名誉会長のメッセージ 本幹2015・6・9

 わが創価学会の再建は昭和20年7月3日、戸田先生の出獄から始まりました。

 この7月3日、おかげさまで、私の全集も完結の運びとなります。「出獄と入獄の日」に師弟不二の勝利の証として、恩師に捧げるとともに、これからも『新・人間革命』をはじめとする執筆を日々、重ねていく決心であります。

2023.12.6


桂冠詩人の世界 4.20 本紙創刊62周年全ての皆様に感謝 20134.21

 聖教は私の命であり、創価学会の命であり、仏法厳護の命であり、広宣流布の命である。

2023/12/02 16:39


13-199 Jデルボラフ 池田大作

 教授の見解に同意します。宗教哲学をもち死生観を確立している人は、死に対峙していても容易に受容の段階にまでいたると思われます。

 仏法を信仰している人の場合を見ていると、たとえ、死に直面していることが判明しても一時のショックからすみやかに立ち直り、自分なりに死の意味を発見し、それを確認し死生観を深め、最後は悲しみのうちにではなく、むしろ人生を創造的に生ききった満足感と生命自体の充実感につつまれて死を受容する例が多いようです。仏法では、このような受容を゛臨終正念゛と称しています。

2023/11/26 11:47


85-414 ◎ 第1回中国青年総会総会  自分を作れ、その人が勝者 1995  H7年5月7日 67歳

 仏道修行について、一言述べておきた釈尊の一人7に、阿難がいる。ある時、釈尊に阿難が尋ねた。「私が考えて見ますとに、私どもが善き友を持ち、善き友と一緒に進むことは、すでに仏道の半ばを成就したに等しいと思われます。この考え方は正しいでしょうか善きともきともを持つことが、仏道修行の半ばを意味するーとは、大げさに聞こえる表現かもしれないしかし、釈尊はこう答えた。

「阿難よ、その考え方は、正しくない。善き友を持ち、善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道のすべてなのである」

2023/11/24 11:36


69-585 すなわち正信会とその流類は、いかにご本尊を拝していても大謗法の徒である。

2023年11月17日


69-571東京各区記念館部会 太陽の仏法 耀く世紀の扉を  1987年 S62.12.19

 私どもは何のために信仰し、仏道修行しているのだろうか。当然、一生成仏のためであり、広宣流布の為である。これをある面からいえば゛人生の達人になるためである゛生命の達人になるためである。すなわち、人間としての真実の勝利を勝ち得るためである。

2023/11/16 17:28   


69-558 豊島、台東、墨田、目黒区合同総会  真の人間組織こそ宗教の基盤  1987 昭和63年12.12

そのうえで、私は、最も大切な一つは「対話」であると強調しておきたい

。2023.11.13


69-531 12月度本部幹部会 妙法で永遠の栄光の軌跡を1987年   S62年12月4日  先生59歳

 何が真実の幸福となるか。私はまず何よちも夫婦の麗しい゛絆゛こそ肝要であると思っている。夫は妻を、心から大切にする。また妻は夫を尊敬し、信頼し、深く愛していく。まるで浪花節のセリフみたいだが(爆笑)こうした目に見えない「心」と「心」の絆こそ、地位や役職、富や名声を超克した大勝利の人生と家庭を築く源泉となることを今日は強く申し上げておきたい。

2023.11.11

69-508 509 ー同ー

  いかなる難があろうとも、大聖人ほどの大難を受けるわけではない。くらべるのはもったいなほどの小さな難である。 

 

 更に続けて戸田先生は「それからピストルの弾の一発ぐらいはぶつけられたい」ともおっしゃっている。ただし、「なるべく死なないところに当ててくれると良い」爆笑と。

 これは戸田先生の一流のユーモアである。そして「だがそれくらいのことは覚悟しています。覚悟していなければやれません。」と。死身弘法への決意を述べられている。

ユーモアをまじえながらの話しではあるが、私には戸田先生の真意が、すなわち死を決意しての広宣流布への並々ならぬ「」が、強く鋭く胸に迫ってきてならない。

2023/11/09 12:03


69-504伊豆広布四十周年記念代表幹部会 わが境涯を大海のごとく  1987  S62.11.23  59歳

 私は19歳で入信し、この文段を拝した時、痛烈に思った。ああ妙法の因果の穂y即はなんと厳然なるものか。なんと厳正にして、曇りなき賞罰かと。胸が打ち震える思いで、仏法の真実を直覚し、確信したことを今でも明確に覚えている。また、私の信心の確信は、このときにひとつの結晶をみたと言えるかもしれない。

2023.9.23

69-460   ーーーー同ーーーー

 私には戸田先生しかいない。それが私の一切である。戸田先生の「」をこの世で実現していく、それのみが私の使命であり、栄誉であると思っている。これ以外の私自身のことや一家一族のことなど、まったく眼中にない。

2021/12/20 16:42


69-446 創立57周年記念勤行会 「創立の志」を広布の炎と 1987.S62年11.18 59歳

 時に牧口先生は59歳。今の私の年齢である。また戸田先生は30歳。現在の青年部の幹部と同じ年代である。牧口先生と戸田先生のお二人は、この二年前の昭和三年に日蓮大聖人の仏法に帰依された。この年は私が生まれた年でもあった。

2021.7.22


69-419創立57周年記念合同総会 みょうほうをは「永遠の生命」活かす本源 1987 昭和62年11月15日 59歳

 人間の心理、一念というものは、まことに微妙である。そのいわば毛細血管のごとき微細な要所に向かって指導激励の注射をし、薬を入れて癒やしていく。真実の真実の仏法指導者、人間指導者の実践がある。繊細なうえにも繊細に心をくだき、そのうえで力強き蘇生への励ましを続けていけるリーダーでなければならないといつも私は思っている。

2021/05/02 14:05


69-360 九州代表者会議 峻厳な行学錬磨の伝統を 昭和62年10月21日

 この建治年間から弘安年間にかけて大聖人は法華経の要文について講述された。それを日興上人が筆録され、大聖人の御允可を得たのが御義口伝である。そのもようは、いわば唯仏与仏の御境涯であられる大聖人と日興上人の厳粛な儀式と拝される。


69-323  第2東京支部長会 20世紀へ人間の復興運動」

 皆様方も、そらぞれの広布を綴りゆくライフワークトいえるものを持っていただきたい」。私は私なりのライフワークをもち

、その実現に進んでいるt森である。

2021.1.4


69-227 

正法の、この正しき実践を貫いた人は臨終の時にも、何の憂いも、苦しみもなく、晴れやかな〃大安心〃の境涯で、新たな三世の旅路へと出発していける。ここに仏道修行の重要な目的がある。そのように、死を見事なる勝利の人生の完成となした信仰者は、皆様の周囲にも必ずやおられるにちがいない。

2020/09/19 10:18


69-201 各部合同研修会 三世永遠の人生の王道を 1987年9月15日 59歳

山崎某一派の画策の構図は明瞭であった。彼らは僧俗一致であっては困るのである。僧俗一致では自分たちがつけいるスキが亡いからである。

とくに学会の責任者である私を攻撃すれば、いちばん効果があり、決定的な破壊ができるで有ろうと狙ったことは一目瞭然である。それに正信会の僧たちが完全に乗ってしまい、また学会の中にも乗せられた者がいたのである。愚かでありまた悲劇であるというほかはない。

2020/09/17 11:18


69-181 人類永遠の安穏の道を開示 8.24 記念杉並区幹部会 1990.8.27 62歳  40歳

まさに信心とは諸天を動かし、この短い限りある人生を何百年にも、何千年にも、いな何万年にも四って期敵する〃価値ある一生〃へと、むげんに開きゆく原動力をいうのである。

2020/09/14 18:34


69p 「日蓮は日月・梵王をかたうどとせん」ーこの御本仏の壮大な御境涯を仰ぎ、私共門下もまた宇宙を友として語りゆくような広々とした境涯で生きていきたいものである。

2020/09/10 11:31


69-64 我が生命の永遠の軌道を 北海道広布開拓三十周年記念幹部会 1990年8.2 62歳 40歳

総じて信心が深まるほど、様々な現象の一切が結局、様々な意味で、最も良い方向に回転していることが実感されていくものである。その真実を心に深く納得できるのか否かは、我が信心の境涯をどこまで深め、高めていけるかにかかっている。


69-35 正しき仏法は生活社会に脈動記念研修県長研修 1990 昭和62年7月29日 62歳 40歳

 私どもの信心は遠くは御開山日興上人が88歳になられても厳とされていたお姿を忘れてはならない。第三祖日目上人も74歳になられても、なお、国主諫暁に向かわれた峻厳なお姿を忘れてはならない。近くは、牧口先生の73歳にしてなお、獄中で貫かれた死身弘法の信心を見失ってはならない。と強く申し上げたい。

2020/08/30 17:19


68-548 山形県幹部会 仏法は心尽くす行動の中に  1990 昭和62.7.6  62歳  39歳

当時は今のように電話や電報があったわけではない。しかし、〃夫の病気が重い〃と聞かれて、即座にお手紙を出される。そして、亡くなった。との報告を受けられては、ただちに励ましのお手紙を認められている。わずか11日の間に2通もお手紙を差し上げられておられる。妙法尼は、今でいえば、第一線で真面目に信仰に励む一婦人部員である。そうした方に、御本仏であられる大聖人御自身が迅速に、しかも全魂を込めて真剣に激励しておられる。

2020.8.28


68-542 東北各部合同研修会 一人の人間として強き勇者に 昭和62年7月5日 62歳 40歳

戸田先生もかって、人間、金も名誉も地位も何もいらぬ者ほど強う者はない、と言われていた。いざというときに、それらの虚像にとらわれ世間体等に執着する人ほど、その執着心ゆえに弱いものだ。創価学会員の強さは広布の大目的に殉じ、いっさいを失っても悔いがないという究極の人間性の強さであることを忘れてはならない。

2020/08/20 9:26


68-490 第7回未来部総会 汝自身の〃内なる完成を〃1990.S62.6.27 62歳  40歳

 戦後、この宿命転換の大法を社会に弘め、人々に希望を与えぬいた方が戸田先生である。また仏法の三世永遠の生命観を分かりやすく現代的に教えられたのも戸田先生である。ここに戸田先生の歴史を画す大偉業があった。冷徹に論じ、鋭く客観的に探求すればするほど、鮮明に浮き彫りになることはまちがいない。諸君も、決して、戸田先生という指導者を安易に考えてはならない。


68-440 全九州幹部総会 興隆する宗教とその精神989  61歳  62。5.12 39歳

人の心を動かすものは、本当にあたたかな愛情である。学会ほど家族的であたたかな心の通いあった世界はない。

2020/07/25 17:42


68-354 「5・3」記念関西代表者会議 1989 61歳  S62.4.17

 私が学会本部に入り戸田先生のもとで働くようになったのは先生の逝去直前(昭和33年3月1日)であった。それまでは戸田先生の商事会社で働いていた。広宣流布の経済面を支え築くための会社である。事業を盤石にすることが広布の大指導者である戸田先生を守ることになるという信念で戦った。

 私が本部に入ったとき、戸田先生は何人かの最高幹部の前で、こう言われた。「大作が本部に来たよ。これで本部は心配ないよ」と。

2020/06/13 9:37


68-351 関西広布35周年代表者幹部会 1989年 61歳 s62年4月16日 孝明39歳

明治の元勲と呼ばれた政治家は大磯にそう浪閣という料亭を残した。また別の政治家は椿山荘という料亭を残した。一方福沢諭吉は慶応大学を残した。大隈重信は早稲田大学を残した。と言われた。人生において何を残すかが大切である。

2020/05/21 18:03


68-324 全国代表者会議 胸中にかくかくたる太陽の輝きを S62.3.4 1987 59歳  37歳

 東京からロサンゼルスへ向かう機中で一万メートル上空からの日の出を見ることが出来た。それは、大きいかくかくたる太陽であった。地上から日の出を見たことがある。しかし、一万メートル上空からの日の出は初めてであった。その時の感動は忘れることが出来ない。機長らもこれだけの日の出は初めてだと、話されていた。

 その日の出に、私は永遠に消えることのない。大聖人の大境涯のかくかくたる光を感ずるような気がしてならなかった。それはとても言葉では表現できないが、いわば大黄金の光源たらしめる原動力となっている。「妙」なる「法」の荘厳さ、偉大さを感じる思いがした。

2020/04/19 11:58


68-267 アメリカSGI特別研修会 1987. S62.2.12 16 17

「妙心尼御前御返事」には「ただいま霊山にまいらせ給いなば・日いでて十方をみるがごとくうれしく、とくしにぬるものかなと・うちよろこび給い候はんずらん」1480p

 また死して、悲しき暗闇の中に入るものではない。御本尊への「信」を貫き通した人は晴れ晴れとした十方の世界を見下ろすような境涯となる。御聖訓の通り〃よくぞ早く死にぬるものか〃と喜びいっぱいの死である。さらには歓喜きわまりない感動の「死」なのである。

2020/04/13 10:20      すごい先生のご指導である。


68-174 「1.15」記念各部代表者合同研修会 新しき人類文明の夜明けを 1987年 昭和62年1.15 59歳 36歳

 リーダーは皆が気兼ねなく言い合っていける雰囲気をつくっていくことが大切である。率直に建設的ないけんも言えないような権威的な態度であっては絶対にいけない。真の組織は、常に心の交流と人々の成長につながっていくべきことを忘れてはならないだろう。

2020/04/11 18:14


68-163 渋谷文化会館落成記念勤行会 大衆とともに歌われゆく詩を 1986  昭和61年12月28日 58歳 36歳

 また本日、NHKテレビの番組で私(山本伸一)の作詞した「森ケ崎海岸」の歌がダークダックスの歌唱により紹介された。

このようにNHKの番組で全国に放送されたことは、まことに恥ずかしいかぎりであるが、嬉しいことである。


68-139 東京第6・第8総合本部記念館部会 広宣流布の組織を守れ 1986 昭和51年12月23日 58歳  36歳

 人生は長いようで短い。ゆえに健康で生き生きと活動できるときにこそ、弘教、唱題 友の激励、指導にと悔い無き広布と信心の活動に励んで頂きたい。それらがすべて自身の人生の歴史を飾っていくからである。


68-108 大宮広布三十五周年記念代表集会 1986 昭和61年12月21日 先生58歳  孝明36歳

 学問でも仕事でもいかなる分野であっても、一事

を究める人は、一心不乱に研鑽と修行を積んでいる。その、いわば〃狂人〃のような執念があってこそ、人並み以上の実績を築けるわけである。2020/03/01 10:11

68-116 

トインビー博士たちが私との対談を求められ、実現した背景にも・・・死の本源的解決の道を示した仏法の真髄への熱い注目があったことも、事実である。

131~134

 こうした日寛上人の御振る舞いをみると、はたして「死」は「悲しみ」なのか「喜」なのかと思えてくる。世間では「死」は悲しくつらいものである。しかし、三世の生命観からみれば妙法に照らされた「死」は「喜」ともなっていくことを日寛上人は教えて下さっているようにも拝せるのである。

2020/03/01 10:42



68-44 三郷広布35周年記念代表者会 1986 昭和61年12月21日 58歳

 学問でも、仕事でも、いかなる分野であっても、一事を究める人は、一心不乱に研鑽と修行を積んでいる。そのいわば〃狂人〃のような執念があってこ人並み以上の実績を築けるわけである。

 ー116 同  トインビー博士たちが、私との対談を求められ実現した背景にも、死の本源的解決の道を示した仏法の真髄への熱い注目があったことも、事実である。

 ー131~134

 こうした日寛上人のお振る舞いをみるとはたして「死」は「悲」なのか「喜」なのかと思われてくる。世間では「死」は悲しくつらいものである。しかし、三世の生命観からみれば、妙法に照らされた「死」は「喜」ともなっていくことを、日寛上人は教えてくださっているように拝せるのである。

2020/02/04 10:35


74巻 創立60周年祝賀の婦人部記念 代表幹部会 1990年4月12日

アメリカ合衆国第三代大統領ジェファソン(1743~1826)1801年、すなわち19世紀の開幕の年ジェファソンは大統領引退後は、悠々と書を読み、人々と文通を続けながら、青年時代から志してきたアメリカ独立の仕上げに心をくだいた。また、教育にも情熱をそそぎバージニア大学を総理ゥしている。また、彼は生涯で五万通の手紙を残したという。


池田大作全集62巻 21世紀へ母と子を語る

自慢話ばかりをする親よりも、自分の失敗談を話してくれる親のほうが、子どもも相談しやすいといいます。

 

私がここまでやってっこられたのも、戸田先生との「誓い」があったからです。

戸田先生の故郷・厚田村で、大海原を前に先生は、私はこう言われた。

「この海の向こうには、大陸が広がっている。東洋に、そして、世界に、妙法の灯りをともしていくんだ。この私に代わって

戸田先生に代わって」―――この誓いが私の全てです。

 

哲学者ルソーは、こう言っています。

「子どもを不幸にするいちばんの確実な方法は、なにか、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ。」

 

『エミール』今野一雄訳、岩波文庫