかし、戸田先生は、そう呼ばれることを、みずからの誉とされて得いたのです。
2020。8.30
師に届く嬉し涙の体験談
イク子姫世界一の笑顔かな
平成26年8月28日