随筆 新・人間革命  わが原点の8月14日

 私も登壇者だったが、開会前のわずかな時間を見つけ、路上で飛び出した。大阪の同志と一緒に、参加を呼びかけるビラを配った。粗末なわら半紙に、折伏精神に満ちた勇ましい文字が躍っていた。

 私は一兵卒となって、道行く人にビラを渡し、声をかけた。たちまちシャツは汗びしょりみ濡れた。

 師弟の道は、どこか遠いところにあるのではない。人びとの幸福のために戦う、現実の中にある。


我が同志に捧げる詩  山本伸一 2001.7.13

政治への参加も 選挙の支援活動も国民の権利であり義務でもある。すべてが遠大な永遠の平和を実現しゆく津善なる使命の闘争tなる。   2020/02/28 9:53


随筆新・人間革命 7.12 「炎の東京大会」2001.7.12

戸田先生は言われた。「選挙の支援活動は、国民の権利であり義務である。また、我々は広宣流布という民衆の弘布の実現のために働いている。選挙の結果は、その前進の実績を、日本中の内外に、明確にのこしてくれるから大切である。」・・・・・御本仏、大聖人が御入滅されたのも不思議にもここ東京であられた。

その東京が、令法久住の大攻防戦の主戦場と成り行くことは、仏法の眼から見れば必然と言わざるをえないだろう。19.5.3

2020/02/02 22:25


太陽は昇る! 栄光の北陸に20114.18

そのために 園第一歩として選挙も勝とうではないか! 全てに勝ちゆく勝ちゆく勝利の第一歩にしょうではないか!

2019/11/06 18:48


アルメニア共和国初の「自然との対話」写真展 2012.6.19

「心を揺さぶられた瞬間や忘れ得ぬ光景を共よ分かち合いたい」こらが、私の率直な思いであります。まさに写真こそ「瞬間」を「永遠」へと高め、人と人を結びゆく〃民衆芸術〃であり〃大衆芸術〃であり〃大衆文化〃でありましょう。

 ありのままの自然の美しさと、気取らずに飾らず向き合うことにより紡ぎ出された「自然との対話」を通して、心が通い合い、語らいの輪が広がっていく。


新・人間革命  10巻 言論城 89P

伸一はかって戸田城聖が、初めて同志を政界に送り出したとき、こう語っていたことが思い出されてならなかっいた。

「私の心を忘れぬ者は政治革新を成し遂げ民衆のための偉大な政治家に育つだろうが、私利私欲に狂えば、広布を破壊する魔のはたらきとなってしまうだろう。政界への進出は、私にとっても、学会にとっても大きな賭けrなのだ。私は獅子が我が子を谷底に突き落とす思いで、弟子達を政界に送り出そうとしているのだ」


全集98 235P     2005.5.31

あの昭和31年の大阪の戦いのとき、私は28歳の青年であった。勝つか負けるか。多くの人が、勝利は不可能だと見ていた。しかし、戸田先生のため、同志のため、学会の未来のため、絶対に負けるわけにはいかなかった。私は億こうの心労を尽くし、死にものぐるいで戦った。

東京と大阪を何度も往復し、何ヶ月も大阪に滞在した。朝は早朝から飛び出して、大阪中を走り抜いた。夜は深夜の関西本部で、人知れず丑寅勤行を続けた。毎日くたくたに疲れ果てたが、大生命力を奮い起こして、一日一日と戦い抜いた。

そうして迎えた決戦の日、早朝の5時過ぎ、関西本部の静かな室内に電話のベルが響いた。受話器を取ると、それは東京の戸田先生からであった。東京は厳しい情勢であった。

先生は言われた「大作、関西はどうだい」「こちらは勝ちます!」私の答えを、先生は、本当に喜んでくださった。あのときの先生の、こころからのうれしそうな声を、今も忘れることはできない。

2017.6.6


公示日の朝、池田室長は白木の家族全員を関西本部に呼び、ともに出発の勤行を行った。「いよいよ今日は公示です。ご主人だけの出陣と思ってはいけません。あなた方一家の本当の出陣となるのです。」

あの日あの時。池田先生と神戸市 09.8.21      2017.5.21


足立区と北区 北区と足立区は隣接する兄弟区ともに広宣流布の言論戦の屋台骨となった。

新あの日あの時 池田先生と東京北区


女性参政権の実現はまさに人類史上、新時代を画する「声」であったといってよい。


選挙は憲法に保証された国民の権利である。誰人が誰人に投票しようと絶対に自由である。現代において政教一致などという論難は全くの論外だ。あまりにも見事な平和勢力の前進に対する妬みに過ぎない。

01.1.4

2015.3.16