200 使者 1979年春号
1979年6月14日
聞き手 野間宏 真継伸彦 小田 実
真継 人間がどう生きれば善いといえるか、悪いといえるか、1それが全くわからなくなった時代
が鎌倉期だったろうと思うのです。
平安朝という時代は死刑制度さえなかったし、そして戦争も四百年間という長い時期からみれば
全くわずかしかなかつた。
木下 徳川家康はシエイクスピアと同じ1616年に死んでいます。
199 海 54年6月号
1979年6月14日
男性が母性たらんとするとき
与謝野文子
2015.7.12
198 海 54年6月号
1979年6月14日
言葉・運命・兆候 阿部良雄
2015.7.12
197 海 54年6月号
1979年6月13日
ミシェルトルニエとの対話
「あなたは1924年のお生まれですが、作家としてデビューされたのは1967年43歳のときですね」「私が生まれたのはパリですが、育ったのは半分はドイツでした。両親がドイツ文学専攻だったからです」「ナポレオン、ヘーゲル、ベートーベンが同じ年に生まれているなんて!まったく信じられない!実に驚くべき均衡というべきなんで・・・・・」
2015.7.12
196 海 54年6月号
1979年6月13日
ブェロニックの屍衣 榊原晃三
2015.7.12
195 海 54年6月号
1979年6月13日
親指小僧の家出 クリスマスのお話 榊原晃三訳
2015.7.12
194 海 54年6月号
1979年6月13日
今日の海外の文学 ミシェルトルニエ 甘美な倒錯 赤い小人 村上香住子訳
2015.7.12
193 群像 54年6月号
1979年6月13日
角笛 三浦哲郎
2015.7.12
192 文学界 54年6月号
1979年6月13日
作家の真実 武田泰淳の虚像について
2015.7.12
191 新潮 54年6月号
1979年6月13日
青山次郎のこと 河上徹太郎
2015.7.12
190 文藝 54年6月号
1979年6月13日
読書鼎談 小島信夫 三木 卓 柄谷行人
2015、7.12
189 使者 春号 1979年
1979年6月13日
竹取と浮雲 説話はいかに書かれるか 篠田浩一郎
2015.7.4
188 文藝 54年7月号
1974年6月12日
言葉ありき二 名前 阿部 昭
2015.7.4
187 文藝 54年6月号
1974年6月12日
若い女性の通訳 富岡多恵子 富岡多恵子はひと昔前英語の教師だった。
2015.7.4
186 文学界 54年7月号
1974年6月12日
風俗の内側 富岡多恵子
2015.7.4
185 昴 54年7月号
1974年7月号
往復書簡 大橋健三郎⇔後藤明生
2015.7.4
184 海 54年7月号
1979年6月12日
インタビュー李恢成氏に聞く 菊田 均
2015.7.4
183 海 54年7月号
1979年6月12日
帰郷 丹羽 文雄
2015.7.4
182 海 54年7月号
1979年6月12日
我儘 河上徹太郎
2015.6.22
181 海 54年7月号
1979年6月12日
歌集『水枕』 尾崎一雄
2015.6.22
180 海 54年7月号
1979年6月12日
牡丹漫筆 瀧井孝作
2015.6.22
179 海 54年7月号
1979年6月12日
思い出すままに 里見 弴
2015.6.12
178 海 54年7月号
1979年6月12日
霞客 武田 泰淳
2015.6.20
172 使者 54年春
1979年6月12日
一平卒の視点から 大岡昇平
2015.6.20
171 新潮 54年6月号
1979年6月12日
哭 李 恢成
2015.6.20
170 文芸 54年6月号
解説 井上 謙
1979年6月12日
未発表小説 音楽者 横光利一 明治31年3月17日 昭和22年12月30日
父が土木技師のため、工事先の福島県東山温泉で生まれた。幼時、父の仕事関係から
居住地が点々と変わった。
169 海 54年6月号
読了日 1979年6月11日
四匹の巨大な黒い犬たちに導かれて 白石かずこ
2015.6.20
168 群像 54年6月号
読了日 1979年6月11日
創作合評 藤波静雄、磯田光一、岡松和夫
2015.6.18
167 書評 22年1月号
読了日 1979年6月10日
随筆ー桓沙の書 津田正青楓
2015.6.18
166 昴 54年7月号
読了日 1979年6月9日
問う 開高 健 衣食足りて文学は忘れられた!?
2015.6.18
165 文学界 54年6月号
読了日 1979年6月6日
対談時評 経験からの問いかけ 立原正秋・黒井千次
2015.6.18
164 文学界 54年6月号
読了日 1979年6月11日
天馬漂白・小説 檀一雄 真鍋呉夫
檀一雄 山梨県南都留郡谷村に生まれ、父の転職に従って、東京、福岡、久留米、足利を転々と
した。足利時代実母が4人の子供を残して若い学生と出奔した傷心が、檀の最初の文学的発想を
決定した。
2015.6.18
163 新潮 54年6月号
読了日 1979年6月9日
女あそび 野口富士男
2015.6.18
162 文芸 54年6月号 120枚
読了日 1979年6月9日
右往左往 夢の懸け橋 田中千禾夫
2015.6.18
161 文芸 54年6月号
読了日 1979年6月9日
文語文脈は古びたか 磯田光一
2015.6.18
160 文芸 54年6月号
読了日 1979年6月9日
白紙 阿部 昭
2015.6.18
159 文芸 54年7月号
読了日 1979年6月8日
文芸時評 川村 二郎
2015.6.18
158 文芸 54年6月号
読了日 1979年6月9日
毒婦の父 高橋お伝
2015.6.9
157 海 54年6月号
読了日 1979年6月8日
夜のしるべ 鈴木志郎康
2015.6.8
156 昴 54年7月号
読了日 1979年6月8日
文芸時評 上田三四二
2015.6.8
155 新潮 54年6月号
読了日 1979年6月8日
擦過傷 島尾敏雄
2015.6.8
154 新潮 54年6月号 昭和22年3.30日 太宰治の次女として東京
読了日1979年6月8日 に生まれた。
彼 方 津島佑子
2015.6.5
153 昴 54年6月号
読了日1979年6月7日
ゑちごじし十二へん 萩本晴彦
2015.6.5
152 昴 54年6月号
読了日1979年6月7日
バルガス=ジョサ 桑名一博
2015.6.5
151 昴 54年6月号 大正11年5月15日 徳島市の神仏具商の次女として生まれる
読了日 1979年6月7日
寒村翁と筍 瀬戸内晴美
2015.6.5
150 昴 54年6月号
読了日 1979年6月7日
「詩」頽齢地方で 伊藤信吉
2015.6.5
149 昴 54年6月号
今日の海外短編
読了日 1979年6月7日
マルテイヌ ロジェ・ジュドラン
安藤元雄訳
2015.6.5
148 昴 54年6月号
読了日 1979年6月7日
往復書簡 黒井千次⇔清水邦夫
深沢七郎⇔千葉真一
2015.5.29
147 昴 54年6月号
読了日 1979年6月7日
死胎 市村 光
2015.5.29
146 昴 54年6月号
読了日 1979年6月7日
標示板 三木 卓
2015.5.29
145 昴 54年6月号
読了日 1979年6月6日
三人冗語
2015.5.26
144 昴 54年6月号
読了日 1979年6月6日
文芸時評 上田三四二
2015.5.26
143 昴 54年6月号
読了日 1979年6月6日
書評ー因果話是非 谷沢 永一
2015.5.1
142 昴 54年6月号
読了日 1979年6月6日
カタラクト 吉行淳之介
2015.5.1
141 昴 54年6月号
読了日 1979年6月6日
不幸の哲学 高橋たか子
2015.5.1
140 昴 54年6月号
読了日 1979年6月6日
二葉亭と透谷 野間 宏
2015.5.1
139 昴 54年6月号
読了日 1979年6月6日
火遊び 立松 和平 110枚
2015.5.1
138 昴 54年6月号
読了日 1979年6月5日
日本の現代小説15
洪水のあとで(下) 篠田 一士
2015.5.1
137 昴 54年6月号
読了日 1979年6月5日
ピクニック 金井美恵子
2015.5.1
136 昴 54年6月号
読了日 1979年6月5日
文学は開かれる 時間・空間・人間 奥野健男
2015.5.1
135 昴 54年6月号
読了日 1979年6月5日
しみじみ日本・乃木大将 井上ひさし 180枚
2015.5.1
134 心 42年7月号 「何故アメリカ合衆国はこのように繁栄しているのか」
読了日 1979年6月3日 という点について向こうからの返事は極めて簡単でし
青少年育成への目標 茅 誠司 た。それは『フィロンテイア精神があったから』と
ゆううのでした。
133 文学界 54年6月号 夫を愛しながらボーイフレンドと関係しドライに
読了日 1979年6月2日 割り切れる妻への、夫の苦悩がテーマである。
愚者の夜 青野 聡
2015.5.1
132 昴 54年6月号
読了日 1979年5月30日
八月の光を受けよ 吉川 良
2015.4.17
131 文学界 54年6月号
読了日 1979年5月30日
耀変 中野美代子
「これは耀変天目という陶器を手掛かりに宗が滅亡する時代の中国へ、想像を走らせた作品である。 小説の図柄より、そこに使われている感じの配列に魅力がある。」
54.5.25読売夕刊秋山駿文藝評論家
2015.4.12
130 文学界 54年6月号
読了日 1979年5月28日
休刊の理由 古山高麗雄
2015.4.12
129 文学界 54年6月号
読了日 1979年5月29日
年頃 古荘正朗
2015.4.11
128 昴 54年6月号
読了日 19795月28日
宣告 加賀乙彦氏に聞く 菊田 均
2015.4.11
127 群像 54年6月号
読了日 1979年5月28日
風の歌を聴け 村上春樹 群像新人文学賞発表
2015.4.11
126 文学界 54年6月号
読了日 1979年5月27日
鳥はうたって残る 丸本淑生
主人公がコールガールと同棲しながらラスベラスの賭博で30万ドルばかりを、勝ったり負けたりする話である。
読売新聞夕刊 1979年5月28日 秋山駿文芸評論家
125 文藝 54年6月号
読了日 1979年5月27日
79 文藝時評(五) 川村二郎
2015.4.10
124 新潮 54年6月号
読了日 1979年5月24日
ついにアメリカを書いたアップダイク 宮本陽吉
2015.4.10
123 新潮 54年6月号
読了日 1979年5月24日
メフィストの古いパン種(高橋和巳) 柴田 翔
2015.4.10
122 新潮 54年6月号
読了日 1979年5月25日
ねそべりつつ なにげなく 高橋三千綱
2015.4.9
121 新潮 54年6月号
読了日 1979年5月24日
毟る 三浦哲郎
2015.4.9
120 新潮 54年6月号
読了日 1979年5月24日
玉砕ける 開高 健
2015.4.9
119 新潮 21年4月号
読了日 1979年5月23日
バルザック選集 1799年~1850 フランスの作家
2015.4.9
118 新潮 54年6月号
読了日 1979年5月22日
版画 大岡昇平 明治43年3月6日(1909)東京牛込新小川町に生まれた
2015.4.9
117 新潮 54年5月号
読了日 1979年5月22日
猫 庄司 薫
2015.4.9
116 新潮 54年5月号
読了日 1979年5月22日
招き 高橋たか子
2015.4.9
115 新潮 21年4月号
読了日 1979年5月21日
世界文化情報
2015.4.9
114 新潮 21年4月号
読了日 1979年5月20日
空は青か 150枚 佐江衆一
2015.4.8
113 新潮 21年4月号
読了日 1979年5月19日
安井先生のこと 中野好夫
2015.4.8
112 新潮 21年4月号
読了日 1979年5月16日
わが師・わが友 坪田譲二
2015.4.8
111 新潮 21年4月号
読了日 1979年
文学的人生論 青野季吉
2015.4.8
110 新潮 21年4月号
読了日 1979年5月12日
チボー家の人々 山内義雄
2015.4.8
109 新潮 21年4月号
読了日 1979年5月11日
堕落論 坂口安吾
2015.4.8
108 新潮 21年4月号
読了日 1979年5月9日
わが胸の底のここには(続) 高見順 明治40年2月18日~昭和40年8月17日58歳
2015.4.8
107 新潮 21年3月号
読了日 1979年5月8日
世界文化情報
2015.4.8
106 新潮 21年3月号
読了日 1979年5月8日
ドイツ戦没学生の手紙
2015.4.8
105 新潮 21年3月号
読了日 1979年5月8日
体験と思索
2015.5.8
104 新潮 21年3月号
読了日 1979年5月8日
藝術百一話(五)アラン
2015.4.8
103 新潮 21年3月号
読了日 1979年5月8日
なつかしい日本 (三)三好達治
2015.4.8
102 新潮 21年3月号
読了日 1979年5月7日
ジャンヌ・マリイの手 ラムボウ
2015.4.8
101 新潮 21年3月号
読了日 1979年5月5日
リルケとマン 大山定一
2015.4.8
100 新潮 21年3月号
読了日 1979年5月2日
真理とは何ぞ 亀井勝一郎
2015.4.8
425P
私たち創価学会、またSGIの運動は永遠に民衆の「希望」であり続けたい。いな、あり続けなければならない。そのためにも最も必要な精神こそが、「師弟」の精神であると、私は思っています。
2020/09/07 17:40
423P
私は師である戸田第二代会長から「歴史を学ぶことは史観を学ぶことだ」と徹底的に教えられました。そして「〃つねに民衆という大地から歴史を見る〃という史観を持て」と教わりました。「戦争で最も苦しむのは民衆である」ーこの単純ながらも明快なる真実のゆえに、私は戦争に、断固として反対するのです。歴史とは、英雄譚や立志伝を紡ぎ合わせたものではありません。
2020/09/07 17:36
406P
私はグアムの会議で、自身の深い決意を込めて、こう語りました。「自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と。
2020/09/07 17:21
388P
私も、人生を十年ごとに区切って、それぞれの目標を立ててきました。
私の挑戦の一つに執筆活動があります。体調を崩した時も、原稿を一枚、また一枚と書きつづってきました。何月何日、原稿用紙を何枚書いたというのを、「正」という字でノートに記録しながら、何ヶ月もかけて一冊の本を書き上げた時もあります。
2020/09/07 17:16
385P
人生の「同志」「戦友」として苦楽をともにした夫婦の絆ほど、美しく強いものはありません。私も、妻を「同志」であり、「戦友」であると思ってきました。世界に友情と平和の橋を懸けたいと、妻とともに各国を駆け巡ってきました。妻の陰の労苦には、感謝しても感謝しきれません。「道ひらく 君と歩みて 不二の杖」という句を贈ったこともあります。
2020/09/07 17:05
365p ボールディング
私の人生で最も親しい人といえば、やっはり夫のケネスです。彼は、私の最高の友人でもありました。
2020.9.6
348p
創価大学は春を迎えると、キャンパス一面が美しい桜花に包まれます。「木を植えるのは、十年の計。人を育てるのは百年の計」といいますが「年々歳々、樹々が育つように、若き学徒が大樹に育ってほしい」との祈りを込めて、キャンパスには多くの木を植えるようにしてきました。
2020.9.6
335p
ともすれば、数万、数十万の犠牲者を出した戦争での行為が、「やむを得なかった悲劇」「戦争を早く終わらせるのに役立った」などとされ、それを信じる人も少なくない。ここに重大な問題があります。
2020.9.6
333p
私も、生涯「青春」です。平和のために、世界から悲惨の二字をなくすために、もっともっと学び、語り、動きたいと思っています。
2020.9.6
327p
日本でも、第二次世界大戦後の高度経済成長期には、政治は福祉をあまり重視していませんでした。私が公明党を結成した理由のひとつもそこにありました。
2020.9.6
309p
私もよく妻から、歩け歩けと言われます。
2020.9.6
304P
私は、世界の多くの識者と対話を続けてきましたが、その原点はトインビー博士との、二年越しの、のべ四十時間にわたる語らいでした。
2020.9.5
295P
ホールディング 先日は、池田会長のすてきな写真集をいただき、ありいがとうございました。
先生 私は写真を愛好する一人として、ありのままの自然の美しさと対話しながら、撮影してきたつもりです。
執務の合間や、移動の際の車窓などから、シャッターをきること多いのですが、撮るのはほとんどが自然や町の風景です。
276P
あるとき釈尊の弟子である阿難が「師よ、われらが『善き友』を持つことは、聖なる道の「半ば」に当たると思いますが、いかがでしょうか。と尋ねた。
この問いに釈尊は、こう答えます。「阿難よ、そういう言い方は正しくない」「善き友を持つことは、この道の『すべて』である」「私自身、諸君の友であり、善き仲間である。」と。
仏法とは、「善き友」をつくり、自分もまた「善き友」となっていく道であると説いているのです。
2020.9.5
Eボールディング 1990年にノーベル平和賞候補にあげられた。ダートマス大学名誉教授 2010.6逝去
256P ヘンダーソン
私こそ、この対談がどんなに楽しかったか、どんなに光栄であったかー。尊敬する池田会長と、このような有意義な語らいを持てましたことを、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
2020.9.5
252P
インターネットは、双方向のやりとりができ、国家を超えて民衆同士が直に結びつくことができる、より自由で民主的なメディアです。市民社会長とメディアの革新は、切り離せない関係にあるといえます。
2020.9.5
244p
牧口先生は、世界における生存競争を①軍事的競争②政治的競争③経済的競争④人道的競争の四つに形式的に分類したうえで、人類は、もはや軍事的競争でも政治的競争でも経済的競争でもなく、人道的競争の時代を指向すべきであると訴えたのです。
2020.9.4
229P
アメリカ創価大学、4つの指針
1、「文化主義」の地域の指導者育成
1、「人間主義」の社会の指導者委育成。
1、「平和主義」の世界の指導者育成。
1.自然と人間の共生の指導者育成。
2020.9.4
224p
私は、この二人の先師の構想の実現のために、教育を自身の最後の事業と決めて取り組んでまいりました。創価大学を開学したのは〃大学紛争〃が世界中で燃え上がっていた最中の1971年のことです。
1.人間教育の最高学府たれ
1.新しき大文化建設の揺籃たれ。
1.人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ
また開学にあわせて、一対のブロンズ像の台座に、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」「労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれる」との言葉を刻み、贈りました。
2020.9.3
134p
人間はこれまで、宇宙にまで開発の手を広げる一方、人間自身の「内なる開発」を、あまりにもおろそかにいしすぎました。
2020.9.3
120p
人間、逆境に置かれたときに、どう生きるかで、その人の真価が現れるものです。戸田先生が〃生命とは何か〃を悟達し、みずからの使命を覚地したのも、獄中でした。
2020.8.31
112p
私も青年時代、師である戸田先生から、「人類の平和と進歩のためには、具体的な提案をしていくことが大切である」と、繰り返し教ええられました。
私は毎年の1月26日に「SGIの日」を記念して平和提言を発表してきましたが、常にこの師の教えを念頭に置いて、思索し提案してきたつもりです。また、具体化のために行動知ってきました。
2020.8.31
94p
もちろん、インターネットにも、善悪両面がありますが、この「開放性」と「双方性」は、民主主義を支えるっ基盤になると思います。
2020.8.31
92p ヘンダーソン
私は、責任ある「グローバル・バカナンス」(地球社会の運営)を目指しておられる。池田会長の労作業と平和提言に大きな関心を抱いております。
2020.8.31
68p ヘンダーソン
じつのところ、私が考えている「全体人間」像は、会長が具えられている人格そのものなのです。
2020.8.。31
54p じつは、歴史家のトインビー博士と二年がかりで、のべ四十時間に及ぶ対談を行いましたが、対談をすべて終えた時、博士が私に、ぜひともあったほうがよいという人物のリストをメモにいして渡してくれました。その中の一人がウォード博士だったのです。
2020.8.30
私の運命を決定づけたのも、一人の人物との出会いでした。我が師・戸田城聖先生です。今日私があるのも、
すべて若き日に受けた、師の薫陶があればこそです。
2020.8.30
私が創立した東京・八王子の創価大学の本部棟には、ダ・ブィンチの立像が置かれています。44P
2020.8.30
地球対談 輝く女性の世紀へ H・ヘンダーソン 池田大作全集 114巻
41p 草創期の創価学会は、世間から「貧乏人と病人の集まり」と揶揄されたものでした。しかし、戸田先生は、そう呼ばれることを、みずからの誉とされて得いたのです。
2020。8.30
師に届く嬉し涙の体験談
イク子姫世界一の笑顔かな
平成26年8月28日