民衆こそ王者Ⅰ 186P
一方、会長辞任後、池田が海外要人と会見する回数は増えていった。宗門事件の対応に追われた1977年(七回)78年の(18回)に比べ、辞任した79年は(46回)、翌年は(51回)そして81年には(100回)を超えている。役職が変わっても、池田の存在感は変わらない。宗門と本部関係を冷静に見つめながら、池田は着実に民間外交を進めていた。
池田」国際センター設立20周年セミナー 2013.10.2
対談を終える際、博士は私の手を握りしめながら言われました。「私は対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めた大きな役割を果たせるものと思います。人類全体を結束させていくために若いあなたは、このような対話を更に広げていって下さい。ロシア人ともアメリカ人とも中国人とも・・・・・」この時トインビー博士は84歳。私は45歳。
私は「行動」の人間です。博士との約束を果すためにも、仏法者として、いな一人の民衆代表、青年代表として、東西冷戦下にあって中国へ、ソ連へ新たな対話の旅を開始しました。
戦争と暴力の20世紀に生きた一人として私が祈るのは、ただ平和、ただただ世界の平和であります。
2021/09/23 18:03
本部幹部会で紹介された名誉会長の指針 2008.4.28
これまで私は、世界の指導者と1600回を超える対話を重ねてきた。あらゆる分野の第一人者と対話を重ねてきた。
2021/05/02 11:42
第12回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 2001.12.17
さらに、この3年間で私が語り合った世界の知性は、同じく1000人に及ぶ。一回一回の対話が真剣勝負である。私がお会いするかたは、その分野で、一流の活躍をされている人物ばかりだ。毎回、さまざまなテーマで語らいが行われる。
SGI会長の素晴らしき出会い2001.7.8 21世紀を見つめた〃明治38歳〃福田赳夫元総理
福田先生は「世界の主なところは、全部、池田先生が文化交流をされている。特に一番〃難物〃のソ連と中国、この二つに真正面から取り組んでいただいていることで、日本は本当に助かっているんです。他の政治家は気がついていないようですがね。中国の国交回復は、池田先生のおかげで出来ました。先生の民間外交なくしては出来なかったでしょう。中国ではよく知られているこの事実が日本人には見えていない。残念な日本です」総理退陣の半年後、福田氏と、お会いした。
昭和54年(1979年)6月3日である。その1ヶ月ほど前、私は会長を勇退していた。勇退の際
、福田氏からは人づてに「これからは、いよいよ世界の優秀な学者や指導者に会って行かれるでしょうね」という励ましをいただいた。
2020/03/07 18:57
池田SGI会長の素晴らしき出会い 2001.5.13
有吉さんは「実は、周総理から伝言を預かってまいりました。『将来、池田会長にぜひ中国においでいただきたい。ご招待申し上げます』と伝えてください」
重大なメッセージである。
有吉さんと会った二年後の68年に学生部の総会で「日中国交正常化提言」を行った。
周総理と会見が実現したのは、昭和49年(1974)の年末である。有吉さんの伝言から8年がたっていた。
名誉会長 希望の語らい 2011.9.3
友情というのは自分で決まるのです。相手じゃない。自分がどうかです。結局「いい友人をつくるには、自分が良い友人になる」以外にない。いい人の周りには、いい人が集まるものです。2015。9.9
2020/03/02 10:07
世界の知性と「後世のために」2001.3.20
世界中の知性と、教育、哲学、文学、また文明論、未来学、人権、環境、宇宙論そして、生命論等等縦横に語り合う予定です。私は真剣です。これからさらに「世界の知性との対話を残していく決心です。『後世に何を残すか』これが、私勝負であり、仕事なのです」2014.11.11
2020/02/22 20:13
道に進もうと決めていたと述懐 10.3.10
こういう友情を、私は世界の多くの人々と結んできた。それが私の人生の誇りです。
創立者の祝辞 この世にて師弟に優るものはなし 2001.3.17
2020/02/02 21:38
世界の知性と「後世のために」2001.3.20
世界の知性と、教育、哲学、文学、また文明論、未来学、哲学、人権、環境、宇宙論、そして、生命論など等々縦横に語り合う予定です。私は真剣です。これからさらに「世界の知性との対話を残していく決心です、後世に何を残すかーこれが。私の勝負であり、仕事なのです」令和元年5月6日 2019/05/06 20:51
程大使は55才、新中国から日本へ国費留学生の一y個性として創価大学に学んだ。大使は外交官を志した原点にrついて、創価大学に留学した時点で、将来外交の道に進もうと決めていたと述懐。10.3.10
私は世界中の指導者や識者とも会い、平和と文化の語らいを重ねてきた。あの国でも、この国でも、一級の知性と友情を結び、信頼と共感を勝ち取ってきた。
2010.3.9 世界平和へ代表者研修会 2017/09/16 17:43
私が、文明を結ぼうと、世界の指導者・識者と重ねてきた対話は千六百回を超え、37の対談集に結実した。今後、発刊予定を含めると、50を超えることになる。このこともあわせて報告させていただきたい。
2005.10.13本部幹部会 2017.7.1
核武装 戸田2代会長生誕110周年記念提言 上
現代史をひもとくと、これまで何度も核兵器の使用が検討された事態があったことがわかります。なかでも最も深刻で切迫したのが米ソが核戦争の瀬戸際に立たされた。62年の10月のキューバ危機でした。核兵器を使用することの意味や結果を知っているのは日本だけです。こうした証言を通し、胸に迫ってくるのは自分たちが受けた苦しみを、これ以上、誰にも体験させたくない。との、やむにやまれぬ思いです。その日本が、核武装を検討したり、非核三原則を見直すようなことは道義的に許されないはずです。09.9.8 2017.5.23
私が対話を重ねた七千人に及ぶ識者、指導者の中には、多くの文化の闘士、芸術の王者、言論の獅子がおられた。我らの勝利の大道10.1.21 2017.5.21
程大使は55歳。新中国から日本へ国費留学生の1期生として、創価大学に学んだ。大使は外交官を志した原点について創価大学に留学していた時点で、将来、外交の道に進もうと決めていたと述懐。
名誉会長中国の程大使と会見 2010.3.10
2015.10.6
これまで会った世界の指導者、識者は7000人を超える。一対一の対話を積み重ねて、新しき人間主義の潮流をつくりあげてきたのである。 09.9.30
2015.9.9
私は、牧口・戸田先生の弟子として、全世界の指導者、識者と対話を積み重ねてきた。その数は7000人を超えるようだ。 人間世紀の光 対話こそ我が人生 09.6.28
2015.3.12