随筆新人間革命 戸田大学への感謝 師の魂の叫び今もわが胸に!  2003.7.30

 恩師・戸田城聖先生の厳愛の教育なくして、私の現在はありえない。今回もっ無量の感謝を込めて、4さらに「戸田大学」について綴り残しておきたい。

 ある講義で、先生は「多くの人の前で、号令、命令するのが偉いのではない。自分は陰にいて人を立てることができる人が偉いのだ。」「駆けの人を大事にする心」「会員第一」の学会精神ーー

 今、「私が幹部訴えいることのすべては、戸田先生からおしえていただいたものだ」

 創価学会もまた、校舎無き総合大学である。「いつさいのことは、大作に話している。すべて大作に聞いてやっていきなさい」

 私は、「戸田大学」の゛首席卒業生゛として、先生の広布への志を受け継ぎ、道なき道を聞いて、師匠の構想を字湧現してきた。

「広宣流布は、一人の青年が命を捨てれば必ずできる」

 思えば、恩師のこの獅子吼も「戸田大学」で発せられた遺言であった。

2024.10.30


随筆 新・人間革命 師弟の誓いの天地氷川 2003.7.23

 水滸会の野外研修が行われたのは、昭和29年9月4日、5日であった。不思議なことを言うようだが、今夜は、はっきり言っておこう。今日から十年後に、みんなそろって、また、ここに集まろうではないか。私はその時、諸君に頼むことがある。」師弟の約束である。感動が電撃となって走った。

2024.10.29


要するに「悪口罵り」「猶多怨嫉」がなければ、法華経の行者ではないのである。

2024.8.7


第29回本部幹部会 青年部幹部会 池田名誉会長のスピーチ  2003.7.21

 創価学会の三代の師弟は、大聖人と同じ目的を持って戦ったきた。同じ行動を貫いてきた。ゆえに、あらゆる難を受けた。

2024.8.4


私は、牧口、戸田両先生の命そのものである学会の組織を受け継ぎ、守り抜いてきた第三代として、厳然と宣言しておきたい。

2024,8.1


名誉会長のメッセージ 2015.9.6

 この奇跡の和合の中にのみ大聖人正統の生死一大事血脈は、未来永劫に流れ通います。そして、ここのこそ、人類の融合と共生を開く力があります。


随筆新人間革命 師弟の誓いの天地  氷川  2003.7.23

水滸会の第一回野外研修が行われのは、昭和二十九年九月四日,五日であった。不思議なことを言うようだあが、今夜は、はっきり言っておこう。今日から10年後に、みんなそろって、また、ここに集まろうではないか。私はその時、諸君に頼むことがある。師弟の約束である。感動が電撃となって走った。

2024.7.24


世界を照らす太陽の仏法 秋元殿御書  2015.8

 第二次世界大戦後の混沌とした時代に、私は稀有の師匠・戸田先生と運命的に出会いました。 昭和22年8月14日、19歳の私は、初めて学会の座談会に参加しました。友人から「生命哲学」の話を聞こうと誘われていたからである。

 

 座談会の会場では、度の強い眼鏡をかけた想念が、確信に満ちた闊達な声で、気迫を込めて語っていました。

 「個人であれ、一家であれ、一国であれ、この仏法哲理をもって、根本から解決しない限り、一切のことは始まらないのです。」

 「私は、この世から一切のふこうと悲惨をなくしたいのです」

 それは、戸田先生「立正安国論」を講義されていたのでした。

 

 私は感動しました。゛この人の指導なら信じられると直感しました。そして10日後の8月24日に入信しました。

 

 師弟とは弟子の自覚で決まります。私も、徹して戸田先生の仰せ通りに修業しました。いついかなるときも、「私は戸田先生の弟子である」と言い切ってきました。

 

 師弟の大願に徹した時に、弟子の境涯は大きく開かれます。

 「師弟共線」とは、弟子が、わがしめいのみちで戦い、勝って、常に胸中の師匠にほうこくすることにほかなりません。私は戸田先生のもと、常にその決心で真剣に戦ってきましたし、今もその思いは変わりません。

 

 たとえ、遠く離れていても、心は瞬時に伝わります。また、時代を超えて生命と生命は響き合います。空間も時間も、師弟を阻む壁にはならないのです。

 

 師を持つ人生に、行き詰まりはない。

 師を持つ人生は、必ず勝利を開く。

 師を持つじんせいほど、無上の誉はない。

 この不二の劇は、永遠に続きます。

2024.5.15


桂冠詩人の世界 2012.4.29

 愛弟子が誓いを果たした時、師弟の誓願は成就するのだ。これが日蓮仏法の極理である。

2024.5.15


わが友に贈る  2012・4.2

人生において 師弟の絆ほど 美しいものはない! 自らの信念の道を朗らかに進め。

2024.5.15


桂冠詩人の世界 「4.2」桜を仰ぎ恩師を想う  師の歩んだ道を私も歩みゆく  2012・4・1

 弟子は真剣であった。

 弟子は偉くなり 人生に勝利して 

 死の偉大さを 永遠に残すことを

 心に誓った。

 

 私の心は動揺しない。難があればあるほど 

 一層楽しく嬉しい。

 師の歩んだ道を 選ばれて歩みゆける 

 ことは最極の人生の実像であるからだ。

2024・5・15


随筆新人間革命  恐れなき和歌山の共に贈る  2003.4.23

 「仏のお使いとして、私は死んでも行くのだ。大作、いかせてくれ。それが、まことの信心ではないか!

 四千人の同志が待っている。・・・・・大作死んでも俺を、行かせてくれ!」

 ともあれ、和歌山訪問を前に、私は大阪で四十度を超える熱を出してしまった。疲れに疲れ切ってしまった。


9月30日

師弟

たとえ、遠くにいたとしても、たとえ、会わなかったとしても、広布に戦う師と弟子の心は、常に一体だ。それが師弟不二だ。

2019.1.13 本幹スピーチ


9月27日

師弟

仏の入滅を転機として、゛救われる弟子゛から゛救う弟子゛へと転換したのです。これこそ法華経の精神です。だから「如是我聞」の心とは、弟子が決然と立ち上がることです。「さあ、師と同じ心で、民衆を救っていくぞ」と、困難を求めて突き進む、その゛大闘争宣言゛とはいえないだろうか。

法華経の知恵 1巻 99ページ


8月23日

創立80周年という大きな佳節にあって、大事な戦いはを決しゆく出発が、本日の本部幹部会であります。ゆえに、私はきょうは、あえて出席いたしません。厳然と一切を見守っておりますから、原田会長を中心に、皆で明るく元気いっぱいに行いなさい。
2010年6月4日 名誉会長メッセージ


創立五十七周年記念勤行会 「創立の志」を広布の炎を   昭和62年11.18

 牧口先生は五十九歳。今の私と同じ年齢である。・・・・牧口先生と戸田先生のお二人は、この二年前の昭和三年に、日蓮大聖人の仏法に帰依された。この年は私がうまれたとしでもあった。

 

 ところで戸田先生の御書の講義は、まことに自在なる名講義であられた。私は、そのすべてをあんきするほど、真剣に若き心と頭脳に刻んできた。

 総じて、戸田先生がいつどこで何を話されたか、あの日の何時ごろ、どのようなようすであったか、一切が記憶の中にある。生命に刻まれている。恩師の一言一言を私は絶対に忘れない。 

 

 私には戸田先生しかいない。それが私の一切である。戸田先生の「こころ」

をこの世で実現していく。それのみが私の使命であり、栄誉であると思っている。

2024.5.15 


我が忘れえぬ尊き同志たちよ  大関西の゛常勝の母゛故矢追久子さん

 私は、関西で戦った。

 私は、関西で勝った。

 私は、関西で難を受けた。

 私は、信頼する関西の同志と共に、すべてを乗り越えた。

 関西なくして、わが青春の闘争はない。我が人生の歴史もあり得ない。

 その大関西に、「常勝の母」と謳われた矢追久子さんがいた。

  わが胸には、衰弱した恩師に指一本ふれさせないという断固たる闘志が燃えていた。

 

  「関西本部が揺れ動く戦艦のようだった」とは、彼女の身源である。

  

  入獄して十四日後、七月十七日の炎天下に私は大阪拘置所から出獄した。即座に伊丹空港へ向かい、来阪される戸田先生をお迎えした。

 

 夕刻 雷鳴がとどろく激しい豪雨の中、歴史的な「大阪大会」が開かれた。

2024.5.15


各部代表者協議会での名誉会長のスピーチ 2003.7.2

 大聖人の如く、また牧口遠征の如く、戸田先生の如く、断固として、広宣流布の大道を勝ち進んでまいりたい。

2024.5.15


青年部が最高協議会 メッセージ2015.8.3

 一番大事な時に、一番力のある地涌の菩薩が大地から涌出する。これが法華経の本門の展開である。

 私の直弟子として、けっして油断することなく、

 「牧口先生と」戸田先生、そして、私の命そのものである創価学会を、愛する君たちが強く賢く仲良く、断じて勝ち栄えさせてくれ給え。

2024.5.15

世界を照らす太陽の仏法 2015・7 大白

 青年時代m私は医師から「30歳まで生きられないだろう」と告げられました。「命限りあり」と痛感する日々でした。それゆえにこそ、一日一日を真剣勝負で広布のために走り抜きました。いつ倒れてもいいように、゛師弟不二の真の弟子の模範を後世に残そうと覚悟を定め、真剣勝負で戦い切りました。 

 私はこの心で進行に生き抜いてきたがゆえに「更賜寿命」の妙法を頂戴したことを確信しています。

2024.5.15



随筆新人間革命 2003.4.23  

 仏のお使いとして、私は死んでも行くのだ。大作、行かしてくれ。それが、まことの信心ではないか!

 四千人の同志が待っている。・・・・・大作死んでも俺を、行かせてくれ!

 ともあれ、和歌山訪問はを前に、私は大阪で四十度を超える熱を出してしまった。疲れにつかれきってしまった。

2024.5.15

 


民衆凱歌の大行進 幸の教養博士万歳 2015.6.8 87歳

 戸田先生の薫陶なかくして、今の私はない。ゆえに私は、゛恩師の夢を実現すること゛をわが生涯の夢としてきた。師への報恩とは師の夢を叶え、師に喜んでいただくことだ。ーそう心に固く決めてきた。

2023.12.1


幸福への指針 池田大作先生の指導選集 上

 師弟一体の言論戦で留め遺してきた著作やスピーチ、講義や対談、詩歌などは、百五十巻の全集に収録されています。

 全集が完結に近づいた頃、若き英才たちから、この集大成を踏まえて、世界広宣流布の新時代に呼応した指導選集を編纂させてほしいとの要望が寄せられました。「幸福と平和を創る智慧」という主題のもと、多岐にわたるテーマごとに抜粋すると同時に、翻訳を推進し、世界の地涌の友が共通して学び合える教材に、との自発の熱誠であります。

 私は、本書を「師弟不二の励ましの選集として、先師・牧口常三郎先生、恩師。戸田先生に謹んで捧げるとともに、後継の宝友の託させていただきたいのであります」

2023.11.21


アメリカ創価大学創立者のメッセージ  2015.5.25

 私も恩師に十年、お仕えし薫陶を受けたことが、人生の一切の礎となっております。

2023.11.21


随筆新人間革命  昇りゆく千葉の旭日

それは、昭和49年の寒い2月15日のことであった。私は千葉の勝浦、そしてまた初めて日蓮大聖人ご生誕の地天津小湊方面にむかっていた。

2023.11.21

光の言葉幸福の曲  師弟の出会いは永遠に若い  2014.8.31

 後継の青年たちには、伝え遺せる限り私の持ってるものをすべて伝えたい。一切の後事を託したい。師匠ん近くにいるから偉いのではない。師匠の心を身に対して、現実の上に実現してく人が偉い。

2023.11.21


常勝の空 大兵庫に勝鬨を 2003。2.7

 翌日の昭和37年1月25日 裁判所の高窓から 光が輝いていた。 深い静けさの雰囲気の中で 時計が動いていた。

 裁判長の無罪との 洗練された声が 人々の魂に響いた。 関西も勝った。 神戸も勝った。 そして 私も勝った

2023.11.21


御書と共に 名誉会長が指針を贈る  2014.8.21

仏法は師弟の宗教である

師にめぐりあい、師と共に誓願の人生を歩む以上の福徳はない。戸田先生とお会いして67年。不二の心で生き抜いた広布の人生は晴れやかだ。そして、後継の弟子たちが二陣、三陣と続いてくれている。

2023.11.21


ジャズと人生、そして人生を語る。  2014.8.4

 先生は「一人の青年が命をかければ、広宣流布は必ずできると、私を薫陶してくださいました。その師恩の応え抜くために戦ってきたのが、私の人生である」 

2023.11.21

名誉会長と共に 新時代を開く  2014.6.30

 出獄と 入獄の日に 師弟あり

 七月の 三日忘れじ 富士仰ぐ

 戸田先生は、誰よりも青年を愛し、青年を信じた。「学会も中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は必ずできると、私を薫陶してくださいましたその師恩にこたえ抜くために戦ってきたのが、私の人生です

2923.11.21


創価一貫教育会議で創立者のスピーチ   2002.12.12

 私も戸田先生の個人教授で学んだ。すべては、一対一の対話と交流から始まる。 

2023.11.20


随筆新人間革命 影の労苦の大英雄に感謝   

  50数年前の戸田先生の事業の窮地のなか、私は一人、師をお守りするために、阿修羅のごとく戦い抜いた。

  四面楚歌の暗闇の日々であった。だが私は生命の因果の厳たる理法を信じた。信心の極意は誰が見ていようが、いまいが「冥の照覧」を信じ、喜んで広宣流布の労苦に身を捧げ、戦い抜く中にこそあるのだ。

  今の私があるのは、全部、その時の苦境時代を乗り切った福徳であると確信している。

  後年、先生が微笑みを浮かべて、ぽつんと言われた。「俺も大作も、男らしい戦いをやり抜いてきたなあ」胸が熱く燃え上がった。

  私にはそれで充分であった。

2023.11.20


名誉会長と共に  新時代を開く    2014.5.12

新しい広宣流布を開拓するのは今だ。人生には、つらいことや悲しいこと、絶望の淵に沈むこともあるかもしれない。

無数の尊い命を奪われた戦時中・正義の獄中闘争に貫かれた戸田先生は、ありとあらゆることに苦しんだからこそ、

今、大勢の人を励ませるのだ。大衆のリーダーとして、人の心が分かる人間になれたのだとかたっておられた。

題目をあげれば、わが生命に太陽が昇る。自分が太陽になれば、全ての闇は消える。亡くなった人も、題目の光で救っていける。

いわんや、生きている人も幸福にできないわけがない。信心は生き抜く力の源泉である。

2023.11.20


随筆 新・人間革命 わが師と地球民族主義   2002.10.4

 私は広宣流布のために、身を捨てます。その屍が品川沖に、また、どこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます。

「諸君は立つか!」会場は厳粛な空気に包まれた。師は炯炯たる眼で、一人ひとりを射抜くように見据え、再び問うた。

 「立つか!」  「立ちます!」

 間髪を入れず、青年たちの誓いの声が響き渡った。

 私は、あの日の師弟の約束を、片時も忘れたことはない。五十年間、広宣流布のために戦って、戦い抜いてきた。

 それが弟子としての私の誇りである。

 

 「大作、私は、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は世界の広宣流布の道を開くんだ頼んだぞ。!」

 これからも、命の限り、゛地球姻族主義゛゛世界民族主義゛の大道を開きゆく決心はますます強い。

 幾百万の若き青年の君たちが後に続くことを信じて!

2023.11.19

 

 

本部幹部会で紹介された名誉会長の指針  2014.3.12  仏法の真髄は師弟である。

正しき師匠は、経文通りに「三類の強敵」と戦い、種々の大難を受けきりながら、身命を惜しまず、妙法蓮華経を広宣流布なされている。ならば、その弟子は、師匠を護りきることだ。そして、師匠と「同じ心で仏法を広め抜いていくのだーこれこそ「師弟不二」」である。

2023.11.19


桂冠詩人の世界 恩師戸田二代会長の誕生日 2月11日  師弟の大道を まっしぐらに

 創価の父・牧口常三郎先生は、法難の獄中にあっても「心ひとつで地獄にも楽しみがあります」と悠然と綴っておられた。

 この殉教は師に対して弟子である戸田城聖先生は「あなたの慈悲の広大無辺は私を牢獄まで連れて行ってくださいました」と感謝を捧げられていたのである。

 第三代の私はあまりにも峻厳なこの不惜身命師弟の大道をまっしぐらに走り通してきた。

2023.11.19


民衆凱歌の大行進 随筆 師弟の道 一筋に    2014.1.29

 私の胸には、いつも恩師がいる。会長就任の時も、世界への一歩を踏み出した時も、悲難の嵐の中でも、わが生命の奥には師匠が厳然といらっしゃった。

 師である仏と、弟子である衆生が一体不二で誓願を立てて戦うーそこに仏法の師弟の真髄がある。

2023.11.19


随筆新人間革命 不二の旅立ち  8・24          2002.8.29

 昭和32年の7月3日。奇しくも、この12年前、戸田先生が出獄された。その日、その時刻に、私は大阪で入獄した

 私は衰弱を深める師に、絶対に二度と権力の弾圧を加えさせてはならないと決心していた。

 私は、戸田先生の逮捕を食い止めたと、いまでも自負している。 

2023.11.19


民衆こそ王者 I    175p    スゴイ

 一九七九年(昭和54年)4月24日。池田は新宿文化会館にいた。夕刻、信濃町の聖教新聞社で行われる、会長辞任の記者会見が迫っている。

 「さあ、時間だね」五階。エレベーターに乗り込む。池田は周囲の人々に一言、「ドラマは終わった」と語った。周りの誰もが、何も答えられない。続けて、

第二のドラマが始まるよ」。

 その日の夜、十時前に帰宅した池田は妻の香峯子に、会長を辞めたことを伝えた。香峯子は、事ここに至った毛英を一切尋ねず。「ああ、そうですか・・・・・。」ご苦労様でした。健康でよかったですね」池田を笑顔で迎えた。

 「四面楚歌」の4月24日。この日から、誰も想像のつかない「反転攻勢」が始まろうとしていた。

2023.11.19


随筆新人間革命 わが原点8月14日      2002年8.14

 昭和22年の8月14日ー。

 戸田先生の弟子となりて、広宣流布にこの身を捧げる決意をした弟子の誓いの日である。

 55年前、私は、人生の道を模索する、平凡な青年の一人にすぎなかった。

 その私が師弟の道に徹したからこそ、最高無上の「正義の人生」を生き抜くことができたと確信している。

 大阪の同志と一緒に、参加を呼び掛けるビラを配った。粗末なわら半紙に、折伏精神に満ちた勇ましい文字が躍っていた。

 私は一兵卒となって、道行く人にビラを渡し、声をかけた。たちまちシャツは、汗でびっしょり濡れた。

 師弟の道は、どこか遠いところにあるのではない。人々の幸福のために戦う、現実の闘争の中にある。

2023.11.19


創立記念勤行会への池田名誉会長のメッセージ     2013.11.19

 思えば60年前、学会本部が西神田からここ信濃町へ移転が整って「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の常住御本尊の御前で、初めて行われた公式行事は、牧口先生の10回忌法要でありました。

 さらに、牧口先生の50回忌に際し、創価大学を見守る丘に、東京牧口記念館を建立しました。

 そして、70回忌の秋、ここに、かくも荘厳に「広宣流布大誓堂」を落慶することができたのです。

 広布の途上に逝かれた功労の創価家族の生命も皆、生死不二の法理の上から、この大誓堂の会座に連なっておられることを私は確信します。

 ゆえに、我ら創価の師弟は広宣流布の大誓願とともに永遠なのであります。諸天も創価の前進を寿いでくれております。

 この大誓堂を今朝は輝く旭日と燦燦と照らし今夜は満月も黄金の光で包みゆくことでありましょう。

 これからも、忍辱の鎧を着て、勇気の声を響かせ人類の心を聡明に結び合いながら、この地球上に「立正安国」の楽土を築き広げていくではないか!

2023.11.19


広宣流布大誓堂に広宣流布誓願の碑  池田名誉会長が碑文 2013.11.18

 2013年11月18日ー先師の魂魄を留め、恩師が広宣流布の指揮を執りたるここ原点の地・信濃町に、第三代の発願し命名せる「広宣流布大誓堂」は建立されたり。

 我等民衆が世界の立正安国を深く祈念し、いかなる三障四魔も恐るることなく自他共の人間革命の勝利へ出発せる師弟誓願の大殿堂なり。

 先師・恩師への報恩を込めて 創価学会第三代会長 池田大作

2023.11.19


今週のことば 2013.11.10

 時に巡り合うことは  人生の誉れなり。

 「うれしきかな」と

 喜びの生命にあふれ  新時代に勝利の劇を! 

2023.11.19

今週のことば  2013.11.18

「創立の日」は  先師の「殉教の日」なり

 峻厳なる学会精神を

 断じて忘れまい。 「師子王の心」で進め!

2023.11.19


わが友に贈る  2013.10.7

「師弟相違せば なに事も成すべからず」

学会は永遠に師弟を根本に前進!

そこに常勝の軌道が!

2023/11/19 17:38


御書とともに 名誉会長が指針を贈る2013.9.23

 私の心には、いつも広布に戦う恩師がいる。瞬時も離れず師匠と対話している。後継の青年が、人生と社会で勝利することこそ、師の最大の喜びである。

 広宣流布の大願は師弟の祈りで成就する。

2023/11/19 17:36


全国最高協議会での名誉会長のスピーチ  2002.8.6

 戸田先生は私に対して、「お前が第三代会長だ一生涯、広宣流布の指揮を執りなさい。学会の一切を頼む」と厳然と遺言された。

2023/11/19 17:31


栄光と正義のわが勇敢なる共に贈る 2002.2.27

故に私たちは広宣流布という戦場で死に勇敢に戦って満足しきって死にたい。

2023/11/19 17:28


名誉会長と共に 今日も広布へ 2013.5.13

 戸田先生は、「戸田の命よりも大事な学会の組織」と言われた。師匠のために、最高の組織をつくろう!今いるところを強くしよう。そう決めて、私は戦った。

 ただただ、戸田先生にお応えしたいとの一念であった。

 草の根の民衆が主役に躍り出る。そういう社会を築くため、どこへ行っても、行ったところで、常勝の歴史をつくり、残してきた。それが弟子である。そう努力し、祈って戦えば、功徳も大きい。人材も出る。

 2023/11/19 17:24


地平線を越えてイタリアフィレンシュ SGI会長と心の絆 201.4.26  1992年

 イタリア広布を牽引する堂々たる前進。ウゴリーニさんが語っていた。「私の願いは、池田先生の指導を胸に、一人一人の個性を尊重しながら、異体同心で前進して行くことです。先生の激闘にお答えするためにも、全力で広布拡大に取り組んでいきます。人生の最期の時に、鏡に映った自分を見つめて、『私は先生の良き弟子であった。本当にしあわせだ』ーそう言い切れる自分でありたいのです」

2023/11/19 17:15


本部幹部会で紹介された名誉会長の指針 2013.4.24

師恩に報いるための要諦は何か。不惜身命で広宣流布のために戦うことである。戸田先生は晩年慟哭しながら、語ってくれださった。

「大作は体が弱いにに、師匠である私のために、これほどまでに、命を削って言語に絶する獅子奮迅の努力をしてくれた。

 亡くなられる直前、固く手を握られ「ありがとう」「ありがとう」と言ってくださった。


桂冠詩人の世界 桜花に包まれた4月2日を迎えて私は勝った君も勝て 平成25年4月日日

 それは、先生の人生の最終章に入った昭和32年(1957年)4月の頃であった。

 私は一人 会長室の呼ばれた。先生は蒲団を敷かれ、横になっておられた。先生は言われた「大作! 大作のような弟子を持って俺は本当に嬉しい 大作! おまえも俺も勝った・・・・・」

 静かな声であられたが 力強く

 先生は言い残された。

 先生のお体は 大変に弱り果てておられた。 

 私の手を握りながら 

 先生は 「君よ世界広布を頼むよ!」と仰せになられた。

 私は泣いた。涙が溢れた。

 偉大な師匠の目にも 笑顔と同時に

 涙が見えた。   2021.1.11

2023/11/19 15:41


名誉会長と共に 今日も広布へ  2013.4.7

広宣流布の戦いは、仏と魔との熾烈な攻防戦である。中途半端で勝てるわけがない。勝つために、信念を貫き、智慧を出し、死力を尽くすのだ。勝つために、何者にも揺るがぬ自分を作るのだ。今、誰が必死の一人としてたつのか。それで決まる。

2023/11/19 15:25


本部幹部会で紹介された名誉会長の指針 2013.1.16

先生の遺言と、私は厳粛に受け止めた。広宣流布の大師匠であられる戸田先生にただ一人、お仕えし、お守りし抜いた。これが学会の歴史である。師弟の本当の姿である

 この一点にこそ、学会の魂があり、原点がある。

 私は祈った。先生のために。学会のために。激闘の中で祈り抜いた。もう寝ても覚めても題目。歩いていても題目。車の中でも、電車に乗っても、時間さえあれば、全て題目。ただただ、題目を苦難を跳ね返し、」戸田先生が苦難を跳ね返し、戸田先生が第2代会長に就任される道を、命を賭して、切り開いていったのである。

 この一人が大事なのである。その戸田先生を、人生のすべてを捧げてお守りしぬいたのは私であるゆえに私は、第三代会長になった。

 この究極の師弟不二の大闘争にこそ、今日にいたる学会の大発展の根本の因がある。それを、断じて忘れないでいただきたい。

 三代の師弟は勝ちました!

 「一人」を大切にーここに、創価学会の原点がある。

2023/11/19 15:19


池田名誉会長のスピーチ  2001.11.16

 また、私は戸田先生が「水滸会」の会合の折、こう言われたことが忘れない。「八畳一間から始まった松下村塾の松陰門下野手で明治維新は達成された。学会も、中核の青年がいれば、広宣流布は断じてできる」と。

 その一人とはだれであったか。だれが戸田先生の教えの如く、命がけで、世界に仏法を弘めてきたか。私は゛その一人こそ自分であった。゛との誇りと自覚をもっている。ゆえに、本物の弟子である私に続く人間こそ本物なのである。後世のためにあえて明確に言い残しておきたい。

2023/11/19 15:00


姪よ会長と共に今日も広布へ 2012.12.2

 私は戸田先生の心を心として戦った。だから、限りない力が湧いた。不可能を可能にするのは師と不二の心で戦い抜くことである。

2023/11/19 14:49


名誉会長と共に 今日も広布へ 2012.11.3

 牧口先生、戸田先生の不惜身命の大闘争の中に、永遠の学会精神が耀いている。いかなる時も、私のこころには、戸田先生がおられる。師弟の魂が燃え上がるところ、それが広布の本陣だ。リーダーは、尊き使命を果し抜くことである。

2023/11/19 14:42


我らの勝利の大道 新しき勢いと力を 2012.10.19

 学会の大発展も、世界広布のも、師弟不二と異体同心の団結によって、初めて現実のものとなった。

2023/11/19 14:40


我らの勝利の大道 不滅の原水爆禁止宣言 55周年  2012.9.8

 私は、師の宣言の重大な意義を直感していた。ゆえに記録にも心を砕きものくろ(白黒)映像が主流だった時代に、カラーで撮影するなど手を尽くした。この大宣言を、後世永遠に残したい一心であった。

2023/11/19 14:37


桂冠詩人の世界 9.14東京北区の日おめでとう   報恩こそ最上の栄光

 わが永遠なる人生の師 戸田城聖先生に私が初めてお会いしたのは昭和22年の夏8月24日の夜であった。この日この時より師弟の旅路が始まった。

 古今東西 最も美しく 最も尊く 最も強き生命の劇は 師弟の結合である。

 

 師匠への報恩ーそれこそ 人間の至高の美徳である。人生の最上の栄光である。

 

 師匠の教えを行動に移し 価値の創造して勝利の歴史を残すことを「最善の返礼」なのだ。

 

 おお弟子は! 真実の師弟は! 命を賭して 命を懸けて 思深き師匠を断固と護りゆくのだ。

 

 死力を尽くして護るのだ。あらゆるものを犠牲にして護るのだ。そこにこそ師弟の不二があるからだ。

 

 初代会長・牧口先生と二代会長・戸田先生は そうであられた。皆が御存知の通りだ。

 

 戸田先生と私も同じ方程式であるのだ。師弟一体で戦い 師弟一会いで今日まで勝ちまくってきたのだ。

 

 わが信ずる若き弟子達よ! 断固として進め 勇猛に勝ち抜け!

 そして敵も一人残らず うち破りながら 来る日も 来る日も

 金色の美しき 朝日を浴びながら 永遠に勝ちまくれ!

  2023/11/19 12:44


本部幹部会 名誉会長のメッセージ 2012.9.7

「原水爆禁止宣言」から11年後の1968年(昭和43年)の9月8日参加、学生部の総会で日本と中国の「国交正常化提言」を行いました。

 ともあれ、愛する青年の勝利のために、私は生まれてきました。  2010年9月13日 父 孝 亡くなる

2023/11/19 12:14


新人間革命 2巻 錬磨164p

 伸一の胸には、あの時、この厚田の浜辺で夕日を見ながら戸田が語った言葉が、鮮やかに蘇った。

 「伸一君、ぼくは日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くのだ。・・・・」

 彼は師の限りない期待と、自己の使命の重大さを感じた。夜明けのこのにうみで一人誓ったのである。

 先生!東洋広布は伸一がいたします。世界広布の金の橋を、かならず架けます!

 彼がこの時、厚田を訪れのも、戸田の故郷のこの海に立って、その報告をしたかったからである。

2023/11/19 12:04


我らの勝利の大道 永遠なる師弟の絆  2012.8.31

 真剣勝負の出会いは、人の心を変え、生命を変える。さらに地域を変え、世界をも大きく変えていくのだ。

 東京大田区内の座談会で、初めて戸田先生にお会いした時、恩師は四十七歳、私は十九歳であった。

 私は、真っ直ぐに質問した。「正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか

 戸田先生は、私の目をじっと見つめ、明快に応えてくださった。「人間長い一生には、いろいろな難問題が起きてくる。人間、生きるためには、生死の問題を、どう解決したらいいのかーこれだこれが解決されなければ真の正しい人生はない

 初対面の青年に、真剣に誠実に語られる。大情熱の振舞いに、私は「この人なら信じられる」と直感的に感じた。・・・・

  十日後の8月24日、私は戸田先生を信じて入信したのである。

2023/11/19 11:17


全国最高協議会での名誉会長のスピーチ  2001.8.10

 戸田先生が牧口先生を守り、お慕いする姿はそれはそれは、すさまじいほどであった。牧口先生の話になると、常に峻厳そのもののお姿であられた。

 学会の魂は師弟の精神である。これが人間の真髄の道である。2019.5.8

2023/11/19 10:59


名誉会長と共に 今日も広布へ 2012.7.12  84歳

 師弟の道に徹し抜いた時に、未曾有の力が出るのである。

2023/11/19 10:54


随筆新人間革命  世紀を先駆する九州・福岡  2001.7.16

 燃えよ、燃えよ、燃え上がれ! わが火の国の正義の勇者たちよ!

2023/11/19 10:50


随筆新人間革命  日本一の民衆の都 大阪

 勝ちたい、勝たねばならない。勝って、私の師匠に報告することが、最大の弟子の使命であり、師弟一体の法理を実践することだ。

 私は、捨て身になって打って出た。ためらうことなく、走りに走り、叫びに叫んだ。

 早朝から晩遅くまで、大阪中の街街を友の激励に明け暮れた

 全身に汗は流れ、声は嗄れ、足は棒のようになった。私が行くところ、生命と生命の触発のドラマが生まれ、歓喜の旋風が起こった。

 

 常勝とは断固として今を勝つことだ。今日を勝つことだ。

 

 あの激動の昭和31年の五月。我らは、本尊流布一万一千百十一世帯の大金字塔を打ち立てたのだ!

 大関西よ、執念を燃やせ! 最後の最後まで、勇気と正義の一歩を!

 常勝関西は、その名誉と使命を、断じて忘れることなく、勝ちまくってくれたまえ 私と共に!

2023/11/19 10:41


名誉会長と共に今日も広布へ2012.7.1

 師と力を合わせれば、限りなく力が湧く。師の心を心して戦えば、わが生命は燃え上がる。どんな時代になっても、師の指導から離れない。そういう学会を築いていくのだ。2019.4.26

2023/11/19 10:18


随筆新人間革命 恩師と豊島公会堂  2001.6.20

 師匠の一念に呼吸を合わせれば、無限の力が出る。2019.4.26

2023/11/19 10:14