読売新聞 2023.12.25 朝刊
住宅構造設計 住友林業 AIで5時間から10分
夏目漱石 夢、トラウマ 公明新聞 文化 実父から厄介者扱いされ続けたことが、漱石に深い心傷(トラウマ)を残す。
2020.6.5
2020/06/06 8:53
読売新聞 2020.3.7 五郎ワールド 特別編集委員 橋本五郎
今から100年前、世界をスペインインフルエンザが襲いました。死亡者は世界全体で2000万人から4500万人。同時期の第一次世界大戦の戦死者が約1000万人だったことを考えると、いかに被害が甚大だったかわかます。。
スペインインフルエンザは日本でも猖獗を極めました。犠牲になった日本人は内地・外地合わせた74万人という数字もあります。にもかかわらず、歴史の教科書でも歴史書シリーズでも滅多に登場しません。
2020/03/17 9:22
夕刊読売新聞 2020.3.16 新型コロナ 米、ゼロ金利復活
3日時点では2桁台だった米国内の感染者が2000人超に急増したことなどを踏まれた。
2020/03/17 8:50
時代の証言者 読売 青春のフォーク 南こうせつ 昭和24年生まれ 2017/07/25 21:10
40歳になったとき、ひさしぶりにNHKのテレビ番組で「神田川」を歌ったんです。びっくりするほどたくさんの手紙をいただきました。若い頃この歌に励まされたという方からの手紙です。「神田川」を大事に歌っていこう。皆さんの手紙に気づかされました。今、ぼくは、同時代をともに生きてきた人たちに向けて歌っています。
亀山郁夫 名古屋外国語大学学長 聖教新聞 私の読書観 2016.4.30
本を読むようになったのは、ここ10年、50代半ばになってからです。今更ながら、太宰治や夏目漱石を手に取った。すると驚くほど面白いと感じた。
人と人が対等に、特に外国人とに話す際、やはり文化や芸術の話題が中心だし、コミニケーションのきっかけになる。それを保証するのが世界の文学です。古臭いと考えるかもしれませんが、文学の素養は、その人の信頼感の証なのです。
2016.5.1
まど・みちおさん 未収録160編 2015.10.1 読売新聞
「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」などで知られ、昨年2月に104歳で死去した詩人、まど・みちおさんの単行本未収録の詩や俳句など160編が存在することが分かった。
2015.10.1
時代の証言者 福原義春 2003.7.30 読売新聞
私は学芸員一人一人にファクスで直接意見を送りました。これは彼らにとっては驚きでした。以前は課長、係長といったタテの流れだけでじょうほうは降りてきてましたから。
2015.9.28
読売新聞 2015.3.15 昭和時代 1945~54年
証言 名作競う天才監督 1953年に松竹に入社した映画監督の篠田正浩84歳
溝口健二や小津、木下、黒沢明・・・・・、当時の日本映画界は、映画のために生まれたような天才監督が割拠し、数々の名作を競うように撮っていました。そんな人たちは誰も大学なんか出ていない。映画会社が大きくなると、学歴がなければ入れなくなった。天才ではなく、知識人が映画を撮るようになったのです。
2015.3.15
読売新聞 2015.2.10 新しい挑戦と医療倫理 群馬大病院問題を考える
天皇陛下の手術執刀 天野篤 順天堂大学教授
手術中でも、事態に変化があれば、その都度、患者の家族に説明することにしている。手術では、予測できないことが起こる場合もある。誤解を生まないために必要なことだ。
手術をするに当たり、私は、手術中の判断ミスで患者が2人続けて亡くなれば、心臓外科医を辞めると自らに課している。緊張感を伴う決めごとだが、今もそれを守っている。
2015.2.11
四季 読売新聞 2015.2.2
あずかれる宝にも似てあるときは吾子ながらかひな畏れつつ抱く 美智子皇后
日本の役割熟慮の時 語る 戦後70年 元米国国務長官 ヘンリー・キッシンジャー 91歳
読売新聞 2015.1.3
米国の現在の問題は、国内に深刻な分裂を抱えていることだ。哲学的な命題として、一つの変化に対応する時に来ている。
2015.1.6
文芸誌 新潮 2011.5 西村賢太 「寒灯」
久しぶりに新潮を読む気になった。
私が所属する文芸の会「架け橋」で年一回の架け橋賞で「Sさんの最期」が佳作に入った。自身が驚いた。
所属している自分がいうのもおかしいが、主宰が日本ペンクラブの会員で、茨城大学の名誉教授、俳人、歌人、言語学者等多士済済である。今年中学の教科書に随筆が採用された、T氏が私の直接の先生である。
その人材群の中で随筆が佳作に入った、それがきっかけとなり、普段の勉強(新聞の切り抜きと書き込み、一日二時間はかかる)とは別に、何を読もうか考えていた。
新潮が五百冊ほど事務所の二階の本棚にならんでいる。目次を目で追っていくと、西村賢太氏のところで目が止まった。
数年前に西村賢太氏が芥川賞を受賞したことは知識としては知っていた。
「寒灯」は芥川賞受賞第一作
同棲の彼女との帰省切符とのやり取りの中に、お互いの思いのすれ違いを書いていて、自分にも妻に対して、この男性と同じような思いが現在もあり、面白く、身につまされながら読んだ。
私の場合は、結婚生活34年が過ぎ、体力が落ちたのか、気力が落ちたのか、激しい喧嘩はしないように努めている。(こぜりあいは日常茶飯事)。
つい数年前までは、あまりにもきついことを言われると、言い返したく、怒鳴りちらした時もあるが、今は我慢している。
年齢とともに体力が落ちてそうしているのか、あきらめているのか、自分ではわからない。
2014.12.29
読売新聞2014.12.1 東京の記憶 洲崎パラダイス 三浦哲郎 芥川賞作品「忍ぶ川」舞台
読売新聞2014.12.1 ゴルフ 片山貫禄の逆転v 41歳4連続バーディ
読売新聞2014.12.1 葛西W杯最年長V 42歳5カ月 会心の145メートル
双子のパンダのお父さんも人間の年齢に換算すると67歳というニュースに驚いた。
読売新聞 2014.11.14 夕刊 ちきゅう 時の散歩
高杉晋作 in 上海
1862年の初夏、その外灘に、日本からきた若者が上陸した。後に奇兵隊を創設する長州藩(山口県)の風雲児、高杉晋作だ。
上海の繁栄に度肝を抜かれたようだ。
高杉の大胆な行動も」、上海での多感な経験があったことは想像に難くない。
高杉晋作に渡航経験があることを知らなかった。2014.11.16
2014。11.14 葛飾区西小菅公園前の荒川土手から
2014.11.12 読売新聞 4面
読売新聞 2014.11.11 朝刊
「尖閣」妥協で会談実現
10日の安部首相と中国の習近平国家主席の首脳会談で、終始硬い表情だった習が一瞬だけ表情を和らげる場面があった。
安部が「先月、中国の舞劇『朱鷺』を観賞しました」と言及した時だ。
日中友好のシンボルであるトキをテーマにした<舞劇「朱鷺」>は首脳会談実現のキーワードのひとつだった。
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朱鷺は来年民主音楽協会で来年6・7月28都市で公演される、
舞劇『朱鷺』を全国で公演 6・7月 28都市
プレビュー上演会(主催=中国人民対外友好協会、民音)が10月7日、東京・品川区内で開催され、三笠宮家の彬子さま、安部晋三首相、中国の程永華駐日大使ら25カ国の大使および大使関係者をはじめ多数の来賓が訪れ、中国人民友好協会の李小林会長、創価学会の原田会長、民音の小林代表理事らと共に観賞した。 聖教新聞一面 2014.10.8から
読売新聞 2014.11.10 夕刊
露大統領来年来日へ
日中首が首脳会談・北京の人民大会堂
2011年12月以来3年ぶり
2014.11.11
今、大相撲がおもしろい 若い世代へのPR戦略 功を奏す 2014.10.29 聖教新聞
東京場所としては1997年以来17年振りのにぎわいだ。
元小結。高見盛の振分親方がハイタッチで観客を出迎えた昨年夏場所のイベントが発端だった。
積極的な情報発信にも乗り出した。若い世代を中心に幅広い層に親しんでもらうため、ツイッターやラインといったインターネット交流サイトを活用し始めた。
2014.11.2
読売新聞 2014.10.24 もったいない語辞典 『架け橋』 加賀美 充洋
比喩では、橋渡し、仲介人などの意味に用いられる。
筆者は、8月末に縁があって中央アメリカのニカラグア政府に招かれ、同国のサンファン川に架けられた橋の開通式に参加した。日本の無償援助により建設された橋は、長さ362メートルで、総額30億円が費やされた。
古来、橋は人間にとって、容易に行けないところへ導いてくれるものだった。その本来の「架け橋」のありがたみを改めてかみしめたいものだ。(帝京大学客員教授)
2014.11.1
読売新聞 10月25日 時の余白に 編集委員 芥川喜好
地域を照らすかがり火
昨年の十月この欄で、俳人の齋藤愼爾さんが営む深夜叢書社の出版事業が、五十年を迎えた話を書きました。
売れようが売れまいが出したい本を出してきた。採算を度外視し、私費をつぎ込み、無名の新人であれ、出すべきものを出してきた。出版人です。・・・・・・・・
「売れる売れないにかかわらず黙々と自分の役割を果たしている人が世の中にはいる。話題なることなど眼中になく、こつこつ努力を続けている人がいる」
2014.10.28
総立者 人間ゲーテを語る 2003.3.14 創価大学 第一回特別文化講座
ゲーテの家族について見てみたい。1749年8月28日、ゲーテはフランクフルトで生まれた。39歳の資産家の父と18歳の母の長男でした。
教養豊かな父のもとで、ゲーテは、幼少のころから、万般の学問を厳しく教えられた。
ゲーテの母は、「人や物を見るすこやかな眼」をもち、「つねに朗らかな快活な心」が弾んでいる人でした。だれもが、彼女に会うと楽しい気持ちになったといいます。
一般に、外国文学は物語の本筋に入るまでが長い。翻訳がわかりづらい場合もある。たいてい、嫌になってしまう。そこを我慢して通り越すと、ぐっとわかるようになり、面白くなるものです。
文で人の心を動かそう! 文で世界に波動を広げよう! 新しい時代をつくろう。! 自分がやってみよう! ー そう決めるところから、一人の偉大な人間革命が始まる。
大事なのは「出会い」です。一人では偉大になれない。偉業は達成できない。必ず何らかの出会いがある。
21歳の無名の学生であったゲーテは、自ら求めて5歳上のヘルダーを師匠として学びます。いい先輩が大事です。いい友達も大事。いい後輩も大事人生の宝は、人と人のつながりです。
つづく 2014.10.16
二度とない青春時代だ。本当に訓練してほしいーその心が自分を大きくする。ゲーテは自ら望んで厳しい先輩に つきました。
人生、一人では勝てない。成長できない。だから学校がある。友人がいる人と人の間にいるのが「人間」です。ゲーテにとって、ヘルダーは峻厳な薫陶を受けること、それ自体が喜びであり、感謝でありました。
ゲーテは、妻について「彼女が私の家にきてからというもの、私は楽しい思いばかりさせてもらいました」と感謝をこめて紹介しています。
ゲーテの最後の言葉は「もっと光を!」であったと伝えられる。・・・・・・・・・
「『もっと光を』という一言からは『もっと世界を見つめたい』『もっと世界から学びたい』『もっと世界と対話したい』さらに『もっと世界の為に生きて、そして、もっと世界のために行動したい』とのゲーテの生命の奥底からの叫びが、聞こえてくるようではないか」それが師弟の語らいの結論でありました。
ゲーテは語っている。『死を考えても、私は泰然自若としていられる。なぜならば、われわれの精神は、絶対に滅びることのない存在であり、永遠から永遠にむかったえず活動していくものだとかたく確信しているからだ。それは、太陽と似ており、太陽も、地上にいるわれわれの目には、沈んでいくように見えても、実は、けっして沈むことはなく、いつも輝きつづけているのだからね』ゲーテは呼びかける「宇宙に帰りゆく迄、たゆまず活動を続けよう」。 2003.3.10
2014.10.17
私の中の古典 新潮 昭和47年8月号
醒めきった情熱者
西 鶴 開高 健
彼は四十一歳で『一代男』を書き、五十一歳で没する。小説家としてはたった十年間生きただけである。その十年間に『好色一代男』、『好色二代男』、『西鶴諸国ばなし』、『好色五人女』、『好色一代女』、『本朝二十不幸』、『男色大鑑』、『武道伝来記』、『日本永代蔵』、『武家義理物語』『新可笑記』、『本朝桜蔭比事』、『一目玉鉾』、『世間胸算用』、『西鶴置土産』、『西鶴織留』、『西鶴俗つれづれ』、『万の文反故』を書いている・・・・・・・・・・・・・
それを可能にしたのは四十一歳までの蓄積と浪費であっただろうと思われる。
私はこれを読んだ時に思ったことは、「これらを西鶴が十年間で書いたということである。」四十一歳までの蓄積と浪費、すばらしい浪費。
2014.10.14
私の中の古典 新潮 昭和47年8月号
万葉びとの声 壇 一雄
私が万葉集を読むようになったのは、それが私達の高等学校の教科書に選定されており、その講義が一年間続けられた、まったく平凡な事情からである。
世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 山上憶良
2014.10.14
文学A