新人間革命 第28巻 広宣譜 1 2014.11.18
1978年(昭和53年)6月28日の午後、彼は、東京・信濃町の学会本部にある師弟会館で作詞を開始した。30分ほど前、創価文化会館内の広宣会館で各部代表者会議を終えた時、学生部の代表が、新学生部歌の歌詞を見てほしいと言ってきたのだ。
新・人間革命』第1巻 旭日 34P
「伸一君、ぼくは、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。構想だけは、ぼくがつくっておこう。君が、それをすべて実現してくれ給え」彼は、この言葉を命に刻んだ。その日から、どうやって世界広布の道を開くかを、模索し続けてきた。
2021/02/18 10:48
新・人間革命』第1巻 開拓者 290P
打ち合わせが終わったのは深夜だった。伸一の肉体の疲れはすでに限界を超え、めまいさえ覚えた。しかし、バックから便箋を取り出すと、机に向かい、ペンを走らせた。日本ンお同志への激励の便りであった。手紙は何通にも及んだ。
彼は憔悴の極みにあったが、心には、恩師戸田城聖に代わってブラジルに大地を踏み、広布の開拓のクワを振るう喜びが脈動していた。その歓喜の闘魂が、広宣流布を呼びかける、熱情の叫びとなってあふれ、ペンは便箋の上を走った。
2021.2.15
人間革命 第12巻 宣言の章 158P
「もし、会合の参加者にのみ焦点をあわせ、組織が運営されていくならば、本来、指導の手を差し伸べれるべき多くの人を、見落としてしまうことになる。
ひとたび、組織の責任者の任命を受けたということは、戸田先生の大事な弟子を、先生からお預かりしたということです。その人たちを悲しましたり、退転させてしまうようなことがあっては、絶対になりません」
伸一の意識は、むしろ、会合に参加できなかった人に向けられていたといってよい。彼は、会合終了後の家庭指導こそが、勝負であると心に決めていた。そして、同志が元気になり、希望と勇気を持てるためには、どんなことでもした。共に記念のカメラに納まることも、色紙に励ましの言葉を揮毫して贈ることもあった。さらに寸暇を惜しんで、激励の手紙を書いた。
2014.10.10
人間革命 第12巻 宣言の章 154p
創価学会といっても、それは皆さんを離れてはありません。皆さんの大ブロックが、ブロックが、そのまま創価学会です。そこが歓喜にあふれているか、功徳に満ちているか、温かい人間の交流があるかーそれ以外に広宣流布の実像はありません。
どうか、『私が創価学会の代表です』と言える一人ひとりになってください。また最高のブロック、大ブロックをつくってください。自分の担った分野で、最高のものをつくり あげていくーーそれが、戸田先生との共戦の姿であり、弟子としての戦いです。やろうじゃありませんか!」
「最後に、私たちが戦いを起こすうえで、最も大切なものは何かを述べておきたいとおもいます。それは勇気です。朝起きるにも、勤行をするにも勇気が必要です。また、悪いことを悪いと言い切るにも、勇気がいります。人生も、広宣流布もすべては勇気の二字できまってしまう。」
2014.10.3
新・人間革命』第1巻 開拓者 290P
打ち合わせが終わったのは深夜だった。伸一の肉体の疲れはすでに限界を超え、めまいさえ覚えた。しかし、バックから便箋を取り出すと、机に向かい、ペンを走らせた。日本ンお同志への激励の便りであった。手紙は何通にも及んだ。
彼は憔悴の極みにあったが、心には、恩師戸田城聖に代わってブラジルに大地を踏み、広布の開拓のクワを振るう喜びが脈動していた。その歓喜の闘魂が、広宣流布を呼びかける、熱情の叫びとなってあふれ、ペンは便箋の上を走った。
2021.2.15
新・人間革命』第1巻 慈光 246P
「秋月君、聖教新聞の使命は極めて大きい。学会にあっては、信心の教科書であり、同志と同志の心をつなぐ絆になっていかなくてはならない。また、社会にあっては、不正、邪悪と戦い、仏法の慈光をもって、真の人間の道を指し示していく使命がくぁる。軍部政府と命をかけて戦った、牧口先生、戸田先生の精神を受け継ぐ学会の機関紙以外に、本島の平和の道は語れないからね」
2021.2.15
人間革命 第12巻 宣言の章 154p
創価学会といっても、それは皆さんを離れてはありません。皆さんの大ブロックが、ブロックが、そのまま創価学会です。そこが歓喜にあふれているか、功徳に満ちているか、温かい人間の交流があるかーそれ以外に広宣流布の実像はありません。
どうか、『私が創価学会の代表です』と言える一人ひとりになってください。また最高のブロック、大ブロックをつくってください。自分の担った分野で、最高のものをつくり あげていくーーそれが、戸田先生との共戦の姿であり、弟子としての戦いです。やろうじゃありませんか!」
「最後に、私たちが戦いを起こすうえで、最も大切なものは何かを述べておきたいとおもいます。それは勇気です。朝起きるにも、勤行をするにも勇気が必要です。また、悪いことを悪いと言い切るにも、勇気がいります。人生も、広宣流布もすべては勇気の二字できまってしまう。」
2014.10.3
人間革命 第12巻 宣言の章 152p
また、勤行の姿勢が、その人の生き方に表れます。弱々しい勤行の人は、生命力も乏しく、どうしても弱々しい生き方になっていくし、義務的な勤行であれば、信心の歓喜はなかなか得られません。お互いに、白馬が天空を駆けるような、リズム感あふれる、すがすがしい勤行をしていきましょう。
そして、真剣な祈りを込め、大宇宙を動かし行くような、力強い、最高の勤行を、日々めざしいこうではありませんか。
その意味から、私は、わが葛飾総ブロックは『朝晩の勤行をやりきる』ということをスローガンに掲げて、前進したいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」
学会の飛躍的な発展の源泉は、一人ひとりの会員に、勤行の実践を徹底して教えてきたことにあった。また、そこに偉大なる宗教革命もあったのである。
2014.10.2
新・人間革命』第1巻 慈光 222P
二十一世紀は、必ずアフリカの世紀になるよ。その若木の成長を、世界はあらゆる面から支援していくべきだ。
2021.2.15
新・人間革命』第1巻 錦秋 195P
伸一は、常に人との出会いを大切にしてきた。相手が会員であるなしに関係なく、一つ一つの出会いを心に注ぎ、希望の苗を植え、友情の葉を茂らせ、新たな創造していった。それが、「縁起」という人間の融合の原理を知る、仏法者のまことの生き方といえるからだ。
2021/02/15 11:07
はい、泉谷照子と申します。
それから数週間後、彼女のもとに、何冊かの学会の書籍が贈られてきた。差出人は山本伸一であった。そして、この出会いから一年七ヶ月後、泉谷照子は自ら入会している。やがて彼女によって、カナダ広布は大きく前進して行くことになるのである。
人間革命 第12巻 宣言の章 152p
また、勤行の姿勢が、その人の生き方に表れます。弱々しい勤行の人は、生命力も乏しく、どうしても弱々しい生き方になっていくし、義務的な勤行であれば、信心の歓喜はなかなか得られません。お互いに、白馬が天空を駆けるような、リズム感あふれる、すがすがしい勤行をしていきましょう。
そして、真剣な祈りを込め、大宇宙を動かし行くような、力強い、最高の勤行を、日々めざしいこうではありませんか。
その意味から、私は、わが葛飾総ブロックは『朝晩の勤行をやりきる』ということをスローガンに掲げて、前進したいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」
学会の飛躍的な発展の源泉は、一人ひとりの会員に、勤行の実践を徹底して教えてきたことにあった。また、そこに偉大なる宗教革命もあったのである。
2014.10.2
人間革命 第12巻 宣言 151p
では、模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。まず、全会員が、しっかり勤行できるようにすることです。柔道にも、剣道にも、基本がありますが、幸せになるための信心の基本は、勤行にあります。日々、真剣に勤行し、唱題を重ねた人と、いい加減な人とでは、表面は同じように見えても、三年、五年、七年とたっていった時には、厳然たる開きが出てきます。
宿業の転換といっても、人間革命といっても、その一切の源泉は、勤行・唱題にほかなりません。
2014.9.30
人間革命 第12巻 宣言 151p
では、模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。まず、全会員が、しっかり勤行できるようにすることです。柔道にも、剣道にも、基本がありますが、幸せになるための信心の基本は、勤行にあります。日々、真剣に勤行し、唱題を重ねた人と、いい加減な人とでは、表面は同じように見えても、三年、五年、七年とたっていった時には、厳然たる開きが出てきます。
宿業の転換といっても、人間革命といっても、その一切の源泉は、勤行・唱題にほかなりません。
2014.9.30
人間革命 第12巻 宣言 150p
ブロックの模範を作るということは、幸せの模範を作るということです。この葛飾を、皆で力を合わせ、東京一、いな、日本一の、幸せあふれる地域にしていこうではありませんか!
2014.9.28
新・人間革命』第1巻 錦秋 147P
伸一の思いは、いつも広宣流布の第一線で苦闘する同志とともにあった。いな、彼自身が最前線を駆け巡る若き闘将であったといってよい。
2021/02/15 10:51
人間革命 第12巻 宣言 148p
九月二十五日夕刻、東京・葛飾区亀有の、葛飾総ブロック結成大会の会場には、三々五々と学会員が集ってきた。刈り入れを待つ稲穂が風にそよぐ、日暮れの田ぼ道を行く同志の表情は、喜々としていた。
山本伸一が到着した時には、会場は千数百人の人であふれていた。午後七時、結成大会は開会となった。
伸一が総ブロック長として葛飾に来たということは、この葛飾から広宣流布の新しいうねりが起こるであると、だれもが確信していた。
私が葛飾に来たのは、ただ任命を受けたからではありません。私はこの葛飾に、全国に先駆けて、模範的なブロックをつくるために来ました。戸田先生は、常に葛飾の皆さんのことを考えられ、そして、私にこの、『今度は葛飾だ』と言われて、派遣されたんです。」
それは、ブロックの模範を、皆さんと共に、この葛飾につくりなさいという意味にほかなりません。戸田先生は、葛飾の皆さんなら、必ずそれができると信じて、私を派遣されたんです。私も、模範のブロックをつくる方々は、皆さんしかいないと確信しております」
2014.9.27
人間革命 第12巻 宣言 141p
伸一は、二十五日夕刻、本部に戻り、戸田に総登山の輸送計画について報告すると、直ちに葛飾に向かった。この日の夜、伸一が総ブロック長に就任した葛飾総ブロックの結成大会行われたのである。
葛飾は、東京二十三区の北東部に位置し、江戸川と荒川に挟まれて大小の河川が流れる「東京の水郷」ともいうべき地域である。区内には、家内工業を中心とした小さな企業が多く、人々には、気取りのない下町気質あった。
伸一は、人情味に富み、庶民の温もりが漂い、のどかな田園風景が広がる、この葛飾が好きだった。
彼は、車窓から景色を眺めながら、葛飾の未来に思いをめぐらしていた。
時代の流れは、やがて、これらの水田を一大住宅地に変えてしまうであろうが、それだけに限りない未来性を秘めた地域といえる。二十年後、三十年後には、東京の広宣流布を決する心臓部となるだろう。
伸一は、東京の、また、日本の広宣流布の未来のために、この葛飾に、全国に先駆けて模範のブロックをつくろうと、固く決意していた。
2014.9.26
新・人間革命』第1巻 新世界 140p
彼は己心の恩師・戸田城聖の語りかけていた。〃先生!伸一は、先生のお言葉通り、新世界の広布の扉を開きました〃。
2021/02/15 9:49
新・人間革命』第1巻 新世界 118p
信心しているから良い人であり、していないから悪い人などというとらえ方をすれば、大変な誤りを犯してしまうことになる。いや、人権問題でさえあると私は思っているんです。
2021/02/15 9:38
新・人間革命』第1巻 新世界 95p
山本伸一の厳しい目は、日々の新聞報道などを鋭く見つめていた。
2021/02/15 9:34
新・人間革命』第1巻 開拓者 290p
打ち合わせが終わったのは深夜だった。伸一の肉体の疲れはすでに限界を超え、めまいさえ覚えた。しかし、バッグから便箋を取り出すと、机に向かい、ペンを走らせた。日本の同志への激励の便りであった。手紙は何通にも及んだ。
『新・人間革命』第1巻 錦繍 146p
伸一の思いは、いつも広宣流布の第一線で苦闘する同志と共にあった。いな、彼自身が最前線を駆け巡る若き闘将であったといってよい。
2020/10/25 16:09
人間革命 第12巻 宣言 141p
伸一は、二十五日夕刻、本部に戻り、戸田に総登山の輸送計画について報告すると、直ちに葛飾に向かった。この日の夜、伸一が総ブロック長に就任した葛飾総ブロックの結成大会行われたのである。
葛飾は、東京二十三区の北東部に位置し、江戸川と荒川に挟まれて大小の河川が流れる「東京の水郷」ともいうべき地域である。区内には、家内工業を中心とした小さな企業が多く、人々には、気取りのない下町気質あった。
伸一は、人情味に富み、庶民の温もりが漂い、のどかな田園風景が広がる、この葛飾が好きだった。
彼は、車窓から景色を眺めながら、葛飾の未来に思いをめぐらしていた。
時代の流れは、やがて、これらの水田を一大住宅地に変えてしまうであろうが、それだけに限りない未来性を秘めた地域といえる。二十年後、三十年後には、東京の広宣流布を決する心臓部となるだろう。
伸一は、東京の、また、日本の広宣流布の未来のために、この葛飾に、全国に先駆けて模範のブロックをつくろうと、固く決意していた。
2014.9.26
『新・人間革命』第1巻 旭日 86p
民衆の力ほど強いものはない。民衆の力は、大地の強さに似ている。ひとたび怒りのマグマを噴き上げ、振動を開始すれば、山をも動かすエンエルギーを持っている。時代、社会を変えゆく源泉は、常に民衆であることを忘れてはならない。
2020/10/22 10:53
人間革命 戸田城聖 発芽 90p
おつや、日蓮正宗の御本尊を、おれも拝ませていただくよ。
2020/10/22 9:46
『新・人間革命』第1巻 旭日 11p
平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。
2020/10/19 10:07
『新・人間革命』第1巻 旭日 75p
「リキさん、社会的信頼を得るために、まず大切なのは、仕事で成功することです。それがいっさいの基盤になる。そのために、人一倍、努力するのは当然です。そして、題目を唱え抜いて、智慧を働かせていくんです。広宣流布をわが人生の目的とし、そのために実証を示そうと、仕事の成功を祈るときに、おのずから勝利の道、福運の道が開かれていきます」
2020/10/20 11:04
『新・人間革命』第1巻 はじめに
『新・人間革命』は、完結までに30巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない。しかし、自身のこの世の使命を果し抜いてこそまことの人生である。かのゲーテも、ユゴーも、またトルストイも、八十歳にして、なお、生き生きと働き、信念のペンを執り続けた。私は六十五歳であり、まだまだ若い。
私も、『新・人間革命』の執筆をわが生涯の仕事と定め、後世のために、金剛なる師弟の道の「真実」をそして、日蓮大聖人の仰せのままに、「世界広宣流布」の理想に突き進む尊き仏子が織りなす栄光の大絵巻を、力の限り書きつづってゆく決意である。正も邪も、善も悪も、勝者も敗者も、厳しく映し出しながらー。
戸田先生も、その生き方を、じっと見ているように思えてならない。。
読者の皆様の温かいご支援を、心からお願いする次第である。
1993年11月3日
2020/10/19 9:55
人間革命 第12巻 涼風 23p
「伸一君、私は、『人間革命』を書いていて思ったんだが、信仰という人間の内面世界を語るためには、どうしても、小説という手法をとらざるを得ない面があるな。私の獄中の体験も、以前『創価学会の歴史と確信』に書きはしたが、小説でないと、細かい内面の描写はできないものだ。
これは想像だが、もそ、日蓮大聖人が今日、生きておられたら、小説の手法を用いられた御書も、残されていたのではないだろうか」
2014.9.26
『新・人間革命』第1巻 はじめに
『新・人間革命』は、完結までに30巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない。しかし、自身のこの世の使命を果し抜いてこそまことの人生である。かのゲーテも、ユゴーも、またトルストイも、八十歳にして、なお、生き生きと働き、信念のペンを執り続けた。私は六十五歳であり、まだまだ若い。
私も、『新・人間革命』の執筆をわが生涯の仕事と定め、後世のために、金剛なる師弟の道の「真実」をそして、日蓮大聖人の仰せのままに、「世界広宣流布」の理想に突き進む尊き仏子が織りなす栄光の大絵巻を、力の限り書きつづってゆく決意である。正も邪も、善も悪も、勝者も敗者も、厳しく映し出しながらー。
戸田先生も、その生き方を、じっと見ているように思えてならない。。
読者の皆様の温かいご支援を、心からお願いする次第である。
1993年11月3日
2020/10/19 9:55
新人間革命 第1巻 旭日 34p
伸一は六年前の1954年(昭和29年)の夏、恩師戸田城聖とともに、戸田のふるさとである厚田の浜辺にたった日のことを思い起こした。日本海に沈む真っ赤な夕日を見ながら、戸田は語っていた。
「伸一君、ぼくは、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。構想だけは、ぼくがつくっておこう。君が、それをすべて実現してくれ給え」
彼は、この言葉を命に刻んだ。その日から、どうやって世界広布の道をひらくかを、模索し続けてきた。
2014.10.17
人間革命 戸田城聖 発芽 14p
柴田の家で紹介された牧口常三郎という先生、威厳を湛えた顔が恐い、昔の武士を見るような牧口から懇々と教えられていることを、今迄にも、幾度か良人にいおうとしては躊躇してきたのであったが、突然、おつやの口から、牧口に教えられている言葉が飛びだした。
2020/10/19 9:26
『新・人間革命』第1巻 旭日 86p
民衆の力ほど強いものはない。民衆の力は大地の強さにに似ている。ひとたび怒りのマグマを噴き上げ」、振動を開始すれば、山をも動かすエネルギーを持っている。時代、社会を変えゆく源泉は、常に民衆であることを忘れてはならない。
2021.1.11
『新・人間革命』第1巻 錦繡 146p
伸一の思いは、いつも広宣流布の第一線で苦闘する同志t共にあった。いな、彼自身が最前線を駆け巡る若き闘将であったといっtもよい。
2021.1.11
30巻 上 334p
ログノフ総長
二人の語らいは13回に及び、その間に、1987年6月には対談集「第三の虹ー人間と平和の探求」を出版。続いて94年5月には「科学と宗教」が発刊されている。
2020.10.15
新・人間革命 第15巻 開花 300p
山本伸一は、この堂々たる創価の゛大河゛を思うたびに、源流を開いた殉難の先師・牧口常三郎への、強い感謝の念が込み上げた。
2022/10/20 13:44
新・人間革命 第15巻 開花 300p
山本伸一は、この堂々たる創価の゛大河゛を思うたびに、源流を開いた殉難の先師・牧口常三郎への、強い感謝の念が込み上げた。
2022/10/20 13:44
新・人間革命 第1巻 旭日 11p
平和ほど、幸福なものはない。 平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。。
2022.7,7
新・人間革命 第2巻 先駆 36p
現在の私があるのは、広宣流布の総帥であられた戸田先生が最大のお苦難にあられた時に、一心に仕えぬいた福運であると確信しております。
新・人間革命 第1巻 錦秋 146P
伸一の思いは、いつも広宣流布の第一線で苦闘する同志と共にあった。いな、彼自身が最前線を駆け巡る若き闘将であったといってよい。
2021/12/20 10:26
新・人間革命 30巻上283
仏にも悩みはある。悩みは常につきまとうものです。しかし、煩悩即菩提,生死即涅槃です。苦悩を歓喜へ、幸福へと転じていけるのが南無妙法蓮華経です。濁世の、せとがらい苦悩だらけの世の中で、自他共の幸せを築いていくために出現したのが、地涌の菩薩である、皆さんです。幸福を勝ち取るために、自分に勝ってください。私も、お題目を送ります。
2020,9,29
新・人間革命 30巻上277
学会を支えてくださっているのは誰か。表舞台に立つ人よりも、陰で黙々と頑張ってくださっている方々です。その人こそが仏であり、真の勝利者です。
2020.9.28
新・人間革命 30巻上270
こうした無名の同志が、今日の学会を築いてこられた。
折伏の修行の旗を、決しておろしてはならない。
2020.9.24
新・人間革命
覚悟の人は強い。艱難辛苦の嵐の中へ突き進む決意を定めてこそ、初志貫徹があり、人生の勝利もある。また、、それは仏法者の生きかたでもある。ゆえに日蓮大聖人は、「よからんは不思議わるからんは一定とおもへ」1190 と仰せである。
2020.9.15
新・人間革命
覚悟の人は強い。艱難辛苦の嵐の中へ突き進む決意を定めてこそ、初志貫徹があり、人生の勝利もある。また、、それは仏法者の生きかたでもある。ゆえに日蓮大聖人は、「よからんは不思議わるからんは一定とおもへ」1190 と仰せである。
2020.9.15
新・人間革命 雌伏 235p
彼の胸には、常に恩師が生きつづけていた。慈折広布に生涯を捧げ尽くした勇姿が、瞼から離れなかった。
2020.9.14
新・人間革命30巻 上 雌伏 200p
先生の行動が誓約されているのなら、私たち弟子が、師匠のもとへ馳せ参じればよい。
2020.9.1
新・・人間革命30巻 上 大山 85p
弟子が本当に勝負すべきは、師匠に指導を受けながら戦っている時ではない。それは、いわば訓練期間だ。師が、直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負だ。
2020.8.28
新・人間革命 29 源流
大学とは〃大学に行きたくても行けなかった人たちに、尽くすためにある〃というのが、彼の信念であったからだ。
2020.6.12
新・人間革命 30 雌伏55 6083
「今、山本先生と奥様が、最上階で懐中電灯を振って、見送ってくださっています。船から見えますか?」
伸一たちは、船が見えなくなるまで、いつまでも、いつまでも懐中電灯を振り続けた。
更に、夜更けてから船と連絡を取り、再度、「来られなかった方々に、くれぐれもよろしく」と伝えた。翌朝も、安否確認する連絡を入れた。彼にとっては、弟子たちこそが最高の宝であり、未来を照らし出す太陽であった。
新・人間革命 30 雌伏 6081
試練は人を鍛える。なれば広布を阻む猛吹雪に敢然と挑みゆく人は最強の勇者となる。
2017/11/07 9:11
新・人間革命 30 雌伏 6077
四国の同志の一人が、」叫ぶように語った。「弟子が師匠に会うこともできない。『先生!』と叫ぶこともできないーそんな話に、おめおめと従うわけにはいきません」 2017/11/07 9:00
新・人間革命 29 力走63 5820
彼は、最前線組織のリーダーと会えることが、何よりも嬉しかった。ブロック組織こそが、広宣流布の現場である。ここに創価学会の実像がある。わがブロックが学会なのだ。そこを離れて、どこかに特別な学会があるわけではない。ゆえに、自分のブロックの建設に最大の力を注ぎ、強化し、理想の組織を作り上げていく以外に広宣流布の伸展はない。2017.6.7
2017/10/16 11:30
新・人間革命 28 勝利島 443p
「先生は、私たちのことを最高に気遣ってくださいました。人間性の輝きというものは、人への気遣いに表れることを知りました。私も島にあって、周囲の人たちを心から気遣える自分になろうと思います」 2017/10/02 10:12
新・人間革命 28 403p
境涯革命の直道は、弘教にこそある。 2017/10/02 9:19
新・人間革命 28 勝利島 392p
リーダーの活動の眼目は、一人ひとりと会うことだ。それが一切の基本である。 2017/10/02 9:07
新・人間革命 第6巻 加速 ドカン
゛ドカン゛地域での弘教は、生きる気力を失った人たちに巣くう、無力感との戦いでもあった。175P
波浪
彼の胸には、直弟子の自分が、師の正義の歩みを『人間革命』の続編として書きとどめ、永遠に顕彰していかなくてはならないという、強い決意がみなぎっていた。
そして、その「時」が次第に近づきつつあることを彼は感じた。272P
若鷲
1962年(昭和37年)の8月末から始まった、この「御義口伝」講義は創価の後継の陣列を築き上げる、伸一の手作りの人間教育の場であった。
受講生にとって、伸一は生き方の手本となり、人生の師として、心の中で次第に鮮明な像を結び始めたのである。
この二期生への講義は、67年(昭和42年)の4月まで続けられた。一期生への最初の講義以来、五年間にわたる、学生部の本格的な育成となったのである。
2015.7.16
新・人間革命 第1巻 錦秋 196p
伸一は、常に人との出会いを大切にしてきた。相手が会員であるなしに関係なく、一つ一つの出会いに心を注ぎ、希望の苗を植え、友情の葉を茂らせ、新たな価値を創造していった。それが「縁起」という人間の融合の原理を知る、仏法者のまことの生き方といえるからだ。
2014.12.13
新・人間革命 広宣譜 20 2014.12.10
壮年は、一家の大黒柱である。社会の黄金柱である。人生経験が豊富で、社会の信頼を勝ち取ってきた壮年が、地域建設に立ち上がる時、広宣流布は大きく加速していく。
日蓮大聖人御在世当時を見ても,富木常忍、大田乗明、曽谷教信らの壮年信徒が、門下の中心となり、地域広布を担ってきた。
壮年が率先垂範で広宣流布を推進していってこそ、学会の重厚な力が発揮され、社会に深く根差した運動が展開していくことができるのだ。たとえば、学会の最前線組織である各ブロックの壮年の精鋭五人が集い、団結のスクラムを築くならば、地域を支える堅固な新しい柱が立つ。その柱が林立すれば、地域社会に、未来を開く創造と励ましのネットワーク広げることができよう。
壮年の力で、足下から幸の園を開くのだ。
新・人間革命 広宣譜 21 2014.12.11
山本伸一は、二十一世紀を見つめていた。日本人の平均寿命は年々伸びている。それにともない、学会員の男性の場合、男子部よりも、壮年部として活動する期間がますます長くなっていく。やがては、壮年部歴四十年、五十年という時代も来るに違いない。
つまり、人生の半分以上を壮年部員として活動することになるのだ。そして、そのなかで、定年後は、多くの人たちにとって、地域が一切の活動の舞台となる。
伸一は壮年部が地域に積極的に関わり、活躍する時こそ、地域広布の総仕上げの時代であると考えていた。
学会にあっては、草創の時代から、地域での活動の推進力は、主に婦人であった。家事や育児などに追われながら、学会活動に励むとともに、隣近所のために心をつくし、交流を重ね地域に信頼の基盤を広げてきた。
しかし、二十一世紀には、いよいよ壮年部が、本格的に地域へ躍り時代が到来するのだ。壮年の力で、学会の盤石な組織を築き上げ、さらに、地域社会のかかえるさまざま問題の解決にも真っ向から取り組み、わが地域に人間共和の城を築き上げていくのだ。
かつては、定年後の生活を゛余生゛ととらえる人が多かった。しかし、これからは、長年培ってきた力をもって、地域に、希望を、活力を与える゛与生゛であらねばならない。
仏法即社会であり、地域広布即地域貢献である。一人ひとりが、地域のため、人びとのために、何ができるかを考え、果敢に貢献の行動を起こしていくなかに、幸せの拡大があり、広宣流布の建設もあるのだ。
2014.12.12 衆議院投票日は12.14
新・人間革命 広宣譜 7 2014.11.25
現代にあって、さまざまな法難に遭い、不惜身命の覚悟で広布を進めている人こそが「地湧の菩薩」であり、その指導者は「棟梁」ではないのか! そうでなければ、どこに、「地湧の菩薩」の出現があるのか!
壮年部への指針 平成9年2月1日 全国代表者会議
牧口先生は57歳で入信、60代・70代で大偉業を
大聖人は、「地湧の菩薩」を率いる指導者のことを、「上行菩薩と申せし老人」(御書1458P)と
仰せである。
すごい指導である。感激
新人間革命 第1巻 錦秋 189P
仏は、どこか遠い彼方の国にいるのではない。娑婆世界という現実の、この社会にいるである。仏は、悩み、苦しみ,喜び、生きる、人間の世界の中に存在するのである。
2014.11.22
新人間革命 第1巻 錦秋 156P
伸一は、第三代会長として、一閻浮提広布への旅立ちをした、この年の五月三日の夜、妻の峯子とかたりあったことを思い出した。
ーその夜、夜更けて自宅に帰ると、峯子は食事の支度をして待っていた。普段と変わらぬ質素な食卓であった。
「今日は、会長就任のお祝いのお赤飯かとおもったら、いつもと同じだね」
伸一が言うと、峯子は笑みを浮かべながらも、キッパリとした口調でか語った。
「今日から、わが家には主人はいなくなったと思っています。今日は山本家のお葬式ですから、お赤飯はたいておりません」
「確かにそうだね・・・・・」
2014.11.21
新人間革命 第1巻 錦秋 146P
彼は、どこにあっても、常に同志との率直な語らいを心がけた。
伸一の思いは、いつも広宣流布の第一線で苦闘する同志とともにあった。いな、彼自身が最前線を駆ける若き闘将であったといってよい。
2014.11.20
新人間革命 第28巻 広宣譜 2 2014.11.19
伸一の心には、言葉が次から次へと泉のようにあふれてくるのである。必死な励ましの一念は、勇気の言葉を、希望と確信の言語を生み出していく。
新人間革命 第28巻 広宣譜 1 2014.11.18
1978年(昭和53年)6月28日の午後、彼は、東京・信濃町の学会本部にある師弟会館で作詞を開始した。30分ほど前、創価文化会館内の広宣会館で各部代表者会議を終えた時、学生部の代表が、新学生部歌の歌詞を見てほしいと言ってきたのだ。
新人間革命 第28巻 広宣譜 1 2014.11.18
1978年(昭和53年)6月28日の午後、彼は、東京・信濃町の学会本部にある師弟会館で作詞を開始した。30分ほど前、創価文化会館内の広宣会館で各部代表者会議を終えた時、学生部の代表が、新学生部歌の歌詞を見てほしいと言ってきたのだ。
新人間革命 第1巻 新世界 129P
創価学会といっても、その本当の母体は一つ一つの地区であり、地区の姿それ自体が学会であるといっても過言ではありません。地区が誕生し、それが完璧に仕上がっていけば、その地域の広布は大き伸展を遂げていきます。
2014.11.14
新人間革命 第1巻 新世界 129P
創価学会といっても、その本当の母体は一つ一つの地区であり、地区の姿それ自体が学会であるといっても過言ではありません。地区が誕生し、それが完璧に仕上がっていけば、その地域の広布は大き伸展を遂げていきます。
2014.11.14
新人間革命 第1巻 新世界 122P
やがては世界各国に、日系人ではないリーダーが誕生していかなければ、本格的な広布の展開はありえない。また、組織と言っても人で決まる。中心者が一人立てば、すべては、そこから開けていくものである。瞬時のうちに、伸一の頭脳は、目まぐるしく回転していった。
2014.11.11
新人間革命 第1巻 新世界 114P
伸一は、こうした一瞬一瞬の時を、決して疎かにしなかった。戦いの勝敗も、いかに一瞬の時を生かすかにかかっている。友への励ましにも、逃してはならない「時」がある。
彼の反応は常に素早かった。時を外さず、いつも機敏に手を打った。それは、「今」を逸すれば、永遠にそのチャンスをなくしてしまうかもしれないという、会長としての緊迫した責任の一念が培った、感受性の鋭さであったといえるかもしれない。更には、青春のすべてを注いで戸田城聖に仕え、後継の弟子として彼が受けた厳しい訓練のなかで、体で習得していったものであった。
2014.11.10
新人間革命 第1巻 旭日 75p
「リキさん、社会的な信頼を得るために、まず大切なのは、仕事で成功することです。それがいっさいの基盤になる。そのために、人一倍、努力するのは当然です。そして、題目を唱え抜いて、知恵を働かせていくんです。広宣流布をわが人生の目的とし、そのために実証を示そうと、仕事の成功を祈る時に、おのずから勝利の道、福運の道が開かれていきます」
2014.11.5 男子部10万結集 昭和36年11月5日 国立競技場
新人間革命 第1巻 旭日 60p
伸一の平和旅は、生きる希望を失い、人生の悲哀に打ちひしがれた人々に、勇気の灯を点すことから始まったのである。それは、およそ世界の平和とはほど遠い、微細なことのように思えるかもしれない。しかし、平和の原点は、どこまでも人間である。一人ひとりの人間の蘇生と歓喜なくして、真実の平和はないことを、伸一は知悉していたのである。
2014.10.28
旭日
平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。
1960年(昭和三十五年)十月二日
山本伸一、32歳 彼は今、胸中に平和の火を燃やしながら、世界へと旅立とうとしていた。しれは、創価学会第三代会長に就任してから、わずか五か月のことであった。
2014.10.3
新人間革命 第1巻 はじめに限
『新・人間革命』は、完結までに30巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となにちがいない。しかし、自身のこの世の使命を果たし抜いてこそ、まことの人生である。かのゲーテもユゴーも、また、トルストイも、八十余歳にして、なお、生き生きとして働き、信念のペンを執り続けた。私は六十五歳であり、まだまだ若い。
私も、『新・人間革命』の執筆をわが人生の仕事と定め、後世のために、金剛なる師弟の道の「真実」を、そして、日蓮大聖人の仰せのままに「世界広宣流布」の理想に突き進む尊き仏子が織りなす栄光の大絵巻を、力の限り書きつづってゆく決意である。正も邪も、善も悪も、勝者も敗者も、厳しく映しだしながらー。
戸田先生も、その生き方を、じっとみているように思えてならない。
読者の皆様の温かいご支援を、心からお願いする次第である。
1993年11月3日
著者
2014.10.3
新人間革命 第1巻 あとがき 命ある限り、私は書き続ける。
正しい仏法とは何か。
正しい人生とは何か
そして、何が歴史の「真実」か。人間にとって「正義」の戦いとは何かを。
そこに、人類の未来を開く、一筋の道があるからだ。
2014.10.3
『新・人間革命』第1巻 はじめに
『新・人間革命』は、完結までに30巻を予定している。。その執筆は、限りある命の時間との壮絶な闘争になるに違いない。しかし、自身のこの世の使命を果たしぬいてこそまことの人生である。かのゲーテもユゴーもまたトルストイも八十歳にして、なお、生き生きと働き、新年のペンを執り続けた。私は六十五歳であり、まだまだ若い。私も、『新・人間革命の』執筆をわが生涯の仕事と定め、後世のために、金剛なる師弟の道の「真実」をそして、日蓮大聖人の仰せのままに、「世界広宣流布」の理想を突き進む尊き仏子が織りなす栄光の大絵巻をき続け、力の限り書きつづっててゆく決意である。正も邪も、善も悪も勝者も敗者も、厳しく映しだしなはらー。戸田先生も、その生き方を、じっと見ているように思えてならない。読者の皆様の温かいご支援を、心からお願いする次第である。
1993年11月3日
2023.11.29
『新・人間革命』第1巻 旭日 75p
「リキさん、社会的信頼を得るために、まず大切なのは、仕事で成功することです。それが一切の基盤となるそのために、人一倍、努力するのは当然です。そして、題目を唱えぬいて知恵をはたらかせていくんです。広宣流布をわが人生の目的とし、そのために実証を示そうと、仕事の成功を祈るときにおのずから勝利の道、福運の道が開かれていきます」
2023.11.29
『新・人間革命』第1巻 旭日 11p
平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。
2023.11.29
人間革命 戸田城聖 発芽 90p
おつや、日蓮正宗の御本尊を、おれも拝ませていただくよ。
2023.11.29
『新・人間革命』第1巻 旭日 86p
民衆の力ほど強いものはない。民衆の力は大地の強さに似ている。ひとたび怒りのマグマを噴き上げ、振動を開始すれば、山をも動かすエネルギーを持っている。時代社会を変えゆく源泉は、常に民衆であることを忘れてはならない。
2023.1129
『新人間革命』第1巻 錦繍 146p
伸一の思いは、いつも広宣流布の第一線で苦闘する同志と共にあった。いな、彼自身が最前線を駆け巡る若き闘将であったといってよい。
2023.11.29
第一巻
小説『人間革命』収録にあたって 「池田大作全集」刊行委員会 2012年7月3日
「宗門が、広宣流布を推進してきた仏意仏勅の団体である創価学会の崩壊を企て、〃波紋〃し、仏法破壊の元凶と成り果てた今、『人間革命』をそのまま、全集に収録してよいのか」ーという問題提起が、当然のことながら、刊行委員会で為されたのである。
全集は名誉会長の思想、哲学を後世に誤りなく伝え残すことを、大きな使命としている。それは、翻訳され、」世界の人々の目にも触れることになる。もし、これまでの『人間革命』がそのまま収められていれば、宗門事件の真実を知らない人々は、宗門が正法正義を守り、大聖人の御精神を受け継いでいるかのように思い込んでしまうおそれがなきにしもあらずである。そうなれば、宗門が邪宗門と成り果てた現実が広く知られていたとしても、混乱をもたらし、人々の信仰自体を誤らせてしまいかねないと危惧したのである。
『人間革命』の全集の収録にあたって名誉会長が、あえて推敲にお労作業をお引きうけくださったのも、日蓮大聖人の御精神は、その信心の正義の血脈は、広宣流布に生き抜く創価学会にこそ脈打っているいることを、未来永遠に伝え残そうとされたからにほかなるまい。 2017/12/02 10:55
戸田城聖著 小説人間革命(上)文庫本に寄せて 昭和47年4月20日 池田大作
その恩師を念う、先生の確たる振る舞いの中に、仏法に結ぶ、尊厳ともいうべき、崇高な師弟の道が、烈しく燃焼していた。私は更めて生死は不二、師弟は不二なることを色読する思いであった。
先生は聖教新聞が発刊される直前、この連載小説の最初の原稿を私に見せて下さった。「小説を書いたよ。いよいよ新聞を出すからには、小説だって載せなければならないだろう」と言われながらー。この時、私は密かに決意した。先生の偉大な理念と真実を伝えるため、やがて続「人間革命」ともいうべきものを書かなければならないな、と。
2017/11/19 9:49
人間革命 第1巻 一人立つ 236p
われわれの生命は、間違いなく永遠であり、無始無終であります。われわれは、末法に七文字の法華経を流布すべき大任を帯びて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、所詮、われわれこそ、まさしく本化地湧の菩薩であります。
一人立つ 237p
広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。
2014.12.13 衆議院選挙前日
人間革命 第1巻 占領 180p
広宣流布は、信教の完全な自由のもとでなければ、達成は困難である。--戸田は、かねてから、そう考えていた。
今、その自由の日が訪れた。日蓮大聖人が御在世当時以来七百年、このような自由の時代は、ただの一度もなかった。
・・・・・・・・・・・
彼は、心につぶやき続けた。わが身の自由は、そのまま広宣流布への宗教活動の自由に通じる。自身ののこされた生涯が、そのためにあることを、彼は深く自覚していた。握り締めた手は、いつしか、じっとりと汗ばんでいた。
2014.11.26
人間革命 第1巻 終戦前後 136p
大聖人も、一人の真の弟子をおつくりになるという、その困難なことから始められたのだ。
2014.11.22
人間革命 第1巻 終戦前後 128p
大聖人滅後後六百六十数年ーその間、誰一人、現実には、その予言の真実を覚知しなかった。あるいは理論として、概念的には説く人があったかもしれない。
しかし、その生命哲理の偉大さを、如実に知り、悟らざるを得なかったのは、いったい誰か・・・・。
戸田は、深い思いにふけりながら、感動に身を震わせていた。
まさしく、時は到来した。この時を外して、未来永劫に広宣流布の時はない。絶対に、この時を外してはならない。妙法流布の条件は、ことごとくそろった・・・・・。
2014.11.21
人間革命 第1巻 再建 85p
今、出獄後の戸田は、極度に健康を害し、死の一歩手前とさえ思えた。さらに、全事業は壊滅そのものである。
2014.11.20
人間革命 第1巻 黎明 54p
彼は、御本尊に顔をすりつけるようにして、一字一字、たどっていった。
゛確かに、この通りだ。間違いない。全く、あの時の通りだ・・・・・゛
彼が獄中で体得した、不可思議な虚空会の儀式は、御本尊に、そのままの姿で厳然としてしたためられていた。
彼の心は歓喜にあふれ、涙は滂沱として頬を伝わっていった。彼の手は、震えていた。心に、彼は、はっきりと叫んだのである。
御本尊様! 大聖人様! 戸田が、必ず広宣流布いたします。
゛慌てるな、焦るな。じっくりやるんだ。どうしてもやるんだ・・・・・゛
2014.11.11
令名第1巻 47p
彼は、仏壇の前に座って御本尊に向かい、ひれ伏して動かなかった。
2022.7.7
人間革命 第1巻 黎明 41p
よき種は、よき苗となり、よき花が咲こう。よき少年は、よき青年となる。よき青年は、よき社会の指導者と育とうーこれが、彼の信条であった。
人間革命 第1巻 黎明 27p
戸田城聖は、そんな空気には、いささかも頓着しない。彼は、電車の中でも、街のなかでも、いつも庶民と共に生きていく指導者であった。
2014.11.5 昭和36年11月5日 国立競技場 男子部10万結集
人間革命 第12巻 宣言の章 166p
山本伸一が、葛飾総ブロック長として活動を開始し始めて間もないある日、戸田城聖は伸一に言った。「伸一、また、君の朝の授業を始めよう。将来のために、私は、もっと多くのことを教えておかなければならないと思っている。君を、世界一流の大指導者に育て上げるのが、私の責任だからな」
・・・・・・・・・・
今も、戸田の忙しさは、決して変わっていなかった。しかも、彼の肉体は、間違いなく衰弱しつつあった。その戸田が、また再び、朝の講義を行おうというのである。
「しかし、それでは先生のお体が・・・・・・」
伸一が言うと、戸田は答えた。
「そんなことは、君の心配することではない」
驚くほど厳しい口調であった。
それから戸田は静かに、胸の思いを吐露するように言うのだった。
「伸一、私は人間をつくらなければならないのでよ。広宣流布を成し遂げる本当の後継者を、命をかけても、私は、それをしなければならぬ。伸一、学べ、すべてを学んでいくんだよ」
烈々たる気迫のこもる言葉であった。
伸一は、「はい!」というと、深く頭を垂れた。
戸田の限りなく大きな慈愛に胸が締めつけられる思いがし、目頭が熱くなった。
真剣勝負の朝の授業が再び始まった。戸田は、死力を振り絞るようにして、講義を続けていった。彼の授業は、歴史の話から政治、経済、文学へと広がり、哲学にいたり、さらに、仏法の眼から、それらの事象をいかにとらえるかに及んだ。縦横無尽な広がりをもち、それでいて深淵な講義であった。
日ごと、戸田は伸一の顔を見ると、「昨日はなんの本を読んだか」と、厳しく尋ねた。
窓から差し込む朝の光のなかで、師は一人の愛弟子に、自らの知識と、智慧と、思想と、魂とを注いでいった。
伸一は、師の白熱の慈愛を浴びる思いで、感動に打ち震えながら、一心不乱に学びに学んだ。戸田は、彼の後継の、分身ともいうべき山本伸一の大成の総仕上げのために、命を削るようにして、最後の薫陶を開始したのである。
池田先生は戸田先生のご逝去の時、参謀室長と共に葛飾で総ブロック長として指揮をとられていた。葛飾の広宣流布の使命はあまりにも深い。
☆師弟共戦☆
2014.10.15 18:00
人間革命 第12巻 宣言の章 165P
青年部の室長としての激務のうえに加わった葛飾での戦いは、彼の疲労をいたく募らせ、微熱にさいなまされた。
しかし、伸一は、ますます闘志を燃やし、祈りには一段と力がこもった。
活動から拠点に戻ると、彼は真っ先に仏壇の前に座り、唱題に励んだ。同志のトラックに乗せてもらい。会場から会場に移動する間さえも題目を唱え続けたのである。一分一秒の時間を惜しんでの唱題であった。
葛飾の総ブロック長としての伸一の戦いは、戸田城聖が逝去し、伸一が会長に就任する前年の59年(昭和34年)7月まで続けられた。
2014.10.15
人間革命 第12巻 宣言の章 164P
「皆さん方一人ひとりを、直接、指導してさしあげたいというのが、戸田先生のお気持ちです。しかし、時間的にも、それは不可能なので、先生のパイプ役として、私が葛飾に来ているんです」・・・・・・・
幹部は、どこまでも、先生と会員をつなぐパイプなんです。・・・・・・・・・
学会の強さは、戸田城聖と一人ひとりの同志との精神の結合にこそあった。広宣流布の大願に生きる、戸田との共戦の気概が脈打っていない組織であれば、それは、もはや、烏合の衆に等しいといえよう。
葛飾の同志は、次第に戸田を、そして、本部を身近に感じ始めるようになった。彼らは自らの心のなかに、戸田城聖の息づかいを感じ、戸田の指導を、自分に対する指導であると、思えるようになっていった。そして、一人、またひとりと、己心の戸田に誓い、その誓いを果たすべく、自発的に戦いを開始したのである。
2014.10.15
人間革命 第12巻 宣言の章 162P
ブロック長の皆さんであれば、月々のブロックの活動を、お手紙で報告してもよいでしょうし、自分自身のことや、家庭のことを報告することもかまいません。だれにも遠慮などする必要はないんです。皆さんは、戸田先生の弟子ではありませんか。
また、私も、なるべく本部に行っているようにしますから、私を訪ねて、どんどん本部に来てください。幹部のための本部ではなく、会員のための、皆さんのための本部なんですから」
2014.10.15
人間革命 第12巻 宣言の章 162P
組織を図に表わす時には、便宜上、ピラミッド型にしますが、それは精神の在り方を示すものではありません。学会の組織の本義からいえば、戸田先生を中心にした円形組織といえます。皆さんと戸田先生のあいだには、なんの隔たりもありません。皆さん方一人ひとりが、その精神においては、本来、先生と直結しているんです。
2014.10.15
人間革命 第12巻 宣言の章 161P
学会の広宣流布への原動力は、1951年(昭和26年)5月3日、戸田城聖が第二代会長に就任した日の、あの75万世帯への大獅子吼にほかならない「75万世帯の折伏は、私の手でいたします」と、一人立った戸田の決意と確信に触れ、全同志がそれに相呼応することによって、広宣流布の未曾有の伸展があったのである。つまり、戸田城聖の広宣流布への一年こそが、学会の戦いの電源であり、それにつながることによって、戦いの歯車は、勢いよく回転してきたといってよい。
2014.10.15 妻とゆみ 誕生日
人間革命 第12巻 宣言の章 160P
伸一は、懸命に動いた。自分が動いた分だけ、広宣流布の前進につながるというのが、これまでの戦いを通して、彼がつかんだ確信であった。会合終了後、家庭指導をして、自宅に帰ると、深夜になることも少なくなかった。葛飾区内といっても、場所によっては、大田区の自宅まで、二時間近くを要したのである。
しかし、彼は、丈夫ではない自らの体をかばおうとも、労を惜しもうともしなかった。広宣流布の新時代の幕を開くために、この葛飾に、ブロックの模範を築き上げることが、自分に課せられた使命であると、強く、深く、決意していたからである。
山本伸一が、葛飾の同志と語り合う中で実感したことは、戸田城聖や本部を身近に感じている人が、極めてすくないということであった。何かあれば本部へ、という雰囲気が乏しいのである。
葛飾は二十三区のなでは、学会本部から遠いことは確かである。しかし、問題は決してそれだけではなかった。同志の多くは、自分たちの上には、支部長や地区部長など、幾重にも幹部がいるのだから、直接、本部を訪ねたりするのは、恐れ多いことであり、控えるべきであるとの思いをいだいてきた。
つまり、会員と本部とを隔てる、心の壁ができているのである。支部中心のタテ線の活動が定着していくにつれて、いつの間にか、一人ひとりが本部に直結していくという意識が、薄らいでいってしまったのであろうか。
もし幹部が幹部が会員の上に君臨して組織を私物化し、会員が、師を求めて、本部に行くことを憚るような組織であれば、戸田の精神とは、全くかけ離れた、硬直化した官僚組織であり、広宣流布を阻害するものとなってしまう。
2014.10.14 今野部長から電話あり
文学A