池田大作全集113巻 新しき人類を 新しき世界を V・A サドーブニチイ モスクワ大学総長  68p

大学を創立するということが、どれほど大変で、大偉業であるか、私自身が、モスクワ大学の総責任者として、日々実感しております。池田博士は、三十年前に何もないところから、日本に創価大学を創立されました。創価教育は、大学ばかりでなく、幼稚園から初等・中等教育の創価学園という、一貫教育システムを構築され、世界に多くの人類貢献の人材を育成してこられました。そして、このたびのアメリカ創価大学です。これらの偉業に、一教育者として、心から敬意を表します。

2019/10/29 12:43


池田大作全集31法華経の智慧 下 528P

 戸田先生の悟りも「師弟不二」の悟りです。久遠以来、日蓮大聖人の弟子として、一体で活躍してきた、その事実を「思い出した」のです。

 これが分かれば、なんで、命が惜しかろうか。

 ただただ感謝して、広宣流布に向かうはずです。永遠に広宣流布へ「向かっていく」ーその「信心」意外に末法の悟りもなければ、仏界もない。 これが戸田先生の教えです。

 

 今が「久遠元初」なのです。今が「始まり」なのです。

 過去はもうない。未来も、まだない。あるのは、この現在という瞬間だけです。その現在も、あっというまに過去になっていく。有ると言えば有るし。無いと言えば無い。空です。空の状態で、生命は瞬間瞬間、連続していく。「瞬間」以外に、生命の実存はない。瞬間に幸福を感じたり、不幸を感じたりしているのです。

2017/12/11 22:20

池田大作全集31法華経の智慧 下 528P

 戸田先生の悟りも「師弟不二」の悟りです。久遠以来、日蓮大聖人の弟子として、一体で活躍してきた、その事実を「思い出した」のです。

 これが分かれば、なんで、命が惜しかろうか。

 ただただ感謝して、広宣流布に向かうはずです。永遠に広宣流布へ「向かっていく」ーその「信心」意外に末法の悟りもなければ、仏界もない。 これが戸田先生の教えです。

 

 今が「久遠元初」なのです。今が「始まり」なのです。

 過去はもうない。未来も、まだない。あるのは、この現在という瞬間だけです。その現在も、あっというまに過去になっていく。有ると言えば有るし。無いと言えば無い。空です。空の状態で、生命は瞬間瞬間、連続していく。「瞬間」以外に、生命の実存はない。瞬間に幸福を感じたり、不幸を感じたりしているのです。

2017/12/11 22:20


池田大作全集31法華経の智慧 下 517P

 口はばったいような言い方になるが、私は「法華経」という「生命の宝塔」の教えを、世界に弘めてきました。まだまだ緒についたばかりだが、流れはできあがった。戸田先生は「二百年先のために今、戦っている」と」言われたが、私も同じ気持ちです。

 今の人類を、その子孫を、どう幸福と安穏の方向に持って行けるかのかー。地球を背負っているような気持ちで、行動してきた。その「責任感」に立った時、頭の中に「智慧の嵐」が吹き荒れてきた。次々と先手を打つことも出来たのです。

2017/12/11 22:05


池田大作全集31法華経の智慧 下 505P

 むしろ、いつも会合に来ている人は安心だ。来られない人をどう励ましていくかを考えなければならない。これができれば、広宣流布は今の何倍も広がって行くにちがいない。

2017/12/11 17:54


池田大作全集31法華経の智慧 下 492P

 海外広布にしても、草創期、誰も「世界広宣流布」なんて信じていなかった。しかし、これは法華経の予言であり、日蓮大聖人のご命令である。。今、「一歩」を始めなければ、道はできない。

 今、私が世界を回って、その国に、妙法という平和の「種子」を植えておけば、いつかは芽が出る。今、私が「道」を開いておけば、その後に必ず、後輩が誇りををもって続いてくれるにちがいない。そう思って、私は「私の後を、青年が胸を張って続いてくれる『ああ、SGI会長はここまで足跡をとどめていたのか』と励みにおもってくれるに違いない」そう信じて、行動した。金もない、応援もない、人材もいない、時間もない、何もないなかで、道なき道を開いてきました。今、その核心通りに、世界百二十八カ国「2007年2月現在百九十カ国・地域」で地涌の友が舞っている。

2017.12.10   22.14


池田大作全集31法華経の智慧 下 424P○○

今で言えば、広宣流布を」支え、広宣流布の団体・創価学会を支えてくださっている方々が、諸天善神です。諸菩薩です。如来の使いです。それを忘れて、何か同志以外の人だけを大切にし、同志を軽んじるような風潮が起こったならば、本末転倒です。

学会員が大切なのです。学会員が最高に尊貴なのです。世間の地位がなんですか。財産がなんですか。

 法華経にてらせば。広宣流布をしている学会員以上に尊貴な方々はないのです。何度でも私は、このことを言っておきます。私の遺言と思ってもらいたい


池田大作全集31法華経の智慧 下 419P

 戸田先生が晩年、「創価学会は、よくぞ、ここまで来られた。諸天の加護なくしては考えられないことだ」といわれていた。

死力を尽くして広宣流布をした人間以外、この言葉はわからないでしょう。あの大阪事件にしても全部、学会をつぶす作戦だったのです。

 学科宇賀あまりにも伸びたので、抑えるために、初めから筋書きができていて、標的は私であり、戸田先生です。何でもいいから私をつかまえ、学会本部を手入れして、戸田先生に手出しをしようとしていた。

 戸田先生は年配です。体力的に厳しいことは、私がいちばん分かっていた。もし万が一、戸田先生が牢にいれられるようなことがあったら、命にかかわったでしょう。

 先生は「大作を返せ!わしが棍棒をもって行く」「あと十五年、わしは牢に入るつもりだ」といわれていたがー。

 絶対に、戸田先生に手出しをさせてはならないし、広宣流布の牙城に権力を土足で踏み込ませるようなことは、断じて食い止めたかった。

 私は、自分が矢面に立って、牢に入りたいと祈った。戸田先生を私が盾となって護りたいと祈った。そうやって、牢に入ったのです。      2017.12.10   21.34


池田大作全集31法華経の智慧 下 410p

戸田先生は、よく豊島公会堂で「私の受けた功徳を、この公会堂の大きさとすると、皆さんのは小指くらいだ」と言われていた。   2017.12.10


池田大作全集31法華経の智慧 下 390p

 私は毎日、ただ「広宣流布」と、会員の皆様の「健康」「長寿」「繁栄」「多幸」を、それだけを祈っている。それが私の根本的な責任であり、使命であると自覚しています。・・・

 創価学会も同じです。すべてが敵だった。政治家も、坊主も、マスコミも、反逆者も、全部が連合軍になって、民衆の行進を弾圧し、私を狙い撃ちにしてきた。

 ありとあらゆる卑劣な手段を使って、それを一人、戦い、乗り越え、会員を守って私は生きてきた。来る日も来る日も、一瞬の油断もしなかった。できなかった。そして晴れ晴れと、創価学会をを世界的な王者の団体にしました。

 ただ御本尊に「広宣流布の希望の道を無限に開かせたまえ」と祈ってきた。幹部も、同じ心であっていただきたい。その「心」がなくなったら官僚主義です。

 わが地域の学会員は一人残らず、絶対に幸福にしてみせる。!その祈りで一生懸命、尽くしていきなさい。

 自分のエゴなんか、かなぐり捨てなければ、戦いはできない。勝つか負けるか、死ぬか生きるか、それが勝負です。甘く考えたら、とんでもないことになる。 2017.12.10


池田大作全集31法華経の智慧 下 379p

 子どもがいない人は、子どもが欲しいと思うものだが、良い子でなければ苦しむだけです。また学会の後継・同志を「我が子」と思って接していただきたいし、〃血のつながり〃以上に〃思想のつながり〃〃精神の後継〃が尊いのです。

 子どものことで悩んでいる人も、それによって信心が強盛二なれるのです。そうなるために、子どもがなやませてくれると言ってもよい。親が成仏すれば、子どもが必ず幸福になります。 2017/12/09 11:05


池田大作全集31法華経の智慧 下 352p

一心に、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く1132」祈るのです。甘えた、観念的な祈りでは、御本尊への本当の感応はない。全生命をもって、ぶつかって、打開できないわけがない。  2017/12/08 21:16

池田大作全集31法華経の智慧 下 341p

    戸田先生は、亡くなられる寸前まで、「戦おうじゃないか!」というお姿であった。命をふりしぼっての先生の一言であり、お姿でした。

   今、私も、あらゆる思いを一言にこめて、「戦おうじゃないか!」と叫びたい。「迦葉尊者にあらずともまいをもまいをもいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の台地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」この勢いが法華経です。

   楽しくやるのです。悠々と舞を舞いながら、進むのです。胸を張って、「さあ、戦おうじゃないか!」と。

2017・12・8

 


池田大作全集31法華経の智慧 下 297p  永遠の生命

 「眠り」は、一種の「小さな死」です。大宇宙の生命の海に、いったん心身を浸す作業です。その休息によって、生命力が充電され、次の日へ新しい活力を得る。それと同じように、「死」も生命力の充電です。老いたり、病気になった体は、いったん宇宙生命の「蘇生の海」にかえって、さっぱりとして、新しい元気な体になった方が良い場合がある。

 これは、その人の信心の状態、宿業などによって、いちがいには言えない。

 ただ言えることは、「薬王菩薩の信心」をやり通した人は、必ず、次はもっと福々しい生命で、生まれたいところに生まれて

こられるということです。

298p

 要は「死」の時に、大宇宙のどこに、何界に溶け込んでいくかです。「仏界」に溶け込んでいけば、何歳で死んでも「永遠の生命」を得た人と言える。「寿量品」を身で読んだ人です。「不老不死」の境涯に連なっている。どんなに長生きしても、最後が三悪道・四悪趣であれば、はかない人生です。永遠の生命から見れば、五十年や七十年の違いなど「瞬時」とすら言えない。

 「不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることの方がすぐれている」

 三世の生命から見るならば「不死の境地」すなわち「仏界」「信心」という者を今世で、どこまで確率できたかーそれが真に「長寿であったか否か」の尺度と言える。

2017/12/08 18:10

 


池田大作全集31法華経の智慧 下 293p  病気

 戸田先生の確信はすごかった。質問会では、病気の質問がいっぱい出る。先生はよく言われた。

 「治りますか」という質問をしては、いけません。治るに決まっているから信心させているのですと。

 戸田先生は、病気の人の話をきくと、その晩、その人の夢を見ることがあるくらい、一緒に苦しんであげていた。

 「形式ではなく、命を打ち込んで、御本尊にすがりつくのです。命を御本尊に差し上げるくらいの本当の決意をもった題目ならば、治らないわけがありません」

 「それを御本尊にご奉公もせずに、大病院ですら治らぬ病気を治せというのは横着すぎます。仏には、治してやらねばならない義務はありません。!どれだけの人々を折伏したのか、支部をどこまでもりあげたのか、よく反省しなさい。心をいれかえ、広宣流布へのご奉公ができたならば、私の命をかけて、必ず治ると申しあげます。」2017/12/08 11:17 


池田大作全集31法華経の智慧 下 271p  折伏

 この世に生まれて、いったい、何人の人を幸福にしたか。何人の人に「あなたのおかげで私は救われた」と言われる貢献ができたか。人生、最後に残るのは、最後の生命を飾るのは、それではないだろうか。

 「南無妙法蓮華経と我も唱え他へ勧んのみこそ今生人界の思いでなるべき」456Pです。

 それが、この章の冒頭に話した戸田先生の「今日、死んだらどうするか」という思索の結論とも言えるのではないだろうか。2017/12/08 10:32


池田大作全集31法華経の智慧 下 261p 師弟

 師弟とは、弟子の「自覚」の問題です。形式ではない。師匠に何回会ったとか、そばにいるとか、幹部だとか、それは形式です。たとえ師匠から離れた地にいようとも、直接話したことがなくても、自分が弟子の「自覚」をもって、「師匠の言うと通りに実行するのだ」と戦っていれば、それが師弟相対です。根幹は師匠対自分です。組織の機構や役職等は方便です。

 

 師弟の道を離れて、仏法はないのです。法華経が他の経典よりも優れている理由の一つに、天大大師は「師弟の遠近」を挙げた。ここに重大な意義がある。           2017/12/08 10:22


池田大作全集31法華経の智慧 下 250p

 本当に信頼している弟子には厳しいのです。全精魂を打ち込んで訓練し、一切を託していく。戸田先生は言われていた。「牧口先生に、かわいがられた弟子たちは皆、退転し、先生に背いた。おれは先生には、ただの一度もほめられたことはなかった。しかし、おれはこうして、たった一人残って、先生の後を継いで立っている」と。  2017/12/08 10:05


池田大作全集31法華経の智慧 下 246p

自分は、今、死んでも成仏するに決まっている。ーそう言い切れる信心をしていきなさいということです。もちろん、広宣流布へ向かって、今世の使命の達成に向かって、「生きて生きぬかなければ」ならない。

 そのうえで、いつ死んだとしても、自分の信心に悔いがない、自分はやりきった、今死んでも一生成仏できるに決まっている。そう確信できるーうねぼれはいけないけれどもーそういう信心をしていきなさいということだと、私は受けとめた。

2017/12/08 9:47


池田大作全集31法華経の智慧 下 234p

戸田先生はよく御書講義で「皆さんのもらった功徳は小指くらいだ。それに比べて私は、この会場一杯の功徳をいただいている」と言われていた。私も同じ気持ちです。2017/12/07 14:41


池田大作全集31法華経の智慧 下 201p

その意味で、上行菩薩こそが、法華経の主人公と言ってよい。釈尊が主人公のように見えるが、じつは上行菩薩のほうが、法華経の「心」をより深く体現しているのです。 2017/12/07 14:37


池田大作全集31法華経の智慧 下 188p

創価学会による広宣流布だって、社会的なエリートがやったのではない。名もなき民衆の肉弾戦で切り開いたのです。

2017/12/07 14:32


 

池田大作全集31法華経の智慧 下 177P

「久遠元初」とは「無始無終の生命」の異名です。時間論ではなく、生命論です。生命の奥底の真実ー無始無終に活動し続けている宇宙生命そのものを指して「久遠元初」と呼んでいるのです。それは「無作三身如来」と言っても同じです。」

178p だから「今」が一番大事なのです。「過去」を振り向いてはいけない。振り向く必要もない。未来への希望を大いに燃やして、この「今」に全力を注いで生きる。その人が、人生の賢者です。

178p

ある時は、二十人ぐらいの青年の集いで、突然、力強く、「広宣流布は俺がやる」と叫ばれた。そして「君たちも一人ずつ言いまえ」と、一人一人を指さされた。・・・・・・

ただ戸田先生は、青年たちに、ご自分と同じ決意に立たせたかったのです。戸田先生の厳愛です。今、私も青年部の諸君に対して、まったく同じ気持ちです。

 


池田大作全集31法華経の智慧 下 146P

釈尊もじつは「菩薩」であり、同時に「仏」であった。そもそも「菩薩」とは、釈尊の修行時代の姿がモデルになっているといわれるしかい、修業時代だけが菩薩だったのではない。いわゆる成道後も、釈尊は、自ら悟った大法を弘めるために菩薩の行動を続けた。内にあふれてくる「永遠の生命」を自受法楽しつつ、人々にその法を弘めるために行動したのです「菩薩仏」です。

2017/12/07 14:05


 

池田大作全集31法華経の智慧 下 135P

戸田先生は、牢獄から出られて、恩師を偲びつつ、一人、愛ゾラを仰ぎ、歌われた。

   如意の宝珠を我もてり

   これでみんなを救おうと

   俺の心が叫んだら

   恩師はニッコと微笑んだ。

獄死した師匠牧口先生の「心」を受け継いで、一人、「広宣流布」に立ち上がったのです。しかも、牧口先生から戸田先生へのバトンタッチは、獄中であった。

2017/11/19 11:21


池田大作全集31法華経の智慧 下 133P

そもそも法華経とは何だろうか。

それは「釈尊の遺言です」釈尊が一番言い遺しておきたかったことです。それでは、釈尊のいちばんの「悲願」何だったのだろうか。

 それは、〃生きとし生けるものよ、幸福になれ!〃という願いです。釈尊は言っている。

2017/11/19 10:59


池田大作全集31法華経の智慧 下 117P

不軽菩薩は、上手な話もしなかった。偉そうな様子を見せることもなかった。ただ、愚直なまでに「下種」をして歩き回った。その行動にこそ、三世にわたって「法華経」が脈動しているのです。要するに学会員です。最前線の学会の同志こそが、不軽菩薩なのです。

自分自身が不軽菩薩なんだ、南無妙法蓮華経の当体なんだと決めて、「不軽」の修行をしていくことです。

2017/11/19 10:43


池田大作全集31法華経の智慧 下 113P

この「寿命」とは、文字通り「長生き」したことでしょうが、「生命力」とも解釈できる。たとえ短命であっても、「生命力」満々と生き、大いなる価値創造をして亡くなれば、その人は「長寿」だったのです。また広宣流布をsて、多くの人々に偉大な「生命力」を与えたこと以上の「長寿」はないと言える。


池田大作全集31法華経の智慧 下 106P

創価学会もそうです。民衆蔑視の日本の社会から、いつもバカにされてきた「貧乏人と病人の集まり」と軽蔑する人間も多かった。

しかし、戸田先生は「貧乏人と病人を救うのが本当の宗教である!!」と獅子吼された。

 真実の仏法は、苦しんでいる人のためにあるのです。一番苦しんでいるひとを一番幸福にするための仏法なのです。そうではないだろうか。

 この崇高な心の分からない人間からは、われわれは「常に軽蔑されて」きました。それでも相手がだれであれ、われわれは悩める人がいれば、飛んでいって面倒を見てきた。

 抱きかかえながら、「あなたの仏界を開けば、必ず幸福になれるのだ」と教え、妙法に目覚めさせていったのです。

2017/11/19 10:19

 


池田大作全集31法華経の智慧 下 98P

たとえば、年をとって目が悪くなっても、手はまだ動く。手紙も書ける。口は動く。電話もできる。無理をすると言うことでなく、胸中に「戦うこころ」が燃えて居ることが大事です。その「信心」があえば、六根清浄です。2017/11/07 20:52


池田大作全集31法華経の智慧 下 83P

我が地域に人材がいないと嘆く前に。まず祈るのです。広宣流布は御仏意です。仏事です。仏の業です。ならば、どの地にも「地湧の菩薩」を大聖人が派遣しれくださらないわけがない。人材がいないのではなく、「見えない」だけです。本気になって祈るのです。また「自分が全責任を担っていくのだ」と一人立つ事です。その、一念に呼応して、人材が現れてくるのです。

2017/11/07 20:21


池田大作全集31法華経の智慧 下 81P

斉藤 教育・文化に貢献する創価大学にしても、民音や富士美術館にしても、創立に対して、だれもが反対したそうですね。(笑い)

池田 文化祭だって。鼓笛隊だって、研修道場だって、みんな反対したんだよ(笑い)仏法のすばらしさを、より多くの人々と分かち合うには、文化・教育・平和という普遍的な広場をつくらなければいけないのです。

昔の学会は、色で言えば「灰色」です。(笑い)それを、私がカラフルな彩りに、変えたのです。 2017/11/07 20:09


池田大作全集31法華経の智慧 下 65P

そして、弘教を実践している人を、心から称えていくことです。最高に尊貴なる「仏の使い」なのだから。そうすれば、自他ともに歓喜がわくゆえに、さらに広宣流布が進むのです。ともあれ御本尊が大好き、学会活動が大好きという強情な「信心」にこそ「随喜功徳」が無量にあふれてくるのです。   2017/11/07 19:56


池田大作全集31法華経の智慧 下 44P

われわれは「流通広布の時代」を待ち、その時を選んで、今、生まれてきたのです。今世に、どれほどの深い使命があるか、どれほどの尊貴な立場か、計り知れない。末法万年への先駆けです。それを思えば、大感激です。欣喜雀躍です。しっかり御本尊を拝して、「自覚」をしなければならない。  2017/11/07 19:38

 


池田大作全集31法華経の智慧 下 35P

最後まで生きて生き抜くことが、「永遠の生命を知った」証です。「永遠の生命」と言っても、目に見えるわけではない。しかし、永遠の生命を「信ずる」ことはできます。 2017/11/07 19:25


池田大作全集31法華経の智慧 下 15P

戸田先生はよく「私が受けた功徳をこの講堂いっぱいとすれば、諸君の言っている功徳は小指の先くらいのものだ」と言われていた。2017/11/07 19:17


池田大作全集30法華経の智慧 中 502/503p

斉藤 戸田先生は、ご自身の死期をご存じであったとうかがいました。お手伝いさんの手記によりと、戸田先生は亡くなる前年、こう語られたそうです。「私はとっくに死んでいる人間なんだよ。どこまで生きられるか、ためしているんだ「本当のことを言おうか、私は来年四月に死ぬ。いいや死ぬ」

池田「永遠の生命が分かる」ということは、必ず「慈愛」の行動に表れる。しうでなければウソですすべての人の生命が仏様と同じだと分かった人は、自分の命を削って、そのことを伝えようとする。仏の境涯とか、悟りとか言っても、そのこうどうにしか実像はないのです。

505P

池田 ソバを食べられたのは、約束を果たされたのです。それは「鳩摩羅什は『死後、自分の舌が焼けなければ、自分が説いたことが真実であったと知れ』と言って死に、そのと通りになった。

 そこで、私(日寛上人)はふだんからソバがすきだから、臨終の時に、ソバを食べ、一声、多いに笑って題目を唱えて死ぬことにしよう。もしも、この通りになれば、私が説いたことを一文一句も疑ってはならない」と語られている。亡くなる半年前です。(亨保11年4月)

506p

池田 ともあれ「仏界の生死」にあっては、「死」はけっして恐れるべきものではない。今日寝て、あすの朝、起きる。それと同じです。死んだと思ったら、すぐ来世なのです。

池田 しかも自分が生まれたい時に、生まれたい姿で、生まれてくる。地球とは限らない。「もう地球は、あきた」(笑い)他の星にいって働くのも自由です。                2017/10/29 10:53


池田大作全集30法華経の智慧 中 500p

長寿であろうと、短命であろうと、いかなる場所で、いかなる姿で亡くなろうと、広布に生き抜いた人は「仏界の生死」なのです。

 

あるときは「私の命をあげるから」とまで言ってくださった。そして、短命と言われた私が、いよいよ七十歳。健康です。人生は、まだまだこれからだと思っています。

2017/10/16 17:01


池田大作全集30法華経の智慧 中 497p

「生も歓喜、死も歓喜」です。大聖人は「一乗の羽をたのみて寂光のしらにもかけるりぬべし1430」とも仰せだ。(一仏乗の教えである法華経の羽の力で、寂光のそらへも悠々と飛翔するであろう)

三世にわたって全宇宙を舞台に、「幸福の大空」悠々と飛翔するのです。ゆえに、恐れなければならないのは「死」ではない。峻厳なる「因果の理法」を恐れなければならない。

 

「長寿は生命の芸術」といった人がいる。長寿それ自体が勝利の姿です。寿量品には「更賜寿命」485とあります。

 

日蓮大聖人のご入滅は数えで六十一歳、現代で言えば、ちょうど「還暦」で亡くなられている。(六十年と八カ月のご生涯)還暦というのは、暦をひとめぐりした。完全に生きたと言えるかもしれない。また日興上人は八十八歳で入滅された。

 

日目上人は天奏の旅の途上で七十四歳で亡くなられた。

私は三師が三様の亡くなられ方をされたことに深い意味を感じるのです。

2017/10/16 16:05


池田大作全集30法華経の智慧 中 488p

「心こそ大切」です。慢心ではなく。心の底から求道心を燃やしきっていかなければ、仏法は分からない。何億年、何百億年に一回しか、めぐり会えない御本尊だと思ったら、一回一回の勤行がどれほど感激に満ち満ちてくることか。

 

あるとき、戸田先生は言われた。「『臨終只今にあり』というが、この臨終は、どなたの臨終か分かるかね。仏様の臨終だよ。仏様がいらっしゃらなくなったとしたら、どんな心細いだろう。どんなに悲しいことだろう。仏様に今、お別れしなければならないのだと思って、信心することだよ」

この言葉を漫然と聞いていた人は、戸田先生が亡くなったあと、先生が生きておられるうちに、ああすればよかった、もっと戦って喜んでいただきたかったと後悔したのです。

「臨終只今」とは、師匠の臨終が只今と思って、猛然と広宣流布へ戦っていきなさいということです。師匠に見守ってもらって戦えるなんて幸せなことなのです。それが分からない弟子は失格です。

 師匠が生きているうちに、そう気づいて頑張るのが「本心を失っていない子ども」に当たる。気がつかないのが「毒気深入」で本心を失った子どもです。   2017/10/16 14:47


池田大作全集30法華経の智慧 中 481p

「死は自分の前にあるのではない。死は背中から自分に近づいてくる」と言った人がいる。「いつか頑張ろう」「これが終わったら頑張ろう」と思っているうちに、あっという間に年月は過ぎ去ってしまう。気がついてみると、何ひとつ、生命の財宝を積まないで、死に臨まければならなくなっている。それが多くの人の人生でしょう。その時に後悔しても遅いということです。

 

しかし、よく考えてみれば、三日後が、三年後であっても、三十年後であっても、本質は同じなのです。ゆえに、いつ死んでもいいように、「今」を生きるしかない。

また、永遠から見れば、百年も一瞬です。文字通り、「臨終只今にあり」なのです。戸田先生も「本当は、死ぬときのために信心するのだ」とおっしゃっていた。

 

その意味で、「死」を意識することが、人生を高めることになる。「死」を自覚することによって、「永遠なるもの」を求め始めるからです。そして、この一瞬一瞬を大切に使おうと決意できる。

 

もし「死」がなかったら、どうなるか。さぞかし人生は間のびして、退屈なのではないだろうか。

 

「死」があるからこそ、「今」を大切に生きようとするのです。現代文明は「死を忘れた文明」と言われる。それが同時に「欲望を野放しにした文明」となったことは偶然ではない。一個人と同じく、社会も文明も、「生死」という根本の大事を避けていては、その日暮らしの堕落におちいってしまう。死を意識するか否かが、人間と他の動物との違いです。死を意識することによって、人間は人間になった。

2017/10/16 14:23


池田大作全集30法華経の智慧 中 474p

「生」の特徴は能動性にあるが、「死」の生命は基本的には受動的です。自分で自分の生命実感を変えることはできない。 

地獄界の基底部をもつ生命は、死とともに、宇宙の地獄界と一体となって、苦悩一色に染められて言ってしまう。

仏界を基底にした生命は、瞬時のうちに大宇宙の仏界と一体になり、その黄金の大歓喜に包まれて行くにちがいない。そして全宇宙が仏国土であるい実感しながら、「我此土安穏 天人常充満」「衆生所遊楽 諸天撃鼓」の境涯を楽しみ、自らの誓願のままに、「久遠の仏」と一体の活動を生死不二で為して行くことでしょう。

 

475p だから今世で人間革命に励みなさいと言うのです。一生空しく過ごして、万歳悔いても、もう取り返しがつかない。ただし、妙法の力は偉大です。こちらが唱える題目は、宇宙生命に冥伏している生命にも届くのです・

戸田先生は「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命を、あたかも花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化させるのである」とおっしゃっている。題目の音声は、全宇宙に届くのです。

 

478p さあ、新しい気持ちで「永遠の生命」を、探求していこう。今世で、がっちりと、その確証をつかみとっていこう。」

2017/10/15 17:36

池田大作全集30法華経の智慧 中 468p

さあ、そこで「死後の生命」です。これは業の生命流が、「空」の状態で宇宙生命と一体二なるのです。「空」だから「有

」でも「無」でもない。宇宙の〃あそこ〃にあるとかは言えない。うちゅうせいめいの全体と一体になっているのです。

2017/10/15 17:01


池田大作全集30法華経の智慧 中 452p

私たちの生命も、大宇宙という大秋から生まれた「波」のようなものです。波が起これば「生」、また「生」、また大海と一つになれば「死」です。永遠に、これを繰り返していくのです。人間の生命だけではない。

453p

「臨終」のさいの「一念」が、どこを向いているかで、宇宙の何界に溶け込んでいくかが大きく左右されてしまう。そこで、臨終の一念を、一心に妙法へ向けさせていく「用心」がしめされているわけです。

456p

死ぬときに苦しまないーこれだけでも信仰の偉大なる功徳です。どれほど、ありがたいことか。

457p

広宣流布へ戦った庶民の英雄をを、千佛が賛嘆する。千仏とは、故人のために唱題する多くの人々のこととも言える。もちろん、大事なのは、送る人の人数ではない。故人を包む真心の唱題です。同志の真心の唱題に送られていくほど、霊山への旅立ちはありません。   2017/10/15 16:30

459p

もちろん、妙法の功徳は一切の罪障を消しているのですから、信心に励んでいる人は何があっても心配する必要は、まったくない。たとえ事故などでなくなった場合であっても、生前に強情な信心があれば成仏していけることはまちがいない。

          2017/10/15 16:40

 


 池田大作全集30法華経の智慧 中 433P

自分にとって何がいちばん大切なのかー死に臨んで、それがはっきりする。以前アメリカの母親体験を本で読んだことがある。脳卒中で倒れ、数週間、昏睡状態が続いた。しかし、死の直前に彼女は、はっと目を開けた。そして急に笑顔になって「なにか見えないものに向かって手を差し伸べた」。まるで「赤ん坊でも抱くようなしぐさ」をして、下を向いた。じつに、うれしそうで、幸せな顔だった。そのままの格好で息をを引き取った。じつは、彼女は初めて子供を、出産してまもなく亡くしていたのである。その後、五人の子供を産み、皆、立派に育った。彼女は生前、亡くした子のことは話そうとしなかったそうだ。しかし、死の間際に、お母さんはその子に出会い、その子を抱いて死んでいったー残された子供たちは皆、そう確信したという。

2017/10/15 15:59

 

池田大作全集30法華経の智慧 中 453P

「臨終」とは、「山頂」に譬えられるかもしれない。人生という山登りを終えた、その地点から振り返って、初めて自分の一生が見渡せる。   2017/10/15 16:08         2017.8.18 亀山