我が友に贈る 2012.12.5

誉れの本陣同志よ! 我らの勝利こそ 全世界の希望の光だ! 大東京の底力を 満天下に示しゆけ!

2020/07/13 8:58


広布45周年の開幕を記念 東京葛飾が総会

葛飾は庶民の大城。大東京の心臓部である。昭和32年、池田名誉会長(当時青年部の室長)は無実の罪で大阪拘置所に留置され出獄した後、初代総ブロック長として葛飾の地へ。

 戸田第2代会長の命をうけ広布拡大の指揮を執った。「私自身葛飾の総ブロック長として、徹底して家庭訪問、個人指導を心がけ心がけた。あるときは車に揺られ、ある時は自転車でまだ舗装されていないでこぼこ道をも駆け巡った。心で題目を唱えながらペダルをこいだ。亀有や立石、金町、細田の街角、路地裏・・・・・すべてがあまりにも懐かしい」(随筆新人間革命)以来、一人から一人へ、真剣勝負でで語り抜き、弟子が勝利への突破口を開きゆくのが葛飾の伝統となった

2020/06/13 8:54


祈りこそ勝利の源泉 各部代表者会議を開催 池田名誉会長がメッセージ

 また名誉会長は55年前の1952年(昭和32年)、東京葛飾区の初代総ブロック長として、同志と共に奮闘した歴史を述懐した。その際、地域に根ざした模範の組織を述懐した。その際、地域に根ざした模範の組織を建設するための指針に言及。①勤行・唱題こそ幸福勝利の源泉。白馬が天空を駆け、大宇宙を動かしゆくような強盛なる祈りで前進しよう。②学会は麗しい同志愛の世界。歓喜と功徳に満ちた温かな人間交流のある組織を築こう。③師弟共線てゃ、我が分野で師に応え最高のものを創りあげること。弟子の戦いを貫こう。④信心とは勇気の異名。勇気の二時字で全てを勝ちまくろう。ーーとの諸点を確認した。

 各部代表者会議で、昭和32年の東京葛飾の初代総ブロック長の歴史を述懐

 

平成24年9月24日大久保区長、鈴木本部長、亀有牧口区の日に事務所に来て亀有池田支部の地区部長を要請。受諾 


今週のことば

広宣流布は「人と会う」こと  人間革命は 「勇敢に語り抜く」こと。朗らかに挑戦を!


随筆 新・人間革命 勝利の鉄則20015.19

では団結の鍵は何か。それは、一見、矛盾するようであるが、自らが「一人立つ」ことである。

今、私は東京の地で、厳然と指揮をとる。わが東京よ、わが関西よ、わが日本の同志よ、団結の不滅のピラミッドを築け!

2017.5.21   2020/03/02 10:49


栄光あれ!東京革命の舞 2001.5.14

君よ!生きていくのであれば。世の果てをも越えぬいて 汝自身を感動させながら戦い生き抜いてもらいたい。さあ!広宣流布の原点東京を舞台として正義の戦いは今日も続く明日も続く、そして永遠に続く。

2020/02/22 20:39


君も私も 久遠のあの時 あの場所で 広宣流布の宣言を読みあった仲ではないかもう一度自分の目で読み直そう。2001.3.24  2020/02/02 21:54


葛飾の総ブロック長として、全責任を担い立ちました。御書と師弟 09.9.24

2019/11/06 18:29


偉大なる 葛飾勝ちゆけ 万代に 広布と勝利の 歴史輝け

2019/05/06 21:19 


我が地域の一世帯をどう励ますか。新たな一人を、どう広げるか。それが根本です。 御書と師弟 09.9.24

2018/02/09 16:58


 

昭和32年あの大阪事件の直後、私は戸田先生から、東京葛飾の総ブロック長「現在の総区長」の任命をいただいた。それまでのたて線から、地域に根ざした新体制の模範を、人情味豊かな下町で気づきあげることを、師から

託されたのだ。私は大きな会合よりも、座談会と家庭指導を中心として、新しい大波を起こしていった。」宿縁深き同志のことは、」わが生命から永遠に離れることはない。昭和52年の4月、待望久かった葛飾文化会館の誕生の折も、私は駆けつけた。

そして、語り合った。

「一人が十人の本当の友人を作っていこう、そこに実質的な広宣流布がある」この誓いのままに、葛飾の友は麗しき人間共和のスクラムを朗らかに粘り強く広げてくれている。   人間世紀の光 09.9.20      2017.5.23


池田名誉会長である。まっすぐポスターに向かう。役員からペンを借り、「かつしか」の右下にさらさらと2文字書き加えた。「ない」

名誉会長は振り向いた。

「葛飾は私が初代総ブロック長ちして戦ったところです。葛飾は「勝つしかない」んだ。

 青年部の池田室長が第一歩を記したのは昭和30年の2月27日の日曜日である。香峯子夫人の誕生日でもあった。東四つ木の運送屋で開かれた、連合地区座談会。230人が集った。二階の会場に入りきれない。一階の駐車スペースまで、人が溢れた。

 総ブロック結成大会。昭和32年9月25日n亀有で行われた。「私は人に言われて葛飾に来たのではない。室長の気迫が堂内を圧する」「自分で決めて来たのです。全国に先駆けて、葛飾に模範のブロックをつくりに来たのです」「葛飾の戦い」始まった。

 室長の会合は楽しかった。よそのブロッフが一休みしている間、葛飾はリードを広げていく。下町葛飾は、東京で田舎に見られていた。「これから私は、学会全体を見ないといけない。しかし、私がいつも葛飾で指揮をとっていると思って戦いなさい」

   二万人の心意気

   署名簿に二つの揮毫

「葛飾の 友の幸せ 祈る日々 この身捧げむ 門下守りて」  「此の世の共戦 此の世の人生」葛飾こそ池田門下の筆頭だ。師とともに今世の共戦の歴史を飾るのだ。

 平成14年5月5日、葛飾平和講堂。振り向くと名誉会長夫妻が立っていた。「東京一、」日本一の折伏でがんばった葛飾に敬意を表しに来たよ」勝利の太陽は東から昇る。  09.4.17

2015.7.5 

 


葛飾でまぶしい顔した青年たちの中心に、自分と同じ昭和三年生まれの人物がいた。「うーん、一瞬で若者の心をつかむなんて、たいした方だ」その瞳は、じっと池田大作名誉会長をとらえていた。