580 木刀・井戸・王樟 新潮56年1月号 尾崎一雄 57年1月17日 2017/07/30 8:37
579 早く来いクリスマス 新潮55年1月号 尾崎一雄 57年1月17日 2017/07/30 8:28
578 追悼 中野重吉 新潮54年11月号 57年1月17日 -1982- 2017/07/30 8:25
577 蜂と老人 新潮54年1月号 尾崎一雄 57年1月17日 -1982- 2017/07/30 8:23
576 追悼・網野菊 53年7月号 尾崎一雄 57年1月17日 -1982- 2017/07/30 8:21
575 上高地行き 新潮53年1月号 尾崎一雄 57年1月17日 -1982- 2017/07/30 8:19
574 回想・檀一雄 新潮51年3月号 尾崎一雄 57年1月17日 -1982- 2017/07/29 22:51
573 蜜蜂が降る 新潮50年1月号 尾崎一雄 57年1月16日 -1982- 2017/07/29 22:49
572 どこへゆく 新潮49年9月号 尾崎一雄 57年1月15日 -1982- 2017/07/29 22:48
571 井戸がへをしなければ 新潮49年1月号 尾崎一雄 57年1月15日 -1982- 2017/07/29 22:46
570 片付けごと 新潮44年1月号 尾崎一雄 57年1月15日 -1982- 2017/07/29 22:43
569 秋の終わり 新潮42年1月号 尾崎一雄 57年1月15日 -1982- 2017/07/29 22:41
568 詩と歌 新潮41年11月号 尾崎一雄 57年1月15日 -1982- 2017/07/29 22:35
年少の頃、小説は志賀直哉、歌は斎藤茂吉、詩は萩原朔太郎と決め之に没頭した気持ちが、今もそのまま続いている。・・・・・少年の頃、のめり込むような気持ちで読んだ詩歌集を私はいまだに座右から離せないのだ。
567 花ぐもり 新潮41年5月号 尾崎一雄 57年1月14日 -1982- 2017/07/29 22:33
566 アルバム 新潮40年7号 尾崎一雄 57年1月14日 -1982- 2017/07/29 22:31
565 夕の焚火 新潮40年1月号 尾崎一雄 57年1月14日 -1982- 2017/07/29 22:29
564 妻の受賞を祝す 新潮40年1月号 尾崎一雄 57年1月12日 -1982- 2017/07/29 22:26
563 冬眠居日録 新潮37年7月号 尾崎一雄 57年1月12日 -1982- 2017/07/29 22:24
562 作家の眼 政治カンパお断り 新潮35年9月号 尾崎一雄 -1982- 2017/07/29 22:18
日本共産党のやり方の常識外れにあきれてしつぼうしていたところだったから、いろいろ悪口を言ったのである。・・・何でも反対で、かき廻しでは票は増えないだろう。
561 川田への手紙 新潮35年7月号 尾崎一雄 57年1月12日 -1982- 2017/07/29 22:16
560 ボンの死 新潮34年11月号 尾崎一雄 57年1月11日 -1982- 2017/07/29 22:14
559 水子供養 小説新潮 1982年2月号 源氏鶏太 57年1月11日 -1982- 2017/07/29 22:11
558 あしのうら 小説新潮1981年12月号 船橋聖一 57年1月11日 -1982- 2017/07/29 22:09
557 新婚早々 小説新潮1982年12月号 川上宗薫 57年1月11日 -1982- 2017/07/29 22:07
556 パー爺さん月下に死す 小説新潮1982年2月号 戸川幸夫 57年1月11日 -1982- 2017/07/29 22:02
555 橋の下 小説新潮 1981年12月号 57年1月9日 -1982- 2017/07/29 21:59
554 随想 愚か賢かしらねども 小説新潮 57年2月号 -1982- 2017/07/29 21:57
553 ある日の感想 新潮34年6月号 尾崎一雄 57年1月9日 2017/07/29 21:54
552 縦と横 新潮33年10月号 尾崎一雄 57年1月 2017/07/29 21:59
551 作家のノート 新潮33年10月号 井上靖 57年1月9日 2017/07/28 16:12
敦煌を執筆するときの困難な状況を書かれている。結局敦煌は書かないで松永久秀について書いた。
550 伊藤隆という人 新潮33年3月号 尾崎一雄 57年1月9日 2017/07/28 16:10
549 貸借他者との関係 新潮32年12月 尾崎一雄 57年1月8日 -1982- 2017/07/28 16:07
平均年齢60何歳という生命でさへ、自分の力で獲得したわけではなかろう。
548 一雄君断片 新潮30年10月号 尾崎士郎 57年1月8日 -1982- 2017/07/28 16:05
547 秋の色 新潮30年10月号 54歳 57年1月8日 -1982- 2017/07/28 15:59
546 ボヤキの大岡 新潮32年8月号 56歳 57年1月8日 2017/07/28 15:57
尾崎一雄 明治32年12月25日
545 かくれたる鉱脈 新潮28年7月号 57年1月8日 -1982- 2017/07/28 15:52
544 サイトパラヒ 新潮28年2月号 54歳 57年1月8日 -1982- 2017/07/28 15:49
543 大村君のこと 新潮27年10月号 53歳 尾崎一雄 57年1月7日 -1982- 2017/07/28 15:45
542 初冬 新潮27年4月号 尾崎一雄 -1982- 2017/07/28 15:42
541 同人雑誌作家について 新潮26年9月号 尾崎一雄 57年1月7日 -1982- 2017/07/28 15:38
私などが文学に首を突っ込んだ頃は大正中期であるが-・・・・・作家稼業が企業として成り立つようになったのは、大正末期からであろう。
540 エンターテイナーの存在とは 潮57年2月号 -1982- 永 六輔 57年1月7日 2017/07/28 15:36
539 むかでとネズミ 新潮26年5月号 52歳 尾崎一雄 57年1月7日 2017/07/28 15:34
538 熱海行 新潮24年10月号 尾崎一雄 57年1月7日 -1982- 2017/07/28 15:32
537 蟲のいろいろ 新潮23年1月号 尾崎一雄 57年1月7日 -1982- 2017/07/28 15:27
三度追われると、すっぱり気をかえてしまう、というのが、どの蠅の癖でもあるらしい。
536 こほろぎ 新潮21年9月号 尾崎一雄 -1982- 2017/07/28 15:25
535 一年の牧歌 新潮社 河野多恵子 57年1月6日 -1982- 2017/07/28 15:19
534 承諾 新潮41年5月号 河野多恵子 57年1月6日 -1982- 2017/07/28 15:16
533 「友達の場合」新潮53年9月号 河野多恵子 57年1月6日 -1982- 2017/07/28 15:12
532 流罪復活 新潮39年5月号 河野多恵子 57年1月6日 2017/07/28 15:10
531 脂怨 新潮39年5月号 河野多恵子 57年1月6日 -1982- 2017/07/28 15:08
530 半助と猫 新潮文庫 山本周五郎 57年1月2日 -1982- 2017/07/28 15:04
529 僕のワイフ 新潮文庫 山本周五郎 57年1月2日 -1982- 2017/07/28 15:01
528 街へゆく電車 新潮文庫 山本周五郎 57年1月2日 -1982- 2017/07/28 14:59
527 小説芸術への信頼 新潮42年3月号 河野多恵子 57年1月3日 -1982- 2017/07/28 14:57
526 恐れからの解放 新潮42年12月号 河野多恵子 57年1月2日 -1982- 2017/07/28 14:41
525 読まざる記 新潮38年12月号 河野多恵子 57年1月1日 -1982- 2017/07/28 14:39
524 夜を往く 新潮38年9月号 河野多恵子 57年1月1日 -1982- 2017/07/27 17:50
533 ある成長 新潮38年12月号 川上宗薫 56年12月29日 -1981- 2017/07/27 17:45
522 わかれ 新潮38年7月号 河野多恵子 56年12月31日 -1981- 2017/07/27 17:30
兄に演奏会に連れられていき、はじめてバイオリンの協奏曲というものを聴いたとき、彼女はどれほど感動したかもしれない、いったい自分のうちのどこの、どんな部分が、このような不思議な喜びにうちふるえるのであろうか、自分の裡にはまだ知らない感情がどれ程どっさり眠っていることであろうかと、人間というもの、人生というものへの期待にめざめたことへの感謝に溢れた。
521 愉悦の日々 新潮38年3月号 河野多恵子 56年12月29日 -1981- 2017/07/27 17:28
520 春愁 新潮37年11月号 河野多恵子 56年12月29日 -1981- 2017/07/27 17:26
519 美少女 新潮37年11月号 河野多恵子 56年12月29日 -1981- 2017/07/27 17:24
518 雪 新潮37年5月号 河野多恵子 56年12月28日 -1981- 2017/07/27 17:22
517 私の創作世界 海 44年6月 河野多恵子 56年12月26日 -1981- 2017/07/27 17:20
516 文芸雑誌から見た昭和の文学 海 44年6月号 小田切進 56年12月26日 -1981- 2017/07/27 17:17
515 戦後短編小説小史 座談会 新潮55年2月号900号記念吉行淳之介、河野多恵子、磯田光一 56年12月26日
-1981- 2017/07/27 17:14
514 劇場 新潮37年2月号 河野多恵子 56年12月25日 -1981- 2017/07/27 17:11
513 空想家の国語教室 新潮36年6月号 阿川弘之 56年12月24日 -1981- 2017/07/27 17:06
512 天翔る農夫 新潮57年1月号 丸山健二 56年12月24日 -1981- 2017/07/27 17:04
511 幼兒狩り 新潮37年1月号 河野多恵子 -1981- 2017/07/27 16:46
510 羅漢様のお首つなぎのこと 新潮56年9月号 中沢けい -1981- 2017/07/27 16:43
509 性とそのタブー 新潮56年9月号 磯田光一 56年12月27日 -1981- 2017/07/27 16:41
508 よい父、よい夫、よい男 新潮24年10月号 渡辺一夫 明治34年9月25日生まれ
507 渓の声 新潮57年1月号 水上勉 56年12月24日 -1981- 2017/07/27 16:35
506 赤い花を吐いた猫 新潮54年5月号 吉行理恵 56年12月14日 -1981- 2017/07/27 16:31
505 兄の影 新潮53年10月号 吉行理恵 56年12月14日 -1981- 2017/07/27 16:28
504 小さな貴婦人 新潮56年2月号 吉行理恵 56年12月12日 -1981- 2017/07/27 16:23
503 人間革命(四)池田大作 56年12月8日 -1981- 2017/07/27 16:21
502 徳川家康9 山岡荘八9 56年12月5日 -1981- 2017/07/27 16:19
○アレクサンドル・デュマ 1802~1870 フランスの劇作家・小説家
501 カンガルー通信 新潮56年10月号 村上春樹 -1981- 2017/07/27 15:56
500 日本共産党批判 新潮24年12月平林たい子 -1981- 2017/07/27 15:50
499 錦 繡 新潮 56年12月号 宮本 輝 -1981- 2017/07/27 15:38
勝沼亜紀、有馬靖明 「生きていることと死んでいることとは、もしかしたらおなじことかもしれません」
66~69 私の命そのものは、自分の背負い込んだ悪と善に包まれながら決して消滅することなく続いていくのだ。
もう一回読みたい小説だ。
498 徳川家康8 山岡荘八 56年11月27日 -1981- 2017/07/27 15:35
497 志賀直哉没後十年への訂正 新潮56年11月 藤枝静男 -1981- 2017/07/27 15:26
496 志賀直哉没後十年 新潮56年10月19日 藤枝静男 -1981- 2017/07/27 15:23
495 人生問答(上)潮出版社 56年10月9日 -1981- 2017/07/27 15:20
494 つれずれ随想 池田大作 56年10月9日 -1981- 2017/07/27 15:16
493 謀略 徳間書店 野崎 勲 56年2月9日 -1981- 野崎 勲
○琥珀 古代の樹脂類が地中に埋没して石化したもの。物を吸い付ける性質をもつ。日本国語辞典4-1019
56年8月10日 2017/07/27 15:06
492 大陰謀 三天書房 北林芳典 56年8月25日 -1981- 2017/07/27 15:10
491 徳川家康7 山岡荘八 56年8月7日 -1981- 2017/07/27 15:01
北条 浩 四代会長 0時53分 享年58歳 56年7月18日 -1981- 2017/07/27 15:00
490 橋づくし『道頓堀川』 宮本 輝 阪田寛夫 56年7月23日-1981- 2017/07/27 14:57
489 眉 墨 新潮56年8月号 宮本 輝 56年7月23日 -1981-入院中 2017/07/27 13:14
488 徳川家康6 山岡荘八 56年8月3日 -1981- 入院中 2017/07/27 13:10
487 徳川家康5 山岡荘八 56年7月27日 -1981- 入院中 2017/07/27 13:06
486 徳川家康4 山岡荘八 56年7月13日 -1981- 入院中 2017/07/27 13:04
485 徳川家康3 山岡荘八 56年7月10日 -1981- 入院中 2017/07/27 13:02
484 徳川家康2 山岡荘八 56年7月7日 -1981- 入院中 2017/07/27 12:57
425P
私たち創価学会、またSGIの運動は永遠に民衆の「希望」であり続けたい。いな、あり続けなければならない。そのためにも最も必要な精神こそが、「師弟」の精神であると、私は思っています。
2020/09/07 17:40
423P
私は師である戸田第二代会長から「歴史を学ぶことは史観を学ぶことだ」と徹底的に教えられました。そして「〃つねに民衆という大地から歴史を見る〃という史観を持て」と教わりました。「戦争で最も苦しむのは民衆である」ーこの単純ながらも明快なる真実のゆえに、私は戦争に、断固として反対するのです。歴史とは、英雄譚や立志伝を紡ぎ合わせたものではありません。
2020/09/07 17:36
406P
私はグアムの会議で、自身の深い決意を込めて、こう語りました。「自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と。
2020/09/07 17:21
388P
私も、人生を十年ごとに区切って、それぞれの目標を立ててきました。
私の挑戦の一つに執筆活動があります。体調を崩した時も、原稿を一枚、また一枚と書きつづってきました。何月何日、原稿用紙を何枚書いたというのを、「正」という字でノートに記録しながら、何ヶ月もかけて一冊の本を書き上げた時もあります。
2020/09/07 17:16
385P
人生の「同志」「戦友」として苦楽をともにした夫婦の絆ほど、美しく強いものはありません。私も、妻を「同志」であり、「戦友」であると思ってきました。世界に友情と平和の橋を懸けたいと、妻とともに各国を駆け巡ってきました。妻の陰の労苦には、感謝しても感謝しきれません。「道ひらく 君と歩みて 不二の杖」という句を贈ったこともあります。
2020/09/07 17:05
365p ボールディング
私の人生で最も親しい人といえば、やっはり夫のケネスです。彼は、私の最高の友人でもありました。
2020.9.6
348p
創価大学は春を迎えると、キャンパス一面が美しい桜花に包まれます。「木を植えるのは、十年の計。人を育てるのは百年の計」といいますが「年々歳々、樹々が育つように、若き学徒が大樹に育ってほしい」との祈りを込めて、キャンパスには多くの木を植えるようにしてきました。
2020.9.6
335p
ともすれば、数万、数十万の犠牲者を出した戦争での行為が、「やむを得なかった悲劇」「戦争を早く終わらせるのに役立った」などとされ、それを信じる人も少なくない。ここに重大な問題があります。
2020.9.6
333p
私も、生涯「青春」です。平和のために、世界から悲惨の二字をなくすために、もっともっと学び、語り、動きたいと思っています。
2020.9.6
327p
日本でも、第二次世界大戦後の高度経済成長期には、政治は福祉をあまり重視していませんでした。私が公明党を結成した理由のひとつもそこにありました。
2020.9.6
309p
私もよく妻から、歩け歩けと言われます。
2020.9.6
304P
私は、世界の多くの識者と対話を続けてきましたが、その原点はトインビー博士との、二年越しの、のべ四十時間にわたる語らいでした。
2020.9.5
295P
ホールディング 先日は、池田会長のすてきな写真集をいただき、ありいがとうございました。
先生 私は写真を愛好する一人として、ありのままの自然の美しさと対話しながら、撮影してきたつもりです。
執務の合間や、移動の際の車窓などから、シャッターをきること多いのですが、撮るのはほとんどが自然や町の風景です。
276P
あるとき釈尊の弟子である阿難が「師よ、われらが『善き友』を持つことは、聖なる道の「半ば」に当たると思いますが、いかがでしょうか。と尋ねた。
この問いに釈尊は、こう答えます。「阿難よ、そういう言い方は正しくない」「善き友を持つことは、この道の『すべて』である」「私自身、諸君の友であり、善き仲間である。」と。
仏法とは、「善き友」をつくり、自分もまた「善き友」となっていく道であると説いているのです。
2020.9.5
Eボールディング 1990年にノーベル平和賞候補にあげられた。ダートマス大学名誉教授 2010.6逝去
256P ヘンダーソン
私こそ、この対談がどんなに楽しかったか、どんなに光栄であったかー。尊敬する池田会長と、このような有意義な語らいを持てましたことを、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
2020.9.5
252P
インターネットは、双方向のやりとりができ、国家を超えて民衆同士が直に結びつくことができる、より自由で民主的なメディアです。市民社会長とメディアの革新は、切り離せない関係にあるといえます。
2020.9.5
244p
牧口先生は、世界における生存競争を①軍事的競争②政治的競争③経済的競争④人道的競争の四つに形式的に分類したうえで、人類は、もはや軍事的競争でも政治的競争でも経済的競争でもなく、人道的競争の時代を指向すべきであると訴えたのです。
2020.9.4
229P
アメリカ創価大学、4つの指針
1、「文化主義」の地域の指導者育成
1、「人間主義」の社会の指導者委育成。
1、「平和主義」の世界の指導者育成。
1.自然と人間の共生の指導者育成。
2020.9.4
224p
私は、この二人の先師の構想の実現のために、教育を自身の最後の事業と決めて取り組んでまいりました。創価大学を開学したのは〃大学紛争〃が世界中で燃え上がっていた最中の1971年のことです。
1.人間教育の最高学府たれ
1.新しき大文化建設の揺籃たれ。
1.人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ
また開学にあわせて、一対のブロンズ像の台座に、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」「労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれる」との言葉を刻み、贈りました。
2020.9.3
134p
人間はこれまで、宇宙にまで開発の手を広げる一方、人間自身の「内なる開発」を、あまりにもおろそかにいしすぎました。
2020.9.3
120p
人間、逆境に置かれたときに、どう生きるかで、その人の真価が現れるものです。戸田先生が〃生命とは何か〃を悟達し、みずからの使命を覚地したのも、獄中でした。
2020.8.31
112p
私も青年時代、師である戸田先生から、「人類の平和と進歩のためには、具体的な提案をしていくことが大切である」と、繰り返し教ええられました。
私は毎年の1月26日に「SGIの日」を記念して平和提言を発表してきましたが、常にこの師の教えを念頭に置いて、思索し提案してきたつもりです。また、具体化のために行動知ってきました。
2020.8.31
94p
もちろん、インターネットにも、善悪両面がありますが、この「開放性」と「双方性」は、民主主義を支えるっ基盤になると思います。
2020.8.31
92p ヘンダーソン
私は、責任ある「グローバル・バカナンス」(地球社会の運営)を目指しておられる。池田会長の労作業と平和提言に大きな関心を抱いております。
2020.8.31
68p ヘンダーソン
じつのところ、私が考えている「全体人間」像は、会長が具えられている人格そのものなのです。
2020.8.。31
54p じつは、歴史家のトインビー博士と二年がかりで、のべ四十時間に及ぶ対談を行いましたが、対談をすべて終えた時、博士が私に、ぜひともあったほうがよいという人物のリストをメモにいして渡してくれました。その中の一人がウォード博士だったのです。
2020.8.30
私の運命を決定づけたのも、一人の人物との出会いでした。我が師・戸田城聖先生です。今日私があるのも、
すべて若き日に受けた、師の薫陶があればこそです。
2020.8.30
私が創立した東京・八王子の創価大学の本部棟には、ダ・ブィンチの立像が置かれています。44P
2020.8.30
地球対談 輝く女性の世紀へ H・ヘンダーソン 池田大作全集 114巻
41p 草創期の創価学会は、世間から「貧乏人と病人の集まり」と揶揄されたものでした。しかし、戸田先生は、そう呼ばれることを、みずからの誉とされて得いたのです。
2020。8.30
師に届く嬉し涙の体験談
イク子姫世界一の笑顔かな
平成26年8月28日