我が同志に捧げる詩 山本伸一 2001.7.13
政治への参加も 選挙の支援活動も国民の権利であり義務でもある。すべてが遠大な永遠の平和を実現しゆく津善なる使命の闘争tなる。 2020/02/28 9:53
随筆新・人間革命 7.12 「炎の東京大会」2001.7.12
戸田先生は言われた。「選挙の支援活動は、国民の権利であり義務である。また、我々は広宣流布という民衆の弘布の実現のために働いている。選挙の結果は、その前進の実績を、日本中の内外に、明確にのこしてくれるから大切である。」・・・・・御本仏、大聖人が御入滅されたのも不思議にもここ東京であられた。
その東京が、令法久住の大攻防戦の主戦場と成り行くことは、仏法の眼から見れば必然と言わざるをえないだろう。19.5.3
2020/02/02 22:25
太陽は昇る! 栄光の北陸に20114.18
そのために 園第一歩として選挙も勝とうではないか! 全てに勝ちゆく勝ちゆく勝利の第一歩にしょうではないか!
2019/11/06 18:48
アルメニア共和国初の「自然との対話」写真展 2012.6.19
「心を揺さぶられた瞬間や忘れ得ぬ光景を共よ分かち合いたい」こらが、私の率直な思いであります。まさに写真こそ「瞬間」を「永遠」へと高め、人と人を結びゆく〃民衆芸術〃であり〃大衆芸術〃であり〃大衆文化〃でありましょう。
ありのままの自然の美しさと、気取らずに飾らず向き合うことにより紡ぎ出された「自然との対話」を通して、心が通い合い、語らいの輪が広がっていく。
新・人間革命 10巻 言論城 89P
伸一はかって戸田城聖が、初めて同志を政界に送り出したとき、こう語っていたことが思い出されてならなかっいた。
「私の心を忘れぬ者は政治革新を成し遂げ民衆のための偉大な政治家に育つだろうが、私利私欲に狂えば、広布を破壊する魔のはたらきとなってしまうだろう。政界への進出は、私にとっても、学会にとっても大きな賭けrなのだ。私は獅子が我が子を谷底に突き落とす思いで、弟子達を政界に送り出そうとしているのだ」
全集98 235P 2005.5.31
あの昭和31年の大阪の戦いのとき、私は28歳の青年であった。勝つか負けるか。多くの人が、勝利は不可能だと見ていた。しかし、戸田先生のため、同志のため、学会の未来のため、絶対に負けるわけにはいかなかった。私は億こうの心労を尽くし、死にものぐるいで戦った。
東京と大阪を何度も往復し、何ヶ月も大阪に滞在した。朝は早朝から飛び出して、大阪中を走り抜いた。夜は深夜の関西本部で、人知れず丑寅勤行を続けた。毎日くたくたに疲れ果てたが、大生命力を奮い起こして、一日一日と戦い抜いた。
そうして迎えた決戦の日、早朝の5時過ぎ、関西本部の静かな室内に電話のベルが響いた。受話器を取ると、それは東京の戸田先生からであった。東京は厳しい情勢であった。
先生は言われた「大作、関西はどうだい」「こちらは勝ちます!」私の答えを、先生は、本当に喜んでくださった。あのときの先生の、こころからのうれしそうな声を、今も忘れることはできない。
2017.6.6
公示日の朝、池田室長は白木の家族全員を関西本部に呼び、ともに出発の勤行を行った。「いよいよ今日は公示です。ご主人だけの出陣と思ってはいけません。あなた方一家の本当の出陣となるのです。」
あの日あの時。池田先生と神戸市 09.8.21 2017.5.21
足立区と北区 北区と足立区は隣接する兄弟区ともに広宣流布の言論戦の屋台骨となった。
新あの日あの時 池田先生と東京北区
女性参政権の実現はまさに人類史上、新時代を画する「声」であったといってよい。
選挙は憲法に保証された国民の権利である。誰人が誰人に投票しようと絶対に自由である。現代において政教一致などという論難は全くの論外だ。あまりにも見事な平和勢力の前進に対する妬みに過ぎない。
01.1.4
2015.3.16
425P
私たち創価学会、またSGIの運動は永遠に民衆の「希望」であり続けたい。いな、あり続けなければならない。そのためにも最も必要な精神こそが、「師弟」の精神であると、私は思っています。
2020/09/07 17:40
423P
私は師である戸田第二代会長から「歴史を学ぶことは史観を学ぶことだ」と徹底的に教えられました。そして「〃つねに民衆という大地から歴史を見る〃という史観を持て」と教わりました。「戦争で最も苦しむのは民衆である」ーこの単純ながらも明快なる真実のゆえに、私は戦争に、断固として反対するのです。歴史とは、英雄譚や立志伝を紡ぎ合わせたものではありません。
2020/09/07 17:36
406P
私はグアムの会議で、自身の深い決意を込めて、こう語りました。「自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と。
2020/09/07 17:21
388P
私も、人生を十年ごとに区切って、それぞれの目標を立ててきました。
私の挑戦の一つに執筆活動があります。体調を崩した時も、原稿を一枚、また一枚と書きつづってきました。何月何日、原稿用紙を何枚書いたというのを、「正」という字でノートに記録しながら、何ヶ月もかけて一冊の本を書き上げた時もあります。
2020/09/07 17:16
385P
人生の「同志」「戦友」として苦楽をともにした夫婦の絆ほど、美しく強いものはありません。私も、妻を「同志」であり、「戦友」であると思ってきました。世界に友情と平和の橋を懸けたいと、妻とともに各国を駆け巡ってきました。妻の陰の労苦には、感謝しても感謝しきれません。「道ひらく 君と歩みて 不二の杖」という句を贈ったこともあります。
2020/09/07 17:05
365p ボールディング
私の人生で最も親しい人といえば、やっはり夫のケネスです。彼は、私の最高の友人でもありました。
2020.9.6
348p
創価大学は春を迎えると、キャンパス一面が美しい桜花に包まれます。「木を植えるのは、十年の計。人を育てるのは百年の計」といいますが「年々歳々、樹々が育つように、若き学徒が大樹に育ってほしい」との祈りを込めて、キャンパスには多くの木を植えるようにしてきました。
2020.9.6
335p
ともすれば、数万、数十万の犠牲者を出した戦争での行為が、「やむを得なかった悲劇」「戦争を早く終わらせるのに役立った」などとされ、それを信じる人も少なくない。ここに重大な問題があります。
2020.9.6
333p
私も、生涯「青春」です。平和のために、世界から悲惨の二字をなくすために、もっともっと学び、語り、動きたいと思っています。
2020.9.6
327p
日本でも、第二次世界大戦後の高度経済成長期には、政治は福祉をあまり重視していませんでした。私が公明党を結成した理由のひとつもそこにありました。
2020.9.6
309p
私もよく妻から、歩け歩けと言われます。
2020.9.6
304P
私は、世界の多くの識者と対話を続けてきましたが、その原点はトインビー博士との、二年越しの、のべ四十時間にわたる語らいでした。
2020.9.5
295P
ホールディング 先日は、池田会長のすてきな写真集をいただき、ありいがとうございました。
先生 私は写真を愛好する一人として、ありのままの自然の美しさと対話しながら、撮影してきたつもりです。
執務の合間や、移動の際の車窓などから、シャッターをきること多いのですが、撮るのはほとんどが自然や町の風景です。
276P
あるとき釈尊の弟子である阿難が「師よ、われらが『善き友』を持つことは、聖なる道の「半ば」に当たると思いますが、いかがでしょうか。と尋ねた。
この問いに釈尊は、こう答えます。「阿難よ、そういう言い方は正しくない」「善き友を持つことは、この道の『すべて』である」「私自身、諸君の友であり、善き仲間である。」と。
仏法とは、「善き友」をつくり、自分もまた「善き友」となっていく道であると説いているのです。
2020.9.5
Eボールディング 1990年にノーベル平和賞候補にあげられた。ダートマス大学名誉教授 2010.6逝去
256P ヘンダーソン
私こそ、この対談がどんなに楽しかったか、どんなに光栄であったかー。尊敬する池田会長と、このような有意義な語らいを持てましたことを、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
2020.9.5
252P
インターネットは、双方向のやりとりができ、国家を超えて民衆同士が直に結びつくことができる、より自由で民主的なメディアです。市民社会長とメディアの革新は、切り離せない関係にあるといえます。
2020.9.5
244p
牧口先生は、世界における生存競争を①軍事的競争②政治的競争③経済的競争④人道的競争の四つに形式的に分類したうえで、人類は、もはや軍事的競争でも政治的競争でも経済的競争でもなく、人道的競争の時代を指向すべきであると訴えたのです。
2020.9.4
229P
アメリカ創価大学、4つの指針
1、「文化主義」の地域の指導者育成
1、「人間主義」の社会の指導者委育成。
1、「平和主義」の世界の指導者育成。
1.自然と人間の共生の指導者育成。
2020.9.4
224p
私は、この二人の先師の構想の実現のために、教育を自身の最後の事業と決めて取り組んでまいりました。創価大学を開学したのは〃大学紛争〃が世界中で燃え上がっていた最中の1971年のことです。
1.人間教育の最高学府たれ
1.新しき大文化建設の揺籃たれ。
1.人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ
また開学にあわせて、一対のブロンズ像の台座に、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」「労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれる」との言葉を刻み、贈りました。
2020.9.3
134p
人間はこれまで、宇宙にまで開発の手を広げる一方、人間自身の「内なる開発」を、あまりにもおろそかにいしすぎました。
2020.9.3
120p
人間、逆境に置かれたときに、どう生きるかで、その人の真価が現れるものです。戸田先生が〃生命とは何か〃を悟達し、みずからの使命を覚地したのも、獄中でした。
2020.8.31
112p
私も青年時代、師である戸田先生から、「人類の平和と進歩のためには、具体的な提案をしていくことが大切である」と、繰り返し教ええられました。
私は毎年の1月26日に「SGIの日」を記念して平和提言を発表してきましたが、常にこの師の教えを念頭に置いて、思索し提案してきたつもりです。また、具体化のために行動知ってきました。
2020.8.31
94p
もちろん、インターネットにも、善悪両面がありますが、この「開放性」と「双方性」は、民主主義を支えるっ基盤になると思います。
2020.8.31
92p ヘンダーソン
私は、責任ある「グローバル・バカナンス」(地球社会の運営)を目指しておられる。池田会長の労作業と平和提言に大きな関心を抱いております。
2020.8.31
68p ヘンダーソン
じつのところ、私が考えている「全体人間」像は、会長が具えられている人格そのものなのです。
2020.8.。31
54p じつは、歴史家のトインビー博士と二年がかりで、のべ四十時間に及ぶ対談を行いましたが、対談をすべて終えた時、博士が私に、ぜひともあったほうがよいという人物のリストをメモにいして渡してくれました。その中の一人がウォード博士だったのです。
2020.8.30
私の運命を決定づけたのも、一人の人物との出会いでした。我が師・戸田城聖先生です。今日私があるのも、
すべて若き日に受けた、師の薫陶があればこそです。
2020.8.30
私が創立した東京・八王子の創価大学の本部棟には、ダ・ブィンチの立像が置かれています。44P
2020.8.30
地球対談 輝く女性の世紀へ H・ヘンダーソン 池田大作全集 114巻
41p 草創期の創価学会は、世間から「貧乏人と病人の集まり」と揶揄されたものでした。しかし、戸田先生は、そう呼ばれることを、みずからの誉とされて得いたのです。
2020。8.30
師に届く嬉し涙の体験談
イク子姫世界一の笑顔かな
平成26年8月28日